6-8 フィクヒオの絶叫
鼓膜を突き破りそうな聞いたことのない声だった。黒板を爪でひっかいた時のような嫌な全身が粟立つような音。
エリックは思わず耳を塞いだ。
白いモンスターの中心辺りが発光している。その体の大半が月精石でできているのが、エリックには分かった。
どのくらい白いモンスターは吠えていただろうか。長いようにも感じたし、あっというまだったような気もした。
白いモンスターは不意に鳴くのをやめて、そのままポトリ、と地面に落ちたのだ。倒れたエリックの倒れた数歩先に転がった。
予想外の事態に驚いたのか、密猟者はすでに逃げ出していた。
エリックは殴られた頭を押さえながら、白いモンスターの元へ向かおうと体を起こそうとする。
起き上がろうと地面に手をついて、揺れていることに気が付いた。地面の揺れは次第に大きくなっていく。
「下か!」
エリックの言葉とほぼ同時に、地下から何かが突き出してきた。
その何かが、モンスターを捉えていた檻のいくつかを破壊した。エリックも宙高く放り投げられる。
地下から姿を現したのは巨大な動物の角のように見えた。
角だけで、優に数メートルはある。どれだけの大きさのモンスターなのか。考えただけで、エリックは戦慄した。
エリックはバランスを整え、足から着地した。先ほど殴られた頭はまだぐわんぐわんとしている。だが、ぼやっとしている時間はない。
エリックは辺りを見回して、危険なところにいると認識する。
そして、その角に続くようにして、無数の狼型のモンスターが溢れ出した。見慣れない狼型の毛並みは赤黒く、わずかに光を帯びている。
狼型の群れは檻に囚われていたモンスターを端から食い殺してゆく。モンスターたちはパニックに陥ったらしい。右へ左への大騒ぎだ。
エリックはその中、埃のように転がる白いモンスターを見つけた。
思わず、エリックは逃げまどうモンスターの波間を縫って、白いモンスターを助けに行った。
手を伸ばす。包み込むようにして両手で抱き上げる。まだ、温かい、まだ、呼吸をしている。
エリックは安堵した。そして、自分の置かれている状況に気が付いた。
前進することも後退することもままならない。
そんな中、モンスターの大群の上を走ってきたのであろう。狼型がエリックの前に降り立ち牙を剥いた。ギラリと異様に長い牙が見えた。頭には刃の切っ先を彷彿させる角があり、一突きでもされたらたまらないだろう。
エリックは咄嗟に剣を引き抜いた。
飛びかかってきた狼型をしゃがんでかわす。振り向きざまに一撃を加える。今まで戦ってきたどのモンスターとも違い、固い外皮を持っていないらしい。
狼型はエリックに斬られて傷を負った。
エリックはそれを見て、今まで感じたことのない罪悪感を覚えた。そして、自分の考えの過ちに少しずつ気が付いた。
皆、生きているのだ。殺し殺され、必死に生きている。人間もモンスターも。
じゃあ、銀遊士は何のために存在するのか。分からない。
剣で周囲を牽制しつつ、モンスターの濁流から逃れようと、エリックは頑張った。
その時だ。
「何が起こった?」
不意に腕を左右から掴まれ、引きずられるように上に持ち上げられた。
驚いて剣をがむしゃらに振り回した。
「落ち着け、俺だ」
アークの声だった。
「すみません、俺、動揺しちゃって」
咄嗟に謝罪が口を付いた。
「いいから、状況を」
アークの言葉にようやくエリックも辺りを見回すほどの余裕が出来た。
モンスターに流され、いつの間にか入り口付近まで流されてしまったようだった。
ここは偽造船入り口付近に重ねてあった、コンテナの上だ。
カルロスとアークがエリックの顔をのぞき込んでくる。
「アークさん、俺……」
そこまで言いかけて、エリックは続きの言葉を飲み込んだ。
アークの後ろで縛られている密猟者の集団の中にアドルフォを見つけてしまったからだ。
「詳しい話はあとだ。この状況の説明を」
口を開きかけたエリックにアークが早口で告げた。
眼下の狼型たちによる虐殺を見て、エリックは静かにうなずいた。
この数のモンスターが学園都市に流れ込んでしまったらパニックになる。
エリックはゆっくり手の中で守っていた白いモンスターを見せた。
もし、アークが殺そうとしたら、飛び下がるつもりで。
アークはエリックの手の中のモンスターを見て、目を丸くする。
「フィクヒオか!」
アークの言葉に、エリックは首を傾げた。
「フィク……?」
その反応にカルロスが近づいてきて、アークと同じようにエリックの手の中を覗きこむ。
そして、緑の目を見開いた。
カルロスの首に銀色の呼子笛が下がっているのにエリックは気が付いた。しかし、今はそれどころではない。それは後で説明してくれるのだろうと信じて、エリックは音にならない息を吐いた。
「フィクヒオだよ、オレ、初めて見る~。こいつは絶滅危惧種だよ。普段は大人しくて、人間を襲うことはないんだけどね。仲間意識が強くてさ、仲間が襲われているのを見ると絶叫するんだよね」
カルロスの説明に、エリックは思い当たる節があった。
先ほど、エリックが男に棍棒で殴られそうになった時、フィクヒオは叫んだ。鼓膜が破れそうだったことを思い出す。
だが、出会ったばかりで仲間意識を持たれているのか、という思いもある。違う可能性もあるから、エリックは口を噤んだ。




