5-1 退院とその後
エリックは数日で退院できた。
村でこんな怪我をしたらもっと入院が必要になっただろうが、さすがは学園都市である。最新技術のおかげで、もう痛むところを見つける方が難しい。
後遺症もなく、エリックの体の調子は入院する前よりいいぐらいだ。
エリックは荷物をまとめ、病院の窓口で手続きをこなした。慣れない書類に少しだけ苦戦したものの、なんとか退院することが出来た。
その日は、エリックのファミリーは別の案件が入ってしまったとかで迎えは居ない。
派手に出迎えられるのもこそばゆいので、これで良かった。
病院を出たところで、エリックは一度、足を止めた。降り注ぐ日差しに目を細める。
久しぶりに浴びる日光が体に染みわたる。少ない荷物を持ったまま伸びをして、あくびをかみ殺す。
今日一日は休暇だから自由にしていい、とアドルフォに言われている。しかし、エリックには特にやりたいことはない。
何をしようか、などと悩みながら歩いていると、柱の陰からアークが現れた。
黒い衣装を着ているので、暗いところにいると見つけにくい。
突然、現れたアークにエリックはお辞儀をした。もう、知らない仲ではない。しかし、仲良く話をするような関係でもない。
エリックが、どうしようか悩んでいると、アークが口を開いた。
「調子はどうだ?」
低い声が耳に馴染む。不器用ながら、体のことを案じてくれている質問がエリックには嬉しかった。
「もう、大丈夫です! むしろ調子がいいぐらいです、おかげさまで。ここの医療技術はさすがは都会! ……って感じですね」
エリックがニッと笑顔を作れば、小さく笑われた。
田舎者だと思われたかもしれなかったが、実際田舎者なので、弁明のしようがない。
「とりあえず、退院おめでとう」
アークが抑揚の少ない口調で述べてくる。だが、微笑付きなので、悪い気分はしない。
「あ、ありがとうございます?」
妙な感じだったので、エリックは思わず疑問形で返事をしてしまった。
「少し、付き合え」
アークがそう言って歩き出す。
エリックは一瞬ぽかん、とした。いきなり命令形だし、何があるのか分からないし、唐突すぎて意味が分からなかったというのもある。
だが、どんどん歩いて行ってしまうアークの後ろ姿を見ていたら、放っておくのも悪いような気がして、エリックは後を追ったのだった。
向かう先には黒い翼の生えた四つ足のドラゴンが体を休めていた。首輪には赤い鉱石がはまっており、誰かのペットのような存在なのだと教えてくれた。
比較的小型なドラゴンではあるが、モンスターの一種である。体格だって成人男性を四人は乗せられそうなぐらい大きい。
それが、街中、しかも病院の裏手で羽を休めているとは変な感じだ。いくら、温厚な性格で、人懐っこいと言えども、少しだけ警戒してしまうのも仕方がないだろう。
アークはそのドラゴンにすたすたと近寄っていった。
「ん」
アークがドラゴンの鞍に繋がる紐を引っ張って、エリックを促した。
「え、アークさんの何ですか?」
「そうだが」
「へ、へえー、凄いですね。暴れたりしません?」
黒いドラゴンを見ながら言うと、アークは楽し気に口を緩めた。
「安心しろ。この子はいい子だぞ」
そう言ったアークの言葉が伝わったのか、ドラゴンがアークの頬を舐めた。
その微笑ましい行動に、緊張していた自分が馬鹿馬鹿しくなる。
「じゃあ、失礼しますね」
エリックは軽く会釈をして乗り込んだ。
鞍の上から見る景色は、知っている街なのに、見たことがないものに映る。
エリックがキョロキョロと回りを見ていると、続いて、アークが上ってきた。綺麗な白い手が手綱を引くとドラゴンが立ち上がり、歩き出す。
そのまま、アークは左手で透明な月精石がはまったパネルを操作した。
ドラゴンの前に地図が表示される。それを見たドラゴンは楽し気に一声鳴くと、滑るように走り出した。
景色が飛ぶように過ぎていく。
エリックは鞍の上から次々と変わる景色を眺めた。
「……あんな隠し技があったとはな」
不意に、アークが口を開いた。
エリックは言われた言葉が理解できず、アークを見つめる。
アークは前を向いたまま、乗り物を走らせている。エリックの視線に気が付いていないのか、少しも表情を変えない。
その綺麗な横顔にエリックは少しだけ見惚れた。
黒い髪は基本は短いが、襟足だけ長い。茶色だと思っていた瞳は、光の差し込み具合で金色にも見える。睫毛も長く、男のエリックから見ても、アークは美男に見える。とても整った顔で、見ている者を魅了する力があるような気がした。
アークは話を続ける。
「正直、あんたには《クイーン》を倒すことは難しいと思っていた。だから、驚いた」
アークはそこで言葉を区切った。
大きな通りに差し掛かり、アークは手綱を緩く引く。それだけでドラゴンはスピードを落とし、止まった。
道路を横切る人たちが物珍しいもの見たと言わん表情で、凝視してくる。
エリックは居心地が悪くなって、視線を泳がした。人混みが途切れるまでまだもう少しありそうだ。
そこでようやく、アークがエリックの方を向いた。
「何を、したんだ?」
真面目な声だった。
答えなければと思ったが、エリックの頭には咄嗟の説明が思い浮かばない。自分が何をどうしたのかを思い出せなかったのだ。感覚は分かる。だけど、言葉にならない。
「俺は、その、昔助けてもらった銀遊士さんの言う通りにしただけで……。あんまり覚えてないんです。ただ、必死で」
大通りを最後の一人が通り過ぎていく。走り出したドラゴンの上で、エリックは必死に言葉を重ねた。
「説明、できるもんじゃなくて。俺……」
エリックの声はだんだん小さくなっていく。
自分で話しているのに、どうしてか自信が持てなくなったのだ。アークの質問にちゃんと答えたいのに、うまく言葉にできなかった。
ふざけている、と思われても仕方がない、とエリックは口を噤んだ。言葉にできない自分がどうにももどかしい。
「そうか。分かった」
アークはただ、それだけを言葉にした。
二人の乗った黒いドラゴンは静かに走っていく。




