明日を愛でながら「芽」に想いを馳せる
そこは地球にあるかもしれない。ないかもしれない。気のせいかもしれない。そうでないかもしれない。
そこはきっと人と繋がっている世界。人に似たモノの、しかし人でないモノの住む、どこか曖昧で朧な世界。
これは、そんな大きな世界の小さな話。
ひょいと柵をくぐれば、そこは目眩を起こしそうな世界。どこまでも終わりが見えないと錯覚させるほど広大な庭園。けれどそれは、同時に誇らしくも思えるもので。
まだ慣れずに圧倒されていたセーラは、ややして気を取り直した。彼女に与えられていたジョウロを片手に、胸を張り髪を揺らして歩き出す。
彼女の仕事はここの植物への水やりだ。とはいえ一人で担当出来る規模でなく、時間や場所は当番制となっている。彼女が任されたのは夕方、隅の一画であった。ここの植物は“特別”だから、朝昼夜、欠かさず水やりをすることになっている。
「セーラ!」
「ひゃ!?」
何の前触れもなく上から降ってきた少年。
金色の彼の髪は夕日に照らされキラキラと眩しい。しかし見とれている場合でなく、ジョウロを落としそうになったセーラはキッと彼を睨みつけた。
「ターク! ビックリさせないでよ」
「ビックリさせたかったんだから、ビックリしてくれなきゃ意味ないだろ?」
「もうっ。それに何でここにいるの?」
タークの当番は確か昼のはずだ。普通ならいつまでもこの庭園にいるはずがない。
そう指摘すると、彼はギクリと肩辺りを強張らせた。曖昧に笑ってみせる。
「今日は風が気持ち良くてね」
「……また寝てたんだ」
「あはははっ、まさか、いやそんなことこれっぽっちも全然全く壊滅的にナイデスヨ」
笑い声がわざとらしすぎてどうしようもない。セーラはため息を飲み込むに留めた。彼も一応仕事をサボったわけでなく、あくまでも仕事の後に寝たのだろうからまだ許せるというものだ。――ここの樹の上で寝ていたというのは、あまり感心出来ることではないけれど。
「それよりさ」
「何?」
「こっち!」
「え?」
呆れていたセーラを気にした様子もなく、タークは彼女の腕を引っ張った。そのまま走り出すのでセーラは慌ててジョウロを支える。抵抗する気にはなれなかった。いつものことで慣れているし、セーラには彼の手を振り解くほどの力もない。
(全くもう)
同い年だというのにこの少年はいつでも勝手だ。セーラは未だに幼さの残る彼の横顔を見、今度こそため息をついた。
連れてこられたのはタークの担当地。ちらほらと小さな芽が顔を覗かせている。
この芽は人間たちの夢であり希望であり願いだ。セーラたちはそう教えられている。そしてその芽が樹となり花となり実るまで、しっかり見守るのが仕事なのだと。
「ほら、見ろよこれ」
タークが得意げに言うものだから、セーラもじっと彼の示す方へ目をこらした。小さくも若々しい芽が淡く光っている。しかしここからでは光の中身までは見えない。さらに近くに行けば光の中身を――夢の内容を知ることが出来るのだが。
「なぁに、これ」
「へっへー。トカゲになる夢だってよ」
「……は?」
思いがけない言葉にセーラは目を丸くした。楽しげなタークの言葉を反芻。確認。
トカゲ。トカゲって言った。確かに言った。
「何でそんなもの見せて自慢げなの!?」
「え、だって気になるだろ。何でこの少年はトカゲになりたいのか。何ていうか、訳のわからないスケールのデカさを感じない?」
「その子がトカゲになったら両親が嘆き悲しむよ……」
「でも二つ下の弟くんは喜ぶかもしれないぞ。ほらあれ。イグアナになりたいんだって」
「…………」
タークは「よくわからないけど魂の絆みたいなものを感じるよなー」と笑っている。結局ターク自身、何一つわかっていないらしい。呆れすぎて反応に困る。だがまあ、子供の夢がコロコロと様々に彩るのはそう珍しいことでない。きっとこれもそんな中の一例なのだろう。セーラは自分に言い聞かせた。
「それで?」
「ん?」
「他にはないの?」
まさかこれを見せるためだけに連れてきたわけではあるまい。それで仕事の時間を邪魔したのだったら許さない。
そんな思いを込めて聞いたのだが、鈍感な彼には届いていないようだった。彼はニッと笑い、また違う方を指差す。
「これとかどーよ。可愛い彼女がほしい」
「えっと」
平凡でありながらも切実で可愛らしい願いだ。
「ただし三次元は諦めたので二次元でいいです、むしろ二次元がいいです」
「オタクでしょそれ!?」
「働きたくないです、むしろ働いたら負けです」
「もはやニートじゃない! よく見たらその芽、ちょっと枯れかけてるし!」
「男らしい意地だよな」
「違うよ!」
どんなに怒鳴っても彼は笑うだけ。一方、セーラはツッコむたびに疲労が溜まっていく。タークが世話をしているからこうなったのではないかと若干疑ってしまった。セーラたちの仕事はあくまでも水やりと観察で、芽の内容を変えることなど出来ないはずなのだが。
「もう……変なのばかり……」
「変なんかじゃないよ」
「……ターク?」
「変じゃない」
きっぱりと言った彼の口調は強く、だが優しかった。タークは庭園を見回す。その瞳は穏やか。風に揺れる彼の髪は気持ち良さそうだ。
「例えば、この樹。これも最初は枯れかけてたんだ。でも今じゃこの通り、どーんと立派に育ったろ?」
「ほんとだ……」
「それとあの芽。病気がちな女の子でしおれそうだったけど、それでも今、しっかり育ってる。強く伸びていこうとしている」
きれいに透き通るような葉で溢れた樹。小さくも優しい色で背を伸ばす芽。そのどれもがタークの言う通りで、セーラは胸の奥がじんとした。息を吸い込めば、豊かな香りが誇らしさと満足感で肺を満たしてくれる。
セーラは知っていた。タークがこの庭園にある植物たちをいつもいとおしそうに見ていることを。樹の上で眠るのだって、本当はその樹にたくさんの「ありがとう」と「おめでとう」を伝えたいからだということを。
「中にはやっぱり潰れちゃう芽もある。でも芽が出ている限り、みんな何だかんだいって必死なんだよな。一生懸命なんだ。……芽がある限り、可能性はある。その希望や可能性が、きっと明日へ、また明日へって繋げていくんだよ。だから俺はこの庭園が大好きなんだ」
「……うん。私も好き」
小さくうなずき、セーラはジョウロを握りしめた。見渡す限りに広がる庭園。そこで芽吹く植物たち。夕日に照らされたそれらは温かい。風を受けるそれらは優しい。全てが力強く必死に生きている。
今、自分もタークと同じ瞳をしているのだろうか。そんなことをぼんやり考えたセーラは、タークがこちらを見ていることに気づいた。首を傾げて見上げれば、彼は微笑う。
「俺たちもそうやって、一緒に明日を繋げていければいいよな」
彼の瞳は、真っ直ぐにこちらを見ていて。
「ここの世話をしながらたくさんの夢や希望を応援して、俺たち自身も自分たちの夢や希望に向かって精一杯伸びて。一緒に力強い明日を創っていくんだ」
「え……?」
「君と明日を、そしてその先もずっと一緒に過ごしたい」
「ター、ク」
「――って、いつか言えばカッコいいプロポーズになるのかな。どう思う? やっぱクサすぎっ?」
!?
あっさり笑われ、セーラは頭の中が真っ白になった。目を丸くすることすら出来ずにその場に立ち尽くす。次第に追いついてくる思考。真面目な顔でいきなり何を言い出すのかと思ったら。
(予行演習!?)
からかわれたのだ。ようやく認識し、恥ずかしさと悔しさが同時に爆発して言葉にならない。顔中が真っ赤になるのがわかった。穴があったら入りたい。むしろ今のセーラなら素手で掘れる自信がある。
「どうしたんだよ、セーラ。顔赤いぞ?」
「何でもない!」
「何か怒ってるだろ?」
「何でもないってば!」
怒鳴るようにし、セーラはタークに背を向けた。小走りで駆け出す。とにかく一刻も早くこの場を去ってしまいたい!
「おい、どこ行くんだ?」
「仕事! ……それから、あーゆうセリフはちゃんと相手を選んで言ってよねっ」
振り向きはしない。どうせ顔は赤い。火照るように熱いのだから見なくてもわかる。そしてこんな顔を見られたくはなかった。タークにからかわれるなんて悔しくて嫌なのだ。
「……相手は選んだつもりなんだけどな。ただ、俺たちはまだ結婚出来る歳じゃないし。だからいつか、って言ったろ」
後ろでそんな呟きが聞こえ、――セーラはますます足を速めた。ジョウロから水がこぼれ落ちようと気にしない。ひたすら風を切って突っ走る。
(違う、こんなに顔が熱いのは走ってるから! 耳まで赤いのは夕日が眩しいからっ!)
さて、明日はどんな顔をして彼に会えばいいだろうか?