1-3 学園長
決して大きな声だったわけではない。耳に触るような嫌な声だったというわけでもない。ただ、不思議とその声が耳に飛び込んできたのだ。
凛とした声だったから、すんなり脳みそに届いたのかもしれない。
エリックも相手の男も動きを止めた。そして、声がした方を向く。
十段もないような白い石で作られた階段。その後ろに校舎がそびえたっている。
階段の上からエリック達を見下ろすようにして二人の人が立っていた。丁度、逆光になっていて細かい姿は良く分からないが、槍を背負った男性と初老の男がこちらを見下ろしている。
「剣を収めよ。学園長の前だぞ。……それとも、無用な争いで命を落としたいか?」
先程と同じ、聞き取りやすいテノールの声がそう告げる。
男の右手が背中へと伸ばされていく。その流れるような動きから戦い慣れしていそうだ、とエリックは他人事みたいに思った。
エリックは構えていたパンフレットを下ろした。これ以上争う気がないと示す。
対峙していた男も諦めたようで、へらりと笑みを浮かべた。
「冗談でしょ? それじゃ、お先に」
対峙していた男には学園長の隣に立つ人物が誰なのか分かっているらしい。皮肉気にさらりと言って、さっさと歩いて行ってしまった。
残されたのはさっきの女の子とエリックだけだ。
「あの、すみません。騒ぎを起こしちゃって。……こんな騒ぎにするつもりは無かったんです」
エリックは慎重に言葉を選びながら、学園長に告げた。
相変わらず逆光で、学園長がどんな表情をしているのか読めない。でも、怒っているかもしれない、と予想する。入学しようとする人が、上級生っぽい人と争いを起こしかけたのだ。それは怒りたくもなるだろう。
「いやいや、元気があってよろしい。だが、そろそろ入学式の時間だぞ、新入生諸君」
その言葉でハッとした。時計を見ればまだ余裕はあるものの、移動しなければならない時間だ。初日から遅刻なんて笑えない。
「はい、それじゃあ、失礼します」
慌てて一礼をして、エリックは走り出した。
「へ? あ、ありがとうございましたっ!」
後ろで女の子の声が聞こえた。
あの子もこれで帰れるだろう。
入学式前に一つだけ良いことが出来た気がして、エリックは少しだけこそばゆい気持ちになった。
桜の花びらが吹雪いて、エリックを歓迎しているようだった。
~ * ~
「若いな」
エリックと女の子の背中を見送ったステッカ学園長に対して、隣に立つ若い男が告げた。
「ああ、若い。だが、お前さんだって大して変わらないな、年齢的には」
ステッカ学園長の言葉に男は少しだけ眉を跳ね上げた。
「そんな顔をしするもんじゃないな。お前さんだってまだ学生だもんな。何を言っても可愛いものだ」
男は何も答えない。ただ、不愉快そうに視線を逸らした。その先には霞がかった水色の空が広がっている。
「若いことは良いことだが、少々心配だな。血気盛んで、向こう見ずと来たもんだ」
ステッカ学園長が苦笑する。
「そんなに心配なら追い返せばいい」
男が言えば、ステッカ学園長は更に笑みを濃くした。
それから、男の頭をぐりぐりと撫でまわした。男は抵抗しない。しないが、変わりに思い切り眉間に皺が寄った。不愉快だと顔が告げている。
ステッカ学園長はそれを見て、笑みを濃くした。
「さて、本題に入ろう」
ステッカ学園長の声質が硬く緊張をはらんだものに変わる。
男は髪型を直しながら続きを促す。
「最近、ダンジョンの動きが活発化してきている。何でもいい。少しでも多くのダンジョンを巡り、状況を確認してきて欲しい」
「それは、命令か?」
男が静かに尋ねる。
ステッカ学園長は静かに前を見つめたまま、目を細めた。
「いや、老いぼれの『お願い』さ。まだ、確信が持てて無くてな」
その言葉に男は短く頷いた。そして、なにも告げずに男はステッカ学園長に背中を向けて歩き出した。
「いつもすまんな」
そんな男の背中にステッカ学園長が言葉を投げた。
返事はない。
ステッカ学園長は少しだけ微笑んだ。