4-2 雨の中の乱戦
エリックは剣の柄を握り締めた。
《クイーン》の護衛が邪魔者を排除しようと突っ込んで来る。真っ赤な目に敵意がありありと浮かんでいる。
サソリ型の鋏が降り降ろされる。何とか剣ぼ中腹で受け止め、斬り払う。
雫が飛び散った。
雨で視界が奪われている。攻撃を避けられるのは、体が覚えているからに他ならない。刺すような鋭い気配があるのだ。おそらく殺気と呼ばれる類のものだろうと思う。それが、肌に突き刺さるから、本能的に回避する。
右へ左へとかわしつつ、後退する。攻撃する暇などない。防衛のみで踏み込めず、エリックの心から余裕がなくなる。
焦りが仇となったのか、ぬかるんだ泥に足を取られ、体が後ろへと傾いた。必死に足を出して踏ん張る。
しかし、エリックが体制を立て直す前に、サソリ型はもう片方の鋏で狙ってきていた。
必死に剣を突き出した。守りに入ったら、押されるだけだ。
剣先がサソリ型モンスターの鋏にぶつかり、火花が散る。
そのまま、何合か斬り合った。
サソリ型の方が明らかに強い。一撃一撃が重く、次の攻撃までのスパンも短い。
このままでは負ける、とエリックが歯ぎしりをした時だった。
どういうわけか、サソリ型モンスターが引いた。
距離を取り、睨みだけを利かせてくる。
お互い膠着した状態が続いた。
雷光が走り、辺りを不気味に照らし出す。
サソリ型がそれを合図に一斉に走り出してきた。
「あぁぁぁぁあああっ!」
エリックが渾身の力で振り下ろした剣は華麗にかわされた。鋭い尾で攻撃を繰り出してくる。怪しげな緑の液体を垂らしている尾の先端を避けるので精一杯だった。しなった尾がぶつかってくるのを防ぎきれず、エリックはもんどりを打ちながら、地面に叩きつけられた。
泥が跳ねる。
「エリック!」
叫んだミリィが駆けだす。それがモンスターの目に留まったらしい。ミリィも同じように吹き飛ばされた。
エリックは慌てて、ミリィを受け止める。
「こいつら、強い……!」
ミリィと視線が交わった。
エリックは小さく頷く。
このままではやられる。連帯をとって、撤退しなければならない。二人の意識が重なった。
ミリィが素早く体を起こし、迫っていたサソリ型を銃剣の剣先で突き飛ばす。
思わぬ反撃を喰らったサソリ型が倒れ込む。それを見ていた《クイーン》の瞳がざわり、と赤みを帯びる。更なる殺気の増加に空気が震えたかのような感覚に陥る。
エリックは倒れ込んだサソリ型モンスターへと剣を振り上げた。一気にモンスターの意識がエリックに向くのを感じる。
ミリィはエリックが囮になっている間に素早く近くの木の上によじ登っていく。
エリックも走り出した。
「援護、開始するよ!」
ミリィの言葉が聞こえる。小さく頷く。
エリックはミリィを信じて《クイーン》までの最短距離を走る。
襲い掛かってくるモンスターが次々、銃撃によって倒れていく。敵地中央に突っ込んでいく恐怖はあまり感じなかった。背中を守ってくれるという絶対的な信頼があるのだから。
この戦い方はファミリーの訓練で培ってきたものだ。ずっと、訓練を重ねてきた。そのおかげで、お互いの呼吸を感じ取ることが出来るまでに成長している。
エリックはミリィを信じている。
ぬかるんだ大地を蹴り、飛び上がった。《クイーン》の頭を飛び越えて、その向こう。
「とった!」
《クイーン》の背中を目掛けて、剣を振り下ろした。
月精石は透けて見えているのだから、弱点をさらして歩いているようなものだと思ったのだ。
しかし。
カキィィィィーーーーン。
作られたような音がして、剣が真っ二つに折れた。
エリックは信じられない思いで一杯に目を見開く。
《クイーン》の背中は一番固い装甲で出来ていたのだ。透けて見えるからと言って、守りが浅はかなわけではない。ちょっとやそっとじゃ、傷をつけることすらできない。
「エリック、避けて!」
ミリィの声で現実に帰った。
だが、もう遅かった。《クイーン》のダイヤで固められた尻尾がエリックの目の前に迫っていた。
直前で、顔の前で腕をクロスし、肺への直撃だけは回避した。
腕に強い衝撃を感じて、続いてエリックの体は地面と平行に吹っ飛んでいた。
背中に強い衝撃を受ける。
木にぶつかったのだろう。ミシッ、という音がした。少しだけ体が木にめり込む。
肺の中の空気が一気に飛び出てて、呼吸が一瞬止まった。
口の中に鉄の味が広がる。
咳き込みながら、なんとか、呼吸を取りもどす。口に溜まった血反吐を吐き捨てた。
戦場を見れば、ミリィが怪我を負いながらもエリックのところへ走り寄ってこようとしていた。
背中ががら空きである。その後ろからモンスターが鋏を振り上げて攻撃しようとしている。
エリックは折れた剣を握りしめた。
ミリィだけでも護らなければ。そんな思いだけで体は動くようだった。
体の感覚は麻痺してしまったのだろう。痛みは感じない。
《クイーン》は見事に激高しているようだった。
破壊できるものを手当たり次第、攻撃している。木々が次々となぎ倒され、岩が砕け散る。
雷鳴と合わさって、それはとても恐ろしい光景に見えた。
《クイーン》の配下も自分の主の怒りを感じているのだろう。感情に引きずられて攻撃的になっているようだ。
「ミリィ、避けて……」
叫ぼうとしたのに、声はあまりに小さく。
ミリィの体が横へと飛んでいく。
エリックから遠く離れた木へと体をぶつけて、それ以上、動かなくなる。その小さな手から銃剣が滑り落ちた。
ミリィはすでに動ける状況ではない。腹に攻撃を受けたようで、水たまりが赤く染まっていく。
エリックはミリィの元へ走った。
ミリィの前にサソリ型が迫る。鋏で彼女を狙い、大口を開けている。
「ミリィ!」
叫び。手を伸ばし、ミリィの腕を掴む。左手でミリィを強く引き寄せて、抱きしめた。
この身がどうなろうとも、彼女だけは守らなければならない。
右手で折れた剣を構え、《クイーン》を睨む。
仲間が傷ついて怒るのはモンスターだけじゃない。人間だって同じだ。
目の前にいるサソリ型はまだ、顎をガチガチと鳴らした。やはり、ミリィを喰らう気だったようだ。
ミリィを食べようとしていたサソリ型モンスターの顎を真っ二つに切り裂く。真っ赤な血飛沫があたりを染め上げた。黄色の月精石がゴト、と鈍い音を立てて地面に転がる。
サソリ型がひるむのを感じた。
「ここで、根絶やしにしてやる」
エリックは低い声で呟いた。
サソリ型たちが《クイーン》を守るように集まって、左の鋏を盾のように構える。
「エリック……、逃げ、よう? ボクと君じゃ勝てっこないよ……ボクたちだけじゃ、対処できない……!」
目を覚ましたミリィの頬を雫が流れていく。
それが、雨なのか涙なのか分からない。
「でも!」
エリックがモンスターの群れを睨みながら言えば、ミリィが胸倉を掴んだ。
そして、エリックを睨み上げてくる。
「君はこんなところで死ぬの? それなら……、それなら、君はは銀遊士じゃない! 引き際を間違えちゃいけないよ、銀遊士でありたいと思うのなら!」
ミリィの目じりから雫がこぼれた。
その涙は、痛さからくるものなのか、悔しさからくるものなのか、恐怖からくるものなのか――エリックには分からなかった。
分からなかったけど、心が深く痛んだ。
頭に上っていた血が徐々に下がってきたらしい。見失っていた当たり前の事実を思い出してきた。
ミリィをこのままにはしていられない。この出血量じゃ、いくら治癒能力の高いラル族だって助かるかどうか分からない。
「……っく!」
エリックは歯を食いしばった。
ミリィを抱き寄せ、剣を構えたまま、一歩、二歩、と後ろへ下がる。
モンスターたちは追ってくる気配を見せない。
彼らも《クイーン》を護ることが最優先なのだろう。
サソリ型たちの攻撃範囲を出て、さらにもう少しだけ後退したところで、エリックは剣を放り棄てた。
そして、ミリィを横抱きにして走り出した。後ろを確認する余裕はなかった。
追ってきませんように、とそれだけを祈りながら走る。
とにかく近くの民家を目指した。雨がしのげて、銀遊士協会に連絡できる場所だったら何でもいい。
雷が凄まじい音を立てながら、どこかへ落ちた。その轟音を聞きながら、エリックはひたすら走ったのだった。




