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第九十節 私心

 夜も明け、朝が訪れた時間――。

 朝方の清々しさを感じさせる空気と風が、“喰神(くいがみ)の烙印”を伝承する隠れ里の中を吹き抜ける。


 その清らかさを思わせる空気を感じながら――、ビアンカはルシトと共に、隠れ里の集会所へと足を運んでいた。


 集会所の中には、既に数人の里の者と、奥にある演壇に鎮座する里長代理を務めている二コラの姿があった。

 その場に集まっている皆が皆、硬い表情を浮かべており、昨夜執行された“喰神(くいがみ)の烙印”の呪いに魂を喰われた者を解放する禁忌――。“魂の解放の儀”に関しての報告を待ち侘びている様子を、ビアンカは窺い知る。


「――“魂の解放の儀”は……、無事にハルの魂を解放させることで、私の成し遂げたいことは成功に終わりました」


 初めて集会所へ訪れた時と同様に、ビアンカは演壇に胡坐(あぐら)をかき腰掛ける二コラの元に歩み寄り――、静かな声音で“魂の解放の儀”の成功報告を行う。

 すると――、二コラは安堵の表情を露わにし、集まっていた里の者たちも喜ばしげにざわつく。


「そうしましたら、ビアンカ様……」


 二コラが言おうとしたことをビアンカは()し量り、頷きを見せる。


 “喰神(くいがみ)の烙印”を伝承する隠れ里が、新たな“始祖”を欲していることは――、前日からの話でビアンカも重々承知していた。

 そうして、“喰神(くいがみ)の烙印”の継承者であるビアンカに、隠れ里の“始祖”となることを、隠れ里の里長代理である二コラを含め、里の者たちの誰しもが望んでいることを彼女は察している。


 そのことを分かっていてビアンカは、取引として自身が“始祖”となる代わりに、隠れ里で禁忌とされている“魂の解放の儀”を執り行うことを許されていた――。


「――“始祖”になるという約束は守ります……」


 翡翠色の瞳を伏せ気味にしてビアンカは言う。

 そのビアンカの言葉に、二コラは安堵を見せていた面持ちを、更に喜ばしげに綻ばせた。


 しかし――。


「ただ、“始祖”にはなりますが――。私は、世界を見て周る旅に出ようと思います」


「な……っ?!」


 ビアンカが続けざまに発した言葉に、二コラは目を大きく見開き絶句する。

 ビアンカの発言に、里の者たちもどよめきを起こしていた。


「しかし、それでは……っ?!」


 約束が違う――と。そう二コラが抗議の言葉を口にしようとしたが、焦りの様相を見せる二コラにビアンカは目を向け、ニッコリと笑いかけた。


「だって、二コラさん。あなたが昨日のお話しで言っていたじゃないですか。『“始祖”が世界見聞の旅に出奔することは、歴代で多くあった』って――」


 二コラに翡翠色の眼差しを向けるビアンカは、どこか意地悪げな笑みを浮かべる。


「だから、私も世界を知るため。そして、新しく成し遂げたいことができたので――、それを果たすために旅をします」


 ビアンカの言葉に、二コラは呆気に取られていた。二コラは、まさか前日に自身が話をした内容の揚げ足を取り、ビアンカがさようなことを言い出すとは夢にも思っていなかったのであろう。

 呆気に取られた様相と焦燥の様を見せる二コラは、微かに身を戦慄(わなな)かせる。


 その二コラの様子を見て、ビアンカの後ろに控えていたルシトが、可笑しそうに肩を震わせて笑いを堪えていた。


「“喰神の烙印(あいつ)”が言っていた通り――、『女の方が存外(したた)かで恐ろしい』というのは本当だな……」


 ルシトは可笑しそうにしつつ、ぼそりと呟く。

 ルシトの呟きを耳にしたビアンカは、「ふふ……」っと小さく笑い声を零した。


「これで約束は――、(たが)えていませんよね。二コラさん?」


 黙したまま返答をせずに身を震わせる二コラに、ビアンカは問う。


「あ、でも、あれですよね。“始祖”の(めい)は絶対なので――、“眷属”の方々は反対のしようがない、ですよね……?」


 あたかも今思い出した――、と言わんばかりに、ビアンカは小首を傾げる仕草を見せ、二コラに更に追い打ちを掛けるように言葉を発する。


 勿論――、ビアンカは自身が口にした言葉の意味を、良く推知していた。

 “喰神(くいがみ)の烙印”の呪いによる加護を受ける立場にいる“眷属”たちが、その加護を与える役割を担う“始祖”の命令に背けないことを――。

 そのことを分かっていてビアンカは、敢えて他の“眷属”である里の住人たちがいる前で、“始祖”の言葉は絶対であり抗う術はない――、ということを周知させるため、二コラに対し疑問という形で問い掛けていたのだった。


 だが、ビアンカの問い掛けに――、二コラは悔しげな苦々しい面持ちのまま、何も答えなかった。


 何も返答をしてこない二コラに、ビアンカは仕方なさそうに溜息を吐き出す。


「――私は、別にこの隠れ里に()()()()()()()()()と言っているわけではないんですよ……?」


 ビアンカは、冷静でいて――、どこか冷たさを秘めた声音で言う。


「いずれ――、目的を果たせたら、戻って来るかも知れませんし……」


 それは、全く確約のないビアンカの私心――、我儘であった。


 “喰神(くいがみ)の烙印”の呪いを伝承する隠れ里が、“喰神(くいがみ)の烙印”を継承し、新たな“始祖”となった自分自身を必要としていることは、ビアンカも(りょう)している。

 それ故に――、“始祖”という立場に就くつもりのなかったビアンカに、いずれは戻って来て“始祖”の役割を果たそうという妥協ともいえる提案と言えるものだった。


(――まあ……、実際に戻って来るかは、分からないけれどね……)


 ビアンカは瞳を伏せがちにして、内心で密かに思う。


 ビアンカの成し遂げたいことは明白であった。


 “魂の解放の儀”の最中で、輪廻転生の輪に還っていったハルとの、再会の約束を果たすこと――。


 それが、ビアンカの旅に出ると言い出した理由だった。


 だがしかし――、それは成し遂げるまでに、どのくらいの年月を必要とするものなのかは、誰にも分からないものである。

 何十年、何百年。下手をすれば、それ以上の気が遠くなるほどの年月を要する事柄となるであろうことは、間違いのないものであると。ビアンカは考えていた。


 伏せていた瞳を再びビアンカは二コラに向けるものの、二コラは一向に返答をしてこようとしなかった。

 その二コラの様子に、ビアンカは嘆息(たんそく)する。


 すると――、場の空気に耐えかねたのか、ルシトが一歩前に歩み出て二コラを見据えた。


「あんたの負けだよ、里長代理。こいつは――、言い出したら梃子(てこ)でも動かないぞ」


 ルシトは、呆れた様子の声音で、黙したままでいた二コラを諭す。


「まあ、こいつがいつ戻って来るのか。それとも戻って来ないのか――。それは分からないけれども……」


 ルシトは言いながら、ビアンカにも呆れの混ざった眼差しを向ける。


「あんたたちからしてみたら、“始祖”が直々に出奔を申し出てくれているだけ、マシなんじゃないのか?」


 ルシトの言葉は、かつて“喰神(くいがみ)の烙印”の呪いを伝承する隠れ里で、“始祖”の立場にいたハルが何も言わず逃げるようにして隠れ里から姿を消した――、という事態のことを揶揄(やゆ)するものだった。

 “始祖”が突然いなくなり混乱を来し、どこに行ってしまったのか分からない。そんな事態よりはマシであろうと、ルシトの言葉は意味していた。


 そのルシトの言葉に――、(こうべ)を落とし戦慄(わなな)きを見せていた二コラは頭を上げ、暗然とした深い溜息を吐き出す。


「――分かりました。神官将様の(おっしゃ)ることも(もっと)もであります……」


 力なく二コラの発した言葉は、はなはだ仕方のない――、という様を物語っていた。


「そして――、ビアンカ様の(おっしゃ)る通り、我ら“眷属”は“始祖”様の申し出を断ることのできる立場におりませぬ……」


 二コラはビアンカに目を向け、小さく呟く。

 ビアンカは、二コラのその言葉に対して、微笑みを浮かべる。


「ごめんなさいね、二コラさん。――なので、まだ暫くの間は、里長代理として二コラさんに頑張ってほしいです。これは、“始祖”の命令として、言い渡します」


「承知いたしました。“始祖”様――」


 ビアンカの意思の強い声音で発せられた“始祖”としての(めい)――。

 その直々の(めい)に、二コラは深々と頭を下げ、承諾するのだった。


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