4-3 報告と予言
昨晩の雨が嘘のように空は青い。しかし、それがエリックの瞳に映ることはなかった。エリックはソファに座りながら、俯いて床ばかりを見つめている。
「どこに移動したのか形跡確認することはできません」
「こちらも同じです」
「サソリ型というのは間違いないと思います」
様々な報告がされるのを、エリックはただ聞いていることしかできない。
上半身は包帯でぐるぐる巻きにされている。それでも呼吸する度に、折れた肋骨が痛む。頭も怪我していたようで、額から後頭部にかけて、やはり包帯を巻かれていた。
エリックは自分の両手を見つめる。開いたり閉じたりを繰り返した後、両手を組むように握って、グッと力を入れる。血が滲む。
太刀打ちできなかった。歯を食いしばる。昨晩の戦闘がまるで嘘のようだ。自分達だけで何とかなるとは思ってはいなかった。しかし、それどころか、エリックは無駄に《クイーン》を怒らせる行動をとってしまったらしかった。
自分は何も成長できていない。自分には何もできない。
そんなことない、とファミリーの仲間は必死に言ってくれた。でも、エリックの心は晴れない。むしろ、できないことの証明がされていくような気分になる。
ミリィも大怪我を負ってしまった。ラル族じゃなければ死んでいた、とアドルフォから聞かされた時は、目の前が真っ白になるかと思った。かけがえのない友人の死というものを初めて身近に感じた。
死は誰の隣にもいるのだ、と。
そして今。
エリックは学長室に呼ばれて、やることもなく座っている。
聞こえてくる報告に心が痛む。
「今後も捜索活動を続けます」
報告していた生徒がそう言って、部屋を出ていった。
「さて、だいぶ待たせたな」
ステッカ学園長が、エリックに向き直った。
怒られるかもしれない。ペナルティーがあるかもしれない。もう、田舎へ帰れと言われるかもしれない。ここにお前の居場所などない、とはっきり告げられたっておかしくない状況だ。いや、咎められたらまだましだと思う。
エリックは俯く。
固く唇を噛み締めるようにして湿らす。
「まあ、そう構えないで」
ステッカ学園長が穏やかな声でエリックに語り掛けてくれた。
だが、エリックはステッカ学園長の顔をまともに見ることが出来なかった。ずっと自分の何もできなかった手を見つめる。
目を閉じたら、悔しさやら、悲しさやらで涙が出てきそうだと思った。目に力を入れる。ここで泣いたらあまりにも情けない気がした。
「いいか。聞きなさい」
ステッカ学園長が不意に真面目な声を出した。
エリックの肩が無意識に跳ねた。手は力を籠めすぎて真っ白になっている。
「お前さんは本当によくやった。突発的な戦闘だというのに、ちゃんと見極めて自分だけじゃなくファミリー、つまり家族まで生還させた。それは凄いことだ。もっと誇りに思いなさい」
ステッカ学園長の言葉を聞いて、エリックは顔を上げた。
穏やかに微笑むステッカ学園長の顔が見えた。何故だか、無性に安心した。
その途端、張り詰めていた感情の何かが切れた。涙がぼろっと瞳から溢れた。
何かを言わなければいけない気がしたのに、どれも言葉にする前に霧散した。
「大丈夫だ。お前さんは悪くない。巣別れを予知できなかった協会の方が悪い」
ステッカ学園長はそう言って何度もエリックの頭を撫でてくれた。エリックが落ち着くまで、何度も、同じことを繰り返し、慰め励ましてくれた。
エリックが落ち着いたタイミングを見計らって、ステッカ学園長はエリックにもう一度、状況を報告するように言った。
エリックは頷いて話した。ダンジョン付近にいた理由も、《クイーン》が現れたときの経緯も、全てを偽りなく話す。
ステッカ学園長はエリックの話が終わるまでずっと優しく耳を傾けてくれていた。時折、相槌を打ってくれたので、ちゃんと聞いてもらえているのが分かった。
ステッカ学園長が入れてくれたお茶はとても落ち着く味で、心が軽くなった気がした。
「なるほど。ありがとう。よく話してくれたね」
ステッカ学園長はエリックの説明を一通り聞いて、難しい顔で頷いた。顎を撫でながら、机を見下ろす。
その仕草が妙に見覚えがある気がした。だけど、どこかで確かに見たことがある気がした。エリックはそれ以上を思い出すことは出来なかったが、とても懐かしい気がした。
「さて、お前さんはこの事件に関わってしまった。とても不本意だろうけどね。だけど、一度関わってしまったのだから、もう後戻りはできない。分かるかい?」
ステッカ学園長の茶色の瞳がエリックに向けられた。
エリックはステッカ学園長を真っ直ぐ見つめ返した。それから、慎重に頷いた。
机の上に置いてあるお茶の水面が揺れ、不規則に光を反射させた。
「今、お前さん以上に《クイーン》の情報を持っている人は誰もいない。予言しておこう。お前さんが、あの《クイーン》を倒すんだ。それが出来れば、お前さんも少しは新しい世界を見ることが出来るかもしれないぞ」
ステッカ学園長の言葉にエリックは瞬きを一つ。
銀遊士見習いとして、自分の私情を挟まずに事実だけを知らせたつもりでいた。それなのに、ステッカ学園長はまるで、エリックの悩みを知っているかのような口ぶりだ。
「何年、学園長をやっていると思っているんだい? お前さんのような子の心を読むのは得意だよ、今ではね」
ステッカ学園長がそう言って破顔する。
エリックはそれ以上何も言えなかった。
どうしてか、このステッカ学園長が言うのなら、きっとそうなのだろう、と思えたのだ。
「今は養生しなさい。早く傷を治すように。お前さんの家族にもよろしく頼むぞ」
ステッカ学園長は終始穏やかな口調でそう告げた。
エリックはお礼を言うとそっと部屋を後にしたのだった。




