3-6 落下
何ですか、とエリックは口を開きかけた。それに対してアドルフォは緊張した面持ちで、人差し指を立てた。
空気が一瞬にして張り詰める。
喉がひりついて、エリックは息を飲んだ。
アドルフォの獣耳が揺れる。その耳は人間の聴覚より数段優れている。エリックの耳では捉えられない何かを聞き取っているに違いない。
エリックは感覚を研ぎ澄ませた。
すると、微弱だが揺れを感じた。
皆の表情が険しくなる。
振動は少しずつ大きくなる。それと同時に地響きのような足音も聞こえた。何かが近づいてくる。だが、音が反響して、どこから来るのか、まるで分からない。
武器を握る手に力がこもった。
不意に、視界が大きくずれた。
「へ?」
エリックの足元なくなっていた。
下から何かが突き出して、エリックの足元をさらったのだ。
「うわっ!?」
竪穴が続いている。体は重力に引かれて落ちていく。
どうやら、エリックは薄い土壁の上に立っていたようだった。
「エリック!」
ミリィが叫ぶ。
上を見上げれば、小さな手がこちらに伸ばされているのが見える。
だが、その手を掴む余裕はなかった。そのまま落下する。光が遠くなる。
「体制を立て直せ!」
アドルフォの声が焦った声が聞こえた。
ハッと我に返った。
次の瞬間に、腕に衝撃を感じた。肩に激痛が走る。体が宙で一度、跳ねて、静止した。
カルロスがエリックの腕に鎖を巻き付けてくれたのだ。左肩が鈍く痛む。だが、訓練を乗り越えたおかげか、体が反応してくれたようで、そこまでのダメージは無いように思える。
鎖を掴んでエリックは宙で体を捻った。死角から襲ってくるモンスターを視認しようと必死になった。
モーターが回るような音が聞こえる。ブブブブ、と細かい断続的な音。
続いて、暗い闇の中から巨大な顎が姿を現した。
慌てて剣を構え攻撃を凌ぐ。赤い火花が散った。
黄色と黒色の胴体。真っ赤な丸い瞳。強靭な顎。
腹から突き出している鋭利な針。毒々しい緑色をまとっている。
六本の足が蠢く。ずっと羽ばたいている、透き通った羽。
大きさは人一人分ぐらいか。
昆虫の中でも恐れられる蜂。その特色を余すことなく自身の体に反映させている蜂型のモンスター。
迫りくる顎に剣を振り下ろす。鋼鉄で出来ているのかと言いたくなるような硬さに腕が痺れかけた。
蜂型はエリックではなく、鎖に目を付けたらしい。蜂の視線に気が付いたカルロスが舌打ちを零す。
「どっかに着地できそう!?」
蜂型モンスターが鎖に鋭い針を何度もぶつけ始めた。
このままじゃ、喰われる。
視線を滑らせ、この状況を打破できないかと考える。
足を置けそうな足場を見つけた。
「あります!」
エリックは頭上に向かって声を張り上げた。カルロスと目が合った。
その視線を足場へと滑らせる。カルロスはその意図を組んでくれたらしい。緩く鎖を揺らし始めた。それに合わせ、エリックは自分の体を揺らした。鎖はやがて振り子のように揺れ始めた。
エリックは鎖の遠心力を使い、体をもう一度捻った。
蜂型の顎に足を置き、跳躍する。。鎖がシャリ、と音をたてる。
狙い通り、足場になりそうな岩だなの上に着地した。
見上げれば、まだ仲間の姿が見えた。
だいぶ落ちたと思っていたが、実際のところは数メートルぐらいしか落ちていないようだ。
「今そっちに……!」
アドルフォの言葉が途中で途絶えた。
「ミリィ! 何してるっ!? 撃て!!」
アドルフォの叫び声が聞こえた。
俄かに騒がしくなった。
上にも蜂型が出たのだろう。
「きゃあっ!!」
ミリィの悲鳴が聞こえた。
上の様子を知ることはできない。しかし、ミリィが危ないかもしれない。
そう考えるだけで心臓がギュッと掴まれたような心地になった。
考えるより先に体が動いていた。
「こっちだ、のろま!」
叫ぶと同時に剣で壁を殴り、大きな音を立てる。
上にいた蜂型が地面に空いた穴を見つけたのだろう。真っ赤な目がエリックをのぞき込んできた。
ヒュッ、と鳴りかけた息を飲みこんで、エリックは声を張り上げる。
「いいぞ、こっちだ!」
モンスターの赤い目にはっきりと敵意が浮かぶのが分かった。大量のモンスターがエリックめがけて、襲い掛かってくる。
蜂型ということもあり、この狭い空間でも飛べるようだ。
距離はあっという間になくなる。
エリックに迷っている暇はなかった。
岩だなから縦に続く穴に向かって、エリックは飛び降りた。