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第八十九節 試練の後に

 浅い溜息と共に――、ビアンカは薄く瞳を開く。


 ぼんやりとした意識の中で、自分がどこにいるのかをビアンカは一巡考えるが、すぐに夜明けを告げる光と心許ないランプの(あか)りに照らされた、薄暗い部屋のベッドで横になっていることに気が付いた。


(ああ……、“魂の解放の儀”が終わって。ハルは、本当に逝ってしまったのね……)


 全てが終わったと――。そう考え、ビアンカは自身の左手を掲げ上げ、その手の甲に刻まれる“喰神(くいがみ)の烙印”の赤黒い痣に目を向ける。


(――もう、()()に……ハルはいない……)


 そのことを思い、ビアンカは胸が締め付けられたような、苦しげな感覚を抱く。

 そうして、苦しい気持ちを抱きつつビアンカは、掲げ上げていた左手を鳩尾(みぞおち)に落とし、強く握りしめるのだった。


「“喰神(くいがみ)の烙印”の呪いの試練――。終わったみたいだね……」


 物悲しい気持ちに苛まれていたビアンカであったが、不意に彼女が目覚めたことに気付いたルシトの声がビアンカの耳に届く。


 ビアンカが声の聞こえた方へ、ベッドから身体を起こしながら目を向けると――、疲れた様子を窺わせて立つルシトの姿が目に入った。


「無事に何とか終わったみたいで、一安心だよ……」


 ルシトは言いながら、深い溜息を吐き出す。

 そのルシトの声音は弱々しく、酷く疲弊している状態をビアンカに悟らせる。


 ビアンカはルシトの状態を目にして、すぐにそれが何故(なにゆえ)なのかを察した。


(――ルシトは魔法をずっと使い続けて、私が“魂の解放の儀”が終わるまで気を張り詰めていたんだ……)


 “始祖”にあてがわれる家屋の周りに、万が一“喰神(くいがみ)の烙印”の呪いが暴走する結果になっても被害を最小限に抑えるための結界を張ったこと。

 ビアンカを“喰神(くいがみ)の烙印”の意識に送り込み、手ずから“魂の解放の儀”の執行をしたこと。

 そして、自らの意識までを“喰神(くいがみ)の烙印”の意識の中に送り込み、ビアンカの行動に介入し、“魂の解放の儀”の手助けをした。


 それらを行ったことで、ルシトがどれだけ魔法の力を行使したかを、ビアンカは()し量る。


「ルシト、あの――」


 ビアンカがルシトに、感謝と(ねぎら)いの言葉を掛けようとした瞬間だった。


「とりあえず、顔を洗ってきなよ。酷い顔――している……」


 ルシトはビアンカの言葉を遮るように言うと、手拭いをビアンカに投げつけるように渡してきた。

 ビアンカは投げつけられた手拭いに慌てて手を伸ばして受け取り、言い掛けていた言葉を(とど)めてしまう。


「あ、ありがとう……」


 呆気に取られた様子で、思わずビアンカは礼を口にする。

 そんなビアンカの礼の言葉に、ルシトは「ふん……」――と、瞳を逸らす仕草を見せていた。


「詳しい話は後で聞く。あんたが顔を洗ったりしている間――、僕は少し休ませてもらうから」


 そう素っ気ない態度で言いながら、ルシトはベッドの縁に(もた)れ掛かるように座り込む。


「ごめんなさい。ルシトも頑張ってくれて、ありがとう――」


 ルシトらしい態度だと、ビアンカは心中で思いつつ、改めてルシトに対して感謝と(ねぎら)いの言葉を掛けた。

 だが、ルシトはベッドの縁に寄り掛かり(こうべ)を落とし、黙したままで返事をすることはなかった。


 返事をしてこないルシトを傍目(はため)に、微かに笑いつつビアンカはベッドから立ち上がる。


 そこでビアンカは、フッと寝室に置いてあった姿見に映る自分自身の姿に気付いた。


 鏡に映る自分に目を向けると――、泣き腫らしたような赤い目元をしていた。“魂の解放の儀”に挑んでいる間に、ビアンカは泣いていたのだろう。

 そのことを、泣き腫らした赤い目元と、目の周りに残る涙の乾いた痕が雄弁に物語っていた。


(――本当、酷い顔している。凄く泣いたのね、私……)


 鏡に映る自分自身を見つめ、ビアンカは自身に対して嘲笑(ちょうしょう)するのだった。



   ◇◇◇



 寝室を後にしたビアンカは、ルシトに言われた通りに顔を洗い、眠っていたことで乱れた髪を整え結い上げ直す。

 そうして、暫しの間の休憩を取っていたルシトと共に、家屋の広間に当たる部屋でテーブルを挟み対面する形で椅子に腰掛けていた。


 ビアンカは対面に座るルシトに、“喰神(くいがみ)の烙印”の呪いによって(いざな)われた時代が、六百年以上前の過去であったこと。そこで、幼いハルと出会い、魔物に襲われかけていたハルを助けたこと――。

 “喰神(くいがみ)の烙印”の呪いによって知らされた、ハルの取った所業の真実の話を――。

 それと、無事にハルの魂を“喰神(くいがみ)の烙印”の呪縛から解き放ち――、輪廻転生の輪の中に還せたことを、事細かに語った。


 ルシトは――、ビアンカの語る話に、静かに耳を傾けていた。



「あんたとハルとの間には――、“円環の(ことわり)”が起こっていたみたいだね……」


 ビアンカが全ての話を終えた後、ルシトは考える様相を見せながら、そう口にした。


「“円環の(ことわり)”……?」


 聞いたことのない言葉に、ビアンカは不思議そうに首を傾げる。


「“円環の(ことわり)”は、始まりと終わりがどこだか分からない現象のことだ」


 ルシトは言いながら、テーブルの上に指先でぐるりと円を描く。


「よく、『卵が先か、鶏が先か』っていう、どちらが先に生まれたのかと揶揄(やゆ)を言うだろ。あれと似た事象のことだと思うと良い」


「その話と……、私とハルのことが関係あるの……?」


 ビアンカはルシトの言葉に、疑問を投げ掛ける。

 ルシトはビアンカの問いに、(しか)りの頷きで返す。


「――ハルがあんたに“喰神(くいがみ)の烙印”の呪いを、自分の魂を生贄に使って継承させたことで、あんたは“喰神(くいがみ)の烙印”の呪いに喰われたハルの魂を呪縛から解き放とうとして“魂の解放の儀”に挑んだ……」


 言いながらルシトは再びテーブルの上に、指先で円を描き始める。


「そうして、そのことによって、あんたは“喰神(くいがみ)の烙印”の呪いが持つ力によって、六百年以上もの過去の世界に飛ばされ――。そこでハルの命を救っている」


 指先で描いていた円を始まりの部分までなぞり、ルシトはビアンカを赤い瞳で見据えた。


「この現象は――、どこが始まりになる? そして、どこが終わりになる?」


 ビアンカはルシトが言いたいことを察し、「確かに……」――と、小さく言葉を零した。


 ルシトが話をした通り、ハルがビアンカに“喰神(くいがみ)の烙印”の呪いを自らの魂を生贄として差し出し継承させたことにより、ビアンカは命を繋ぎ止めていた。

 そのことによって、ビアンカは“喰神(くいがみ)の烙印”の呪いに魂を喰われ、そして囚われたハルの魂を解放させるために、“魂の解放の儀”に挑み――、“喰神(くいがみ)の烙印”が引き起こした事柄によって幼いハルと出会い、その命を救っている。


 それは、ルシトが指先で描いたような円の形を持ってして――、どこが始まりでどこが終わりなのかが分からない、永遠と続くような現象を起こしていた。


「極々稀に、この“円環の(ことわり)”の“宿命”を持って生まれてくる存在がいるとは聞いたことはあるけれど。まさか、あんたたちがその“宿命”を背負っているとはね……」


「それって……、変えることのできないものだったの……?」


 ルシトが溜息混じりに話をした事象に、ビアンカは眉を寄せ問い掛けた。


「“宿命”というのは『宿して生まれるもの』だ。これは生まれる前から決まっているもので――、決して変えることのできないものと言われている」


「そう、なんだ……。そうしたら、今までの出来事は……、抗っても変えられないことだったのね……」


 ビアンカは、どこか腑に落ちない気持ちを持ちつつ、物悲しげに言葉を零す。

 そんな様子のビアンカを見て、ルシトは瞳を細める仕草を見せて再び口を開く。


「――反対に“運命”は『生まれた後に決まるもの』であり、自身の行いによって如何様(いかよう)にも変えることができる。だから、“円環の(ことわり)”から抜け出した後のことは……、変えられる」


 そのルシトの言葉は――、まるで今後のビアンカが何をするかによって、彼女の行く末を左右するものだと。そう諭すようなものだった。


 ルシトの話を聞き、ビアンカは翡翠色の瞳に希望の色を宿し、ルシトに目を向けた。


「それじゃあ――、生まれ変わったハルに出会うことは……」


「それは恐らく――、“円環の(ことわり)”の範疇(はんちゅう)外なはず。これからのことは……、あんた次第じゃないかと僕は思う」


「そっか……」


 ルシトの返答を聞き、ビアンカは微かに笑みを浮かべ、安堵を窺わせるのだった。


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