1-4 ミリィと銀遊士
エリックは桜並木の道を進む。学園長が居た階段が見えなくなるまで歩いたところで足を止めた。
「えーっと」
エリックはそのままゆっくりと振り向く。
「あ……」
女の子が小さく声を漏らした。
先ほどからずっと誰かが付いてきている。
気になったので、タイミングを計って声をかけたのだ。
「君は、さっきの……。どうしてずっとついてくるんだい? もしかして、迷子なのかな?」
エリックは少しだけ膝を曲げて、女の子に目線を合わせた。頭一つ分、身長が低い女の子の顔をのぞき込む。
可愛らしい若草色のアホ毛がひょこんと揺れる。そして、髪と同じ鮮やかな黄緑色の瞳が少しだけ潤んだ。
「君、ボクは君が思っているよりも子供じゃないぞ。迷子でもないからね! ボクは君と同じでこの学園に入学するんだから」
「ええっ!?」
エリックは驚いて素っ頓狂な声を上げてしまった。
年頃の女の子に対して顔が近すぎたのでは、とか、失礼な態度だったんじゃないか、とか色んな考えが一瞬で頭の中を駆け巡る。
「そんな小さな体で、体力試験も突破したのっ!?」
口をついて、疑問が飛び出してしまった。
「いやあの、そのっ!」
流石に失礼すぎると思って、弁解を図る。腕を大きく振って説明を試みるが、旨い言葉は出てこなかった。
その姿を見て、女の子は笑いだした。
「ふふふ、いい人なんだね。ボクは怒ってないよ。ボクは人間とは種族が違うからね。体力試験は楽勝だったよ。筆記の方が難しかったと思ってるぐらい」
微笑みながら、女の子が言った。
笑顔が眩しい。その優しさが暖かい。天使かと思うぐらい可愛い。
エリックはもう彼女を直視できなかった。
「君にはお礼を言おうと思って。さっきは助けてくれてありがとう」
とっても助かったよ、と笑う少女を見て、エリックは頬を赤くした。
今まで銀遊士になるため、剣の腕を磨くことに時間を割いてきた。女の子とまじめに会話をするのは随分と久しぶりのことだった。
「ええっと、どういたしまして?」
頬を掻きながら言えば、少女はまた笑った。
「ボクはミリィ。ミリィ・ラル=カルラ。よろしくね」
そう言って少女――ミリィはエリックに微笑んで見せた。白くて小さな手がエリックに差し出される。綺麗な黄緑色の髪に背景の桜が映えて、エリックはしばらく見惚れた。
ミリィが不思議そうに首を傾げたのが見えて、エリックは慌てて口を開いた。
「お、俺はエリック・ジルソン。えっと、その、……よ、よろしく」
挨拶しながら、ミリィの小さな手を握る。柔らかく温かい手は、ほんの少し力を入れてしまえば壊れそうなぐらい繊細だった。優しく包み込むように手を添えただけだったが、エリックはそれだけでも大分、緊張していた。
「会場まで一緒に行ってもいいかな?」
ミリィがまた、穏やかに笑う。
エリックは緊張を誤魔化すように何度も首を縦に振った。
桜並木の下を二人並んで、歩いていく。ミリィの歩調に合わせられるようエリックは注意しながら進んだ。
「ボクはラル族なんだ。だから、髪の色も瞳の色も変でしょ? 上手く皆と馴染めるか心配だったんだけれど、この分じゃ大丈夫そうだね」
ミリィがエリックに話しかけてきた。黄緑色の三つ編みを撫で、ミリィは苦笑を零す。
ラル族ってなんだっけ、と少しだけ思考を巡らせた。確か、南に広がる森で生きている人種だったはずだ。《森の眷属》とも呼ばれて、普通の人より身体能力や治癒能力が高いと教えてもらったことがある。
ラル族は簡単に森の外には出ない、と聞いたこともあった。だが、それは随分子供の頃の話だ。時代と共に変わったのかもしれないな、なんて呑気に考える。
「変じゃないよ。あのさ、とっても綺麗で見惚れちゃったよ、俺」
エリックが言えば、ミリィが瞬いた。それから、下の方から少しずつ赤くなっていく。特徴的に尖った耳まで真っ赤に染まった。
「そういうこと、簡単に言わないほうがいいよ、君……」
小さな声でそれだけ言われる。
「ええっ!? その、ごめん。そんなつもりじゃなかったというか、あ、でも言ったことは本当だから、そのっ!」
言葉がつまり、エリックは頭を抱える。自分の会話能力がここまで低いとは思っていなかったのだ。
その姿を見たミリィが笑い出した。
「君、本当に面白いね。ね、君はどうして、この学校に来たの?」
ミリィが花が咲くような笑顔をエリックに向けながら尋ねてくる。
しかし、尋ねられたことにエリックは首を傾げた。
「どうして? そんなの銀遊士になるためじゃないの?」
言い切ってから、ミリィの方をちらりと見る。
ミリィは目を丸くして、エリックのことをまじまじ見つめていた。
「えっと、俺さ、銀遊士に助けてもらったことがあって。それで自分もあんな風になりたいって思って……。やっぱり、向いてないと思う?」
何だか、静かになるのが怖くて、エリックファミリーに尋ねた。
エリックは村を出る前に、散々村の人たちからお前には向いていないと言われた。ここでもそう言われるのかと思うと胸が痛む。
ミリィは静かに首を振った。
「そんなことないと思うよ? ただ、今時、そんな風に銀遊士に憧れる人も居たんだなって、ちょっと驚いちゃったの」
「へ?」
ミリィの言葉が意外だったエリックは思わず間の抜けた声を出してしまった。
「えっと、ミリィは銀遊士になりたいわけじゃない、の?」
言葉を選びながら、聞いてみる。
ミリィは小さく頷いた。
「何で?」
思わず、立ち止まり、ミリィに聞いてしまう。
「数十年前まではこの国でも、銀遊士は人気の職業だったよ。でも、今は銀遊士になりたがる人なんて、ほんの一握りだよ」
ミリィが言った。
その言葉を脳内で反芻する。
銀遊士になりたがる人はほとんどいない。
何も言えず、エリックファミリーを見つめた。
二人の間を桜の花びらが通っていく。
「この国じゃ、銀遊士を目指す人も銀遊士も足りてないんだよ。だから、種族によっては一家から一人、銀遊士になることが義務付けられた。ボクも……ラル族も、そう義務付けられた種族の一つだよ」
エリックは衝撃を受けた。頭をハンマーで殴られたみたいな、そんな感じに近い。
銀遊士の仕事は命がけになることも多い。だけど、それこそ、男のロマンじゃないのか。
どうして、とか、何故、とかそんな質問も出てこないぐらい頭の中は真っ白になってしまった。
「あ、ごめん……。憧れてる人にこういうこと言うのって良くないよね」
ミリィのアホ毛がシュンと萎れた。
エリックは何か適当なことを言って、ミリィを宥めた。ただ、あまりのショックに訳の分からない慰めの言葉を口走っていたかもしれないが。
「ごめんね。気にしないで。頑張っている人の方がかっこいいもん。頑張ってね」
ミリィは最後にそう告げた。
そして、そのまま入学式の会場前の波に飲まれて見えなくなった。
エリックは微妙な気分になりながらも、会場へと足を踏み入れた。
先程までとは違い、全体の様子が目に飛び込んできた。大半は死んだ魚のような目をしていた。
思い描いていた銀遊士とは違う。もっと、心躍るようなものだと思っていたのに。
現実は鈍くエリックの心を刺した。




