第八十五節 旅の合間
東の大陸にあるカーナ騎士皇国領――。
その領内に存在する比較的大きな街に、赤茶色の髪に赤茶色の瞳を持つ少年――、ハルは暫しの期間、滞在していた。
黒を基調にした旅装を身に纏った旅姿のハルは、街の大通りの片隅にあるベンチに腰を掛け、物思いに耽る様子を窺わせる。
ハルの眼差しは、革の手袋が嵌められた自身の左手の甲に向けられていた。
(――そろそろ、この街にいるのも……、限界だな……)
街の中の噂話として耳に入る、カーナ騎士皇国の不穏な動きの数々――。
隣国との友好関係の悪化により、大きな戦が起こるかも知れないという人々の不安感からくる言葉を、ハルは滞在しているその街で多く聞くこととなった。
(こいつが俺と共にある限り――、血生臭い厄介事は、必ずと言っていいほど起こるからな……)
ハルは――、自身の宿した“喰神の烙印”の呪いの蠢くような気配を、己の左手の甲に感じながら思う。
“喰神の烙印”を伝承する隠れ里で、自身の五世の祖である人物が、“喰神の烙印”の呪いを継承する“継承の儀”を行うと言い出し、その継承権を巡って一年近くの間、ハルは自らの父親と争った。
その継承争いも、父親が流行り病で他界するという形で、呆気なくハルに“喰神の烙印”の継承権が回ってくることとなる。
その際に、“継承の儀”を執り行うにあたって、必要となる生贄の魂として――、ハルの母親が名乗りを上げた。
恐らくは、伴侶であった存在を亡くしたために、自暴自棄となった故の母親の所業であったのであろうが――。ハルには、母親の頑なの意思を止めることができなかった。
(――あれも、“喰神の烙印”が持つ、身近な者を不幸にする力のせいなんだろうな……)
今であれば、“喰神の烙印”の呪いが持つ性質が招いた、身近な者たちに不幸を撒き散らし死に至らしめる力のせいなのだろうと。ハルには理解できた。
だが――、ハルは“継承の儀”が行われる当初、理不尽な思いと悲しみを抱えながら、自身の母親の魂と引き換えにして、“喰神の烙印”の継承を受けていた。
“喰神の烙印”を五世の祖である人物から継承し、伝承の隠れ里を守る里長である“始祖”の立場を十数年ほど、ハルは担う。
“始祖”の役割を担ったその間も、ハルは焦燥感のようなものを常に抱き、過ごしていた。
“始祖”という立場にある里長である者の背負う、“眷属”たちを守る責務と重責――。
その責務による自由のない生活。“始祖”として祀り上げられ、自身の意思を全く無視されるような日々に――、ハルは嫌気がさす思いを持つ。
――自分には成し遂げたいことがあり、“喰神の烙印”を継承したのに。
そんな焦りに似た思いを常々と胸に抱き――、ある日ハルは、“喰神の烙印”を伝承する隠れ里の“始祖”という立場を捨て、逃げるように隠れ里を後にしていたのだった。
ハルの成し遂げたいと思っていたこと。それは、自身が幼い頃に出会った、命の恩人である女性と交わした再会の約束を守るため――。
その想いは、ハルが成長し“眷属の儀”を受ける歳になり、“喰神の烙印”を継承するに至るまでの何十年という年月が経とうとも、決して揺るぎないものとなり彼の心を占めていたのである。
だがしかし――、ハルが“喰神の烙印”を伝承する里を出て、早六百年以上の月日が流れていた。
ハルは再会の約束をした女性を探し、様々な地を巡って永い間、旅をしてきたものの――、その女性とは巡り合うことができなかった。
(あの人は――、俺と同じような“呪い持ち”だっていうのは……、間違いないはずなんだけどな……)
想い人である女性と初めて出会った際に、当時“喰神の烙印”の継承者であった自身の五世の祖と似た気配を、ハルはその女性に感じていた。そのために、女性が――、自身と同じような“呪い持ち”と呼ばれる、何らかの呪いの継承者であったことをハルは確信していた。
それ故――、六百年以上経った今もなお、ハルはその時の女性と再会できると信じて止まなかった。
「――――っ!!」
物思いに耽っていたハルは、不意に息の詰まるような感覚に襲われた。
大通りの片隅にあるベンチに腰掛けるハルの目の前を――、亜麻色の髪を持つ女性が横切っていったのだった。ハルは思わず、その女性の姿を目で追ってしまう。
女性に目を奪われ、女性の容姿を凝視し、良く確認するハルであったが――。
(亜麻色の髪……。でも――、瞳の色は……違う、か……)
亜麻色の髪の女性の瞳の色を見て、ハルは落胆の様相を表情に浮かばせていた。
そうして、重苦しい溜息を一つ、吐き出す。
(名前も聞けなかったし……、顔も、朧気で良く覚えていないけれど……)
ハルは――、自身が幼い頃に出会った女性のことを思い返し、考える。
あの邂逅から六百年以上が経ち、幼い頃の記憶だった故に、ハルの中でその時に出会った女性の顔は朧気な印象としてしか残っていなかった。
(――でも、綺麗な亜麻色の長い髪と翡翠色の瞳……。それに、あの人の温かさだけは、良く覚えている……)
ハルは考えながら、ベンチの背凭れに身を預け、天を仰ぐように上を向いて瞳を伏せる。
ハルが当時出会った女性は――、風になびく亜麻色の長い髪と、深い愁いを宿した翡翠色の瞳を、彼に強く印象付けていた。
その女性と手を繋ぎ、“喰神の烙印”を伝承する隠れ里まで、共に帰っていったことを懐う。
隠れ里まで帰る道すがらに女性と手を繋ぎ、握っていた手の温かさ。そして、女性に抱きしめられた際に、胸の内に宿った気持ちは――、気が遠くなるほどの永い年月を経ても、ハルの中に温かな想いと共に残っていた。
(だけど、考えてもみれば……。今の俺は、あの時のあの人と変わらないくらいの、見た目の歳にはなっているんだよな……)
女性と出会った際は、ハル自身も幼かったために、その女性のことを『お姉ちゃん』と呼んで慕い、年上の女性として認識していた。
だけれども、今思えば――、その女性は十五歳ほどの年齢の少女であったのだろうと、ハルは思い至る。それが例え“呪い持ち”故の不老不死であり、実年齢が定かでないとしても――。
暫くの間、物思いに耽っていたハルは、天を仰いでいた頭を戻し、気分を改めたかのような眼差しを見せていた。
姿勢を正したハルは、徐にショルダーバッグの中を漁り始めた。
ハルは肩から掛けるショルダーバッグの中から、東の大陸一帯の国や街の位置が記された地図と羽ペンを取り出す。
「さて、と。次の目的地は……、どこにするかな」
誰に言うでもなく独り言ちながら、ハルは地図を広げた。
“喰神の烙印”がもたらす、身近な人々に不幸を撒き散らし死に至らしめる呪いの力のせいで、ハルは一所に長居をすることを無意識的に避けてきていた。
一時期――、中央大陸や西の大陸、群島諸国といった彼方此方も旅をして渡り歩いてきたが、結局は故郷とも言える東の大陸へと戻り、“喰神の烙印”の伝承の隠れ里を飛び出してきた六百年以上も前、その時にはまだ存在していなかった街や村などを周っていた。
(――そういえば、東の大陸でも、まだ北の方は行ったことがなかったな……)
地図を眺めながら、ハルはフッと思う。
地図に記される国や街の名前を目にし、一巡考える様子を見せながら――、ハルは手にしていた羽ペンで地図に印を付けた。
“リベリア公国”――。
そう地図上に記された、東の大陸の北部に位置する国の名前。
それを見て、何故だかは分からなかったが、ここに行こう――と。直感的にハルは思った。
そして――、自身の永かった旅も、ここで終わりを迎えるのではないかと。心の片隅で感じていたのだった。




