3-4 彼が銀遊士を目指した理由
しばらく二人を静寂が包んだ。
雨音だけが耳に届く。耳をすませば、ミリィがもごもごと口の中で何かを呟いているのが聞こえた。エリックが教えたことを何度も繰り返している。
エリックはやることもなく、ぼんやりと空を見上げた。分厚い雲が空を覆いつくしている。雨はまだ止まないようだ。
ミリィが身じろいで、膝を抱えるようにして座り直す。
「ねえ、エリック。一つ聞いてもいい?」
再びミリィがエリックに尋ねてきた。
別に断る理由もないので、エリックは頷く。
「エリックはどうして、銀遊士を目指すんだい?」
その言葉の裏にあなたに才能なんかない、と言われているような気がして、エリックは苦笑いを浮かべるしかない。
どうして、か。エリックは目を閉じて、考えた。どこから説明すれば、この気持ちを正しく伝えられるのか、分からない。
言葉を選びながら、慎重に口を開いた。
「俺さ、村の孤児なんだ」
思ったよりも小さな声だった。頬を軽く掻く。
ミリィがハッとした顔をして、謝ろうと口を開いた。それを遮って、エリックは笑う。
これは決して悲しい物語ではないのだから。エリックにとっては自分を構成する大事な一幕だ。親のことを憎んだことがないと言えば嘘になるが、今は孤児で良かったかもしれない、と思うぐらいだ。
「どういう経緯で捨てられたか分かんないんだけど、村の塀の外に捨てられてたらしくて。村の人は優しくてさ、そんな俺を放っておけなかったんだろうね。教会で育てくれて、村の人たちが家族みたいな生活をしてたんだ」
目を閉じて思い出すのは、長閑な畑。木を組み合わせて作った家々。土地柄なのか、マイペースで朗らかな村人。悪いことしたら怒ってくれるお父さんのような人も、細かいことに気が付いて気にしてくれるお母さんのような人も、兄貴分も姉貴分も妹も弟もいる、そんな温かい村。
気候にも恵まれていて、食べるものにも困らなかったし、のびのびと野原を駆け回れた子供時代のことを、今でも鮮明に思い出すことができる。
目を開けて、ミリィを見る。ミリィは黄緑色の瞳でまっすぐエリックを見ていた。
「だけど、だけどさ。やっぱり自分はどうしようもなく一人なんだって思った頃があってね。血のつながりもない、帰る家も教会しかない。自分に居場所なんかないんじゃないかって」
その時の例えようのない寂しさは今も感じることはある。
でも、あの時ほど辛くないのは、自分が大きくなって夢に近くなったからかもしれない。
「それで、村を飛び出したんだ。幼い子供が護衛もつけずにたった一人、塀の外に出る。どうなるかは、もう予想つくよね?」
エリックが尋ねればミリィは神妙な顔で頷いた。
「モンスターは月精石を作るために赤血球を必要とすることがある……。だから、そんな小さな子供がいたら、間違いなく、格好の餌になる」
「そう。その通りなんだよね」
エリックは落ちてきた髪の毛を掻き上げた。雨水が手の平を濡らす。
ミリィがエリックに視線だけで続きを促した。
「俺はモンスターに襲われかけた。顎が強そうなやつでね。逃げなきゃって思うんだけど、体が動かなくて……。もう、死ぬんだって思った時に滑り込んできてくれた人が居たんだ。銀遊士だった」
その瞬間のことは鮮やかに思い出せる。
こんな風に雨が降っていた。
今は、襲い掛かってきたモンスターが普通にいる働き蜂みたいな役割で、倒すのにそう手間がかからないことを知っている。
でも、当時は子供だった。武器も持っていなかった。身の守り方も知らない。身長も低い。見上げるほど大きな生き物は例えモンスターじゃなくとも、怖くなるものだろう。
動けなかった。
そんな時にサッと駆け込んできてくれた姿はとてもかっこよくて、涙があふれ出てくるほど安心した。
大きな背中がとても頼もしかった。
「その人が村まで届けてくれてさ。村ではもう、大騒ぎさ。俺が居なくなったからって、村人総出で探してくれてさ。もう、こっぴどく怒られたよ。一人がモンスターに喰われれば、匂いで村人まで危険にさらすかもしれないんだぞって。泣いてたからあんまり内容は覚えてないんだけどね」
やはり苦笑が零れる。肝心な叱られた内容をあんまり覚えていないのが、恥ずかしくなって頬を掻く。
「エリックらしいな、そういうとこ」
ミリィに言われて、誤魔化す笑いしか零れてこない。
見れば、ミリィも穏やかに微笑んでいた。
全部、昔の話だ。いまさら何と言われようと笑い話にしかならないだろう。むしろ、笑い話で済んでよかったと思える。
「でも、その後さ、一番面倒見てくれてた近所のおばさんがさ、俺を抱きしめて泣きながらこう言ったんだよ。『お前が無事でよかった』って。そしたら、それまで何の実感も湧かなかったのに、もう涙が止まらなくてさ」
後にも先にもこの一回きりだった。そのおばさんが泣いたところを見たのは。
自分も泣いたが、それと同時にエリックは思ったのだ。もう、村の人の涙は見たくない。
そして、ここに居ても良かったんだって思えた。自分の居場所は最初からここだったんだと、そう思えた。誰もが皆、自分という存在を受け入れてくれていたのに、自分だけが意固地になって、自らその居場所を奪っていたのだ、と気が付いてしまった。
「んで、銀遊士の人は村を上げて迎え入れてさ、お祭り騒ぎだったね。その人はしばらく村に滞在してさ、俺に色んな話をしてくれたよ」
少しずつ雨が小降りになっていく様子を見ながら、エリックは続ける。
「燃える氷、輝く大月精石、熱くなった《クイーン》との闘い、死ぬかもしれない戦闘の中で生み出してきた技の数々、そして、苦楽を共にした仲間たちの話。もう、震えたね。俺もそんな風になりたいってね」
エリックは話しながら目を細めた。
その銀遊士もよく話しながら遠くを見つめていた。今なら分かる。きっと話しているその場面を思い出して、語りながら情景を思い浮かべていたのだろう。
「まあ、ご覧の通りセンスが皆無だからさ、村の人にはさんざん馬鹿にされたというか、引き留められたというか……。でも、最後は結局、皆して押し出してくれてさ。だからこそ、俺は俺の為にも、応援してくれた村の人たちの為にも、銀遊士になりたいんだ」
エリックは拳を握りしめた。そう。こんなところで躓くわけにはいかないのだ。重りを背負って立ち上がる。
雨はだいぶ、小降りになっていた。
「それなら、頑張らないとね」
ミリィも立ち上がった。
「ボクもやる気になっちゃった。ねえ、エリック。ボクにできることがあったら何でも言ってよね。テスト勉強も手伝ってもらっちゃったし、何かお礼がしたいなっ」
そう言ったミリィのアホ毛がブン、と勢いよく揺れた。
「ええ、急に言われてもなぁ……」
エリックは頬を掻く。何かをしてもらいたいという気持ちはない。強くなるために努力するのはいつだって自分自身だ。
「なんなら、模擬戦百本とかどうかな?」
ミリィが両手を握りしめて、迫ってくる。
「いや、それはちょっと、違う、気もするというか……」
エリックは狼狽えた。
「無駄話をしてる暇があったら、早くスタート地点に行きなよ」
後ろから声がして、びっくりした。
カルロスが笑顔で立っていた。体中ずぶ濡れではあるが、何故だか楽しそうである。
「オレの気配にも気づけない癖に銀遊士になるとか、生意気言わないでね~」
ほら、行きなよ、と背中を強めに叩かれた。叩かれた場所がちょっと痛かったが、カルロスはそういう人だから、と割り切って動き出す。
~ * ~
「まったく、世話が焼けちゃうよね~」
カルロスは両手を頭の後ろで組みつつ、近くの樹の方向へと視線を向けた。
「本当に、仕方のない子たちなんだから」
カルロスの言葉に、グレイシャが影から姿を現して同意を示す。
「ますます応援してやりたくなるな」
アドルフォが満面の笑みで言う傍ら、グレイシャが目元を擦った。
「あれ、もしかして、泣いてた? 今の話、泣けたもんね~」
余裕そうなカルロスの言葉にグレイシャが固まった。それから、拳を振り上げる。
「そ、そんなわけないでしょ!?」
怒号一発、雷が落ちたのだった。
その後の訓練は先輩たちの熱が入り、さらに厳しくなったことは言うまでもない。
~ * ~