3-3 テスト対策
水溜まりに怪奇な円が広がっては消えて、浮かんでは沈んでいく。
先輩が罠を張り直してくれている時間が無限に思える。きっとカルロス先輩のことだ。先ほどとは全く違う仕様にしてくるに違いない。今までの訓練が脳内を駆け巡る。
今度こそ、と無意識のうちに肩に力が入る。
「せっかくの時間だからさ、授業の復習しない?」
不意にミリィが声をかけてきた。
エリックは髪の毛を拭う手を止めてミリィを見つめる。
「明日の授業で筆記テストがあって」
ミリィが眉をへの字に曲げた。
「筆記テスト? 俺のクラスではそんな話、聞いてないけどな」
エリックの言葉にミリィが泣きそうな顔になった。
「そんな! ボク一人でどうにかしないといけないの!?」
普通は一人で対処するんだよ、という言葉は飲み込んでおく。それに聞き漏らしただけかもしれない。
ミリィの目が潤んできた。
「もしかして、テスト嫌い?」
エリックは苦笑いしながら、声をかける。
ミリィがこくり、と頷いた。
「ボク、暗記するのが嫌いというか、理解が及ばないというか……」
語尾になるほど段々と声が小さくなっていく。
しまいには黙り込んでしまった。
テストなんてなるようになるものだと思うが、そんなに追い詰めるものだろうか。少しだけ考える。教えるなんて偉そうなことは言えない。エリックにも苦手な教科は存在する。
「えっと、大丈夫?」
尋ねながら、ミリィの顔を覗き込む。
黄緑色の瞳は普段より、若干潤んでいる。今にも雫が零れ落ちそうだ。
「点数悪かったら補習だって! ボク、補習確定だよっ。どうしよう!?」
どうやら、ミリィは補習になるのが嫌のようだ。そりゃ、エリックだって補習は嫌だ。とくに、苦手な先生との補習なんて、考えただけでテンションが下がる。
なんとかできるなら、力を貸したい。
「分かるか分かんないけど、どこかな、範囲?」
エリックは樹の幹にもたれ掛かりながら、聞く。
雨粒はまだまだ勢いを増しているように見える。昼間だというのに薄暗い。
「えっとね、ダンジョンの成り立ちについてのテストだって。形成されたダンジョン内で何が起こってるのか、みたいな……」
ミリィが教科書の内容を思い出しながら答える。
こうやっていると、身長差も相まって近所の子供にでも勉強を教えている気分になってくる。
エリックはほんの少しだけ目を閉じた。
教科書を思い浮かべる。
「それ、確か《クイーン》の話が載ってるところあたりだな?」
曖昧な記憶を手繰り寄せながら、聞いてみる。
ミリィがエリックの言葉に首を縦に振った。
「ダンジョンにはモンスターが居る。そのモンスターは大きく分けて二つ。ここまでは分かるか?」
エリックはまた、通りを見下ろしながら、ミリィに尋ねた。
「うん。《クイーン》と普通のモンスターだよね」
ミリィが胸ポケットに入っていたメモ帳をめくりながら答える。
メモ帳をめくっている時点で分かっているとは言えない気もするが、そこには突っ込んではいけないのだろう。
「簡単に言えば、《クイーン》はダンジョンの主……つまり、女王蜂に値するわけだ。卵を産み続け、ひたすら、自分の巣を強くする。生まれた子たちが、食料を集めに行ったり、卵を育てたり、巣を作ったり、と働き蜂の仕事をする」
エリックは指を折りながら説明する。
この説明の仕方は、かつて、自分にダンジョンの話を聞かせてくれた銀遊士の受け売りだ。蜂での説明は分かりやすかったから、この範囲なら、エリックの得意分野ともいえる。
説明を聞きながらミリィがひたすら頷いているのが可愛く見える。
「モンスターたちは巣の強化と同時に次の《クイーン》を育ててるんだよね?」
ミリィが再びメモ帳を見ながら、言う。
蜂と同じと考えれば、分かりやすいことなのだが、きっと蜂のこともよく理解していないのだろう。エリックは言葉を慎重に選んだ。
「その通り。次の女王を育てる。次世代の《クイーン》が育ったら巣はどうなる?」
エリックの質問にミリィは眉根を寄せて、うんうん、唸り始めた。
その仕草はやはり、幼い子供のようだ。それなのに、実技だとエリックを簡単に飛び越えていくのだから、不思議だ。
「分からん……」
ミリィがメモを閉じて、腕を伸ばす。
「卵が今までの二倍になるんだぞ?」
エリックは指を二本たてて、ミリィに見せた。
ミリィも同じように指を二本にしている。可愛いが、そういうことではない。
「忙しくなるよね」
「よし、四人家族だったところに八人住めるかっていう例えにしたら、分かりやすいかな?」
エリックの言葉にミリィがひらめいたように顔を上げた。
「そっか! 巣が狭くなるんだ!」
そう。モンスターも住処が狭くなれば引越しをする。
これも蜂と同じなのだが、巣別れをするのだ。今までの《クイーン》について、巣を出ていくものと、新しい《クイーン》と共に巣に残るもの。
巣別れはほとんど春に行われる。だから、雨季も通り過ぎればもう巣別れなどお目にかけなくて済むだろう。
人間から言えば、巣別れの時期が一番怖い。
どんなに村や町の周りを堀や塀で固めようとも、いつの間にかダンジョンが町中に現れたりする。だから、毎日の見回りが必要になってくるのだ。
「その通り。《クイーン》の引っ越しには攻撃的なモンスターの側近が付くから要注意だぞ」
大まかな流れさえ合っていれば大丈夫だろう。
何せ、ほとんどが記述式だ。正しい答え方なんてない。
「ボクでも何となく分かったぞ。エリックは頭がいいんだな」
ミリィの言葉にエリックは目を白黒させた。
頭がいいなど、あまり言われたことがない。教会での成績は中の下といったところだろうか。頭がいいなどとは口が裂けても言えない。
「そんなことはない、と思う。ただ、興味がある物事に関しては丸暗記してるだけだろうから」
銀遊士が語ってくれた話を今でも鮮明に思い出すことが出来る。
それと同じように興味があるものに対しては不思議と忘れるようなことがないのだ。呆れられてしまうかもしれないが。だから、興味がない科目は普通に勉強しても、まずまずの結果しか得られない。
「いや、エリック。君自身がまず認めてあげなければいけないと思うよ。君は頭がいい」
ミリィが二ッと笑った。
照れくさくなって、森へと視線を流した。
「明日のテスト、頑張れよ?」
頬が熱いのは気のせいだろう、エリックは自分に言い聞かせた。
ミリィが了解、と可愛い声で返事をするのを聞きながら、エリックはゆっくりと息を吐いた。直ぐに浮かれてしまうのは悪い癖だ。