第九十一節 権輿
「――それで、あんたは本当に旅に出るつもりなのか?」
“喰神の烙印”を継承する“始祖”。その“始祖”割り当てられる家屋に戻って来たルシトは、テーブルを挟んで対面にある椅子に腰を掛け、自身の扱う棍の手入れをしていたビアンカに問い掛ける。
真剣な面持ちで棍に亀裂などが入っていないか状態を確認しつつ、布を使って拭きあげていたビアンカは――、ルシトの問い掛けの声に棍に向けていた翡翠色の瞳を上げてルシトを見やる。
ビアンカは、ルシトの問いに頷いて返事をした。
「うん。旅を、しようと思うわ……」
ビアンカは持っていた棍をテーブルに立てかけ、静かな声音で言う。
「ハルの――、旅の間の軌跡を。私も歩んでみたい」
「ふーん……?」
ビアンカから戻って来た言葉に、ルシトは興味なさげな雰囲気で声を漏らしていた。
「あんたの旅の目的は――、ハルの生まれ変わりとの再会……、だろ?」
ルシトは赤い瞳を細め、ビアンカに再度問い掛ける。
再三の問いにビアンカは、微かに笑みを浮かべる。その笑みは然りを意味するものだと。ルシトはそう察した。
「あいつ――ハルの魂は確かに“喰神の烙印”の呪縛から解放されたけれど。再会できる保証はないよ?」
ルシトは――、ビアンカ以上に世界が広いことを周知している。
広い世界の中で、たった一人の人間。しかも生まれ変わりをし、全くの別人となってしまうであろう人物を探し出すことが、非常に困難なことであることを――。そのことを認知し、ビアンカに「それが分かっているのか?」――と、そう言いたげにしていた。
「それ――。同じようなことを“魂の解放の儀”の時に、“喰神の烙印”の呪いにも言われたわ」
言いながらビアンカは苦笑いを浮かべる。
――『生まれ変わりで再び巡り合える可能性など――、無きに等しい確率かも知れないぞ?』
“魂の解放の儀”の中で、“喰神の烙印”の呪いが発していた言葉。
その言葉の意味は、今ルシトが口にした通り、保証も確約も何もないものであった。
だが――、ビアンカは決してあり得ないものではないと、信じていた。
それは、“魂の解放の儀”の最後の最後で――、ハルと再び巡り合う約束を交わしたから。
たったそれだけの、“約束をしたから”という思いから来る定見だった。
「私は……、永い時を生きることを余儀なくされた。ううん……、許されたって言うのかな……?」
本来であれば、“リベリア解放軍”の手にかかり、命を落としていたかも知れないビアンカ――。
そんなビアンカは、ハルから“喰神の烙印”の呪いを継承するという形で命を繋ぎ、不老不死の身体を手に入れ――、老いも死も知らない人間と呼べざる存在になっていた。
「――限りのない命の時間を、ハルに与えられたから。この命を――、ハルのために。彼と交わした再会の約束を果たすために、使いたい」
革の手袋を嵌めた自身の左手の甲を慈しむように触れながら、ビアンカは静かな口調で語る。
ビアンカの声音は――、揺るぎのない決意を宿していることを、ルシトは感じ取っていた。
「永い時を生き続ければ、いずれはハルの生まれ変わりに逢えるかも知れない。――だから、私は行くわ」
「あっそ。勝手にすれば?」
決意を宿したビアンカの翡翠色の瞳に見据えられ、ルシトは嘆息する。
酷く呆れの混ざった返答をルシトにされ、ビアンカは苦笑してしまう。
投げるようなルシトの返答に苦笑いを見せるビアンカを、ルシトは見つめ赤い瞳を細める。
「但し、自分の受け継いだ呪いの力の使い方は見誤らないように。その呪いは厄介すぎる……」
“魂の解放の儀”の際に見せつけられた、“喰神の烙印”の魔力の強さ――。
そうして、“喰神の烙印”の呪い自体が持つ、宿主の意思を反した性質の数々を思い、ルシトはビアンカに諭すように言葉を向ける。
「自分の宿す呪いが、“身近な者たちに不幸を撒き散らし死に至らしめるもの”だということを。そういう存在に自分自身がなってしまったことを。くれぐれも忘れないように」
ルシトの言葉を受け、ビアンカは眉を寄せつつも、頷く。
一所に長くいてはいけない。そんな存在になってしまったこと。
なるべくであるならば――、親しい人間を作らないこと。
それをビアンカは、聡く察していた。
今まで多くの人々に囲まれ、不自由なく育ってきたビアンカにとって、親しい者を作り、人と触れ合う機会を作ってはいけないという所業は――、酷なものであった。
だけれども、致し方あるまいという――。どこか諦めに近い思いを抱いていた。
「ルシト。あなたとは――、また逢えるかしら?」
そんな思いの中で、フッとビアンカに沸き上がった疑問。
ルシトであれば――、“喰神の烙印”の呪いが通用しない存在である。
そのためにビアンカには、今、唯一親しくしても問題のない人物が――目の前にいるルシトだと。そう思ったのだった。
ビアンカからの投げ掛けられた疑問の言葉に、ルシトは彼らしい面倒くさげな表情を窺わせる。
「僕とあんたが再会する時は――、何かの厄介事が起きた時だ」
ビアンカに見据えられたルシトは――、自身の瞳を伏せ気味にしてビアンカから逸らし、そう口にした。
「だから、なるべくならば。僕は――、あんたとの再会を望まない……」
ビアンカの期待を一蹴りにするルシトの言葉は、彼が『調停者』として動かなければならない事態のことを揶揄していた。
ビアンカとの再会。その時は、何かしらの災厄がビアンカを取り巻いた際だと――。そう口には出さないものの、ルシトは暗喩する。
「そっか……」
そんなルシトからの返答に、ビアンカはどこか寂しげにして呟きを零す。
ビアンカの様子を伏せた瞳から傍目にし、ルシトは「ちっ」――と、舌打ちをする。
「だけれど……、先にも少し言ったように、“呪い持ち”を我欲のために狙う奴らや、“呪い持ち”の持つ呪いの力自体を狙う輩も多くいる――」
ルシトは瞳を伏したまま、仕方なさげな雰囲気を醸し出しながら言葉を続けた。
「あんたは、これから永い時を生き続けなければならない。少なからず――、そういう事態に巻き込まれることは多くあるだろう。だから、そこで出会う確率は高いだろうな。僕が望もうが望むまいが、関係なく」
言いながら、ルシトは伏せていた瞳を上げて、再びビアンカを見つめる。そのルシトの表情には――、微かな笑みが浮かべられていた。
ルシトの表情を目にして、ビアンカはキョトンとした面持ちを見せる。
「うん。また逢えるのを楽しみにしているわ」
呆気に取られたビアンカであったが、ルシトからの返しの言葉に笑みを作って嬉しそうに返事をした。
「だから、また僕とあんたが逢う時は、あんたが面倒事に巻き込まれた時だって言っているだろう。本当にあんたは頭が悪いな……」
嫌味混じりに返されるルシトの言葉。それを聞き、ビアンカはくすくす笑うのだった。
(――ルシトは……、本当に素直じゃないなあ……)
ルシトの照れ隠しなのであろう言い分を聞き、ビアンカは内心で苦笑してしまう。
「全く――、何がそんなに可笑しいんだか。理解できないね」
笑いを零すビアンカを目にして、ルシトは溜息を吐き出す。
そして、気を改めたようにルシトは再びビアンカを見据える。
「それで、いつ頃にここを出るんだい?」
「……そうね。今日か明日か――、準備ができ次第に出るつもりよ」
不意にルシトから投げ掛けられた問いに、ビアンカは考える様を一瞬見せつつ答える。
「もし、行先の決まっていない旅に出るならば――、一度この東の大陸を出てしまった方が良いと思う。リベリア公国が滅びたことで、暫く東の大陸は混乱するはずだからな」
ルシトの言葉を聞き、ビアンカは眉を顰めた。
ビアンカがリベリア公国という国を滅亡に導いたことは――、一部の人間しか知らない事柄であった。
一つの国が突如滅びた。その滅びた原因は、常人には理解しがたい不可解な現象とされるであろう。その滅びるに至った真相を明らかにするため、東の大陸は暫くの間、混乱を来すだろうことは火を見るよりも明らかだった。
ここでカーナ騎士皇国や近隣諸国の徹底的な調査が行われれば――、偶々遠方の砦などで待機をしていたリベリア公国の生き残りの者たちにも、調査の手が回るはずである。
もしも、そのようなことになれば――、ビアンカの存在が露見する可能性も孕んでいた。
ビアンカも、それを察し――、頷いて応じるしかなかった。
(――そうよね。カーナ騎士皇国領に入る時にも、私は憲兵の人たちにリベリア公国が滅びたことを話してしまったし……)
ビアンカは、自身がカーナ騎士皇国領に入る際に、リベリア公国とカーナ騎士皇国の国境で憲兵として詰めていたリベリア公国の者たちと出会っていたことを思い出す。
「港町まで行くなら――、送っていくよ……」
ルシトの提案に――、ビアンカは驚いた様相を見せ、ルシトを一瞥する。
だが、すぐに嬉しそうにして、ビアンカはありがたくルシトの申し出を受けるのであった。




