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死ニ至ル呪イ~望郷の想い出~  作者: 那周 ノン
第二章【平穏な日常】
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第九節 乳母①

 それは、四年前の出来事だった――。


 その日は、リベリア公国の将軍――ミハイルに連れられ、ハルが初めてミハイルの屋敷であるウェーバー邸へ、“家族”として迎えられた日であった。



「――ビアンカお嬢様の“お友達”として殿方を連れて来られるとは、いったいどういうことですかっ?!」


 ウェーバー邸の広間(サルーン)。そこで、恰幅(かっぷく)の良い体格をした乳母――マリアージュの、ヒステリックとも取れる荒い声が上がった。

 声を荒げるマリアージュの前に立つ(あるじ)であるはずのミハイルは、彼女の鬼気迫る迫力に「参ったな……」――と。そう言わんばかりの苦笑いを浮かべる。


 ハルがウェーバー邸に、初めて訪れたその日の夜。リベリア国王の元へ、南方にある国境付近の砦での視察と、カーナ騎士皇国の動向調査結果の報告を終え、ウェーバー邸へ戻ってきたミハイルによって、ハルのことが屋敷に仕える者たちに紹介された。

 その紹介の直後。マリアージュが凄まじい勢いでミハイルに対し、声を大きく荒げ――、今に至っていた。



 乳母であるマリアージュは、ビアンカが産まれたばかりの頃から、ウェーバー邸に仕えている。


 ミハイルの妻であり、ビアンカの母親であったカタリナは、生来から虚弱な体質故、病気がちで、(とこ)()せっていることが多かった。

 そして、病弱であったウェーバー家の奥方――、カタリナの代わりに、マリアージュはビアンカの世話を一身に請け負ったのである。


 カタリナが病気で他界した後も、マリアージュはビアンカを自身の本当の娘のように可愛がり、時に優しく、時に厳しくビアンカに接していた。騎士の家系の嫡子――、貴族の令嬢として。それに相応しい礼儀作法の躾や読み書き、刺繍。教養一般も、当初は全てマリアージュが執り行っていたのだった。


 マリアージュのビアンカに対する溺愛ぶりは、仕えている(あるじ)であり、ビアンカの実の父親であるはずのミハイルに対してまで、抗議の声を荒げるほどとなっていた。


 今は特に、ビアンカがハルという出自も不明な異性と交流することに対し、至極憤慨していることが見て取れた。

 そんなマリアージュの憤慨の様を、初老の執事――ノーマンも、メイドたち一同も、口を一切挟めず、苦笑交じりに見守る。


「もし、ビアンカお嬢様に何かあったら、どうなさるおつもりなのですかっ!」


 マリアージュは怒り冷め止まぬ様子で、立て続けにミハイルに言葉を投げ掛ける。


 マリアージュから敵意を隠そうともせず丸出しにされ、自分という存在に文句を言われているハルも、何も言えずに呆気に取られてしまう。

 当の話題に上がっているビアンカはというと――、今までにない気迫で、父親であるミハイルに怒りをぶつけているマリアージュの様相に、(おのの)いた面持ちを浮かべ、ハルの影に隠れるように身を潜めていた。



 ミハイルが「はぁ……」っと。深い溜息を吐き出す。その溜息は――、「そろそろいい加減にしてほしい」というミハイルの内心を、雄弁に物語る。


「――マリアージュ。そこまでビアンカを心配する気持ちも分かる……」


 ミハイルは、声を荒げるマリアージュとは正反対な静かな声音で、彼女を諭すように言う。


「だが、ハル君なら心配はいらない。彼はそんな失態を起こす人物ではない。それは私が保証しよう――」


「ですが……っ!!」


「私が見込んで連れてきた少年だ。そんなに心配をする必要はない」


 マリアージュはなおも物言いたげであったが――、ミハイルは片手を静かに掲げ、それを制する。


「現に見てみると良い。いつもであれば君の言及や叱責の際には必ずと言っていいほど私の影に隠れるビアンカが――、今どこにいると思う?」


 ミハイルの諭しの言葉。その言葉にマリアージュは我に返ったようで、はたと目を見張る。そして、ビアンカがミハイルの後ろにいないことに気付く。


 いつもであれば、今のようなマリアージュからのミハイルに対しての言及や、ビアンカに対しての叱責の際には、必ずビアンカはミハイルの影に隠れる。だが、今日に限っては――、そのビアンカの姿が、ミハイルの背後に見止められなかった。


 マリアージュは呆然とした表情で一巡、頭を動かしながら視線を彷徨(さまよ)わせる。


 マリアージュはそこで初めて、ビアンカがハルの影で――、彼の服の裾を掴むようにして隠れ、(おのの)いた様子で自身に翡翠色の瞳を向けているのを目にする。

 そのビアンカの隠れ場所に、マリアージュは目を丸くし、驚いたような表情を浮かべた。


「――これで分かっただろう……?」


 驚いた様子のマリアージュを見て、ミハイルは苦笑していた。


「ビアンカとハル君は、もう打ち解けて仲良くなっている。今更、君が何か言及しても仕方のないことだと思わないか?」


 ミハイルの言葉に、今度はマリアージュが深い溜息を吐き出す。マリアージュの溜息は、本当に仕方がない――と。さような雰囲気を醸し出していた。


「分かりました……、仕方ないですね……」


 マリアージュは、本当に仕方なさそうに、無念とも言える声音で言葉を零す。


 そして、ハルに肉付きの良い身体を向け直し――、深々と会釈をした。


「申し遅れました。私――、ビアンカお嬢様の乳母をさせていただいております。マリアージュと申します。以後よろしくお願いいたしますね。――ハル坊ちゃん」


「……坊ちゃんって」


 マリアージュの先ほどのまで見せていた鬼気迫る気迫とは打って変わった、物静かな声音での自己紹介にハルは苦笑いを見せた。

 しかも唐突に『ハル坊ちゃん』などと呼ばれてしまい、ハルはこそばゆさを感じてしまう。


「普通にハルって呼び捨てにしてください。マリアージュさん」


 流石に『坊ちゃん』呼びは恥ずかしいと思い、そう言葉を返したハル。そんなハルに、マリアージュはニッコリと笑顔を見せる。


「いいえ――。ビアンカお嬢様の大切な“お友達”、ですからね。ハル坊ちゃんとお呼びさせていただきますわ」


 マリアージュは笑顔を崩さずに答える――。


(あ、これは地味な嫌がらせだ……)


 ハルは、そのマリアージュの貼り付けたような印象を受ける笑顔と返答で悟った。

 乳母であるマリアージュと打ち解けるのは難関そうだと、ハルは感じる。


 そんな二人のやり取りを――、ミハイル含む一同は、苦笑交じりの笑みを浮かべて見ていた。


今回は四年前の過去を振り返るお話となりました。

次話より、また現代パートに戻ります。

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