第七十八節 宿命の行方
ハルを模した“喰神の烙印”の呪いが、自身の左手を掲げ上げた瞬間だった。
ビアンカとルシトが目にしていたリベリア公国の城下街が、真っ白な光に包まれ――、二人は不意に起こった事象に怯み、眩しさから目を反射的に閉じていた。
今まで静寂と、“喰神の烙印”が纏った禍々しい気配に包まれていた世界。その世界が真っ白に染まり、視界を奪われた直後であった。
ビアンカとルシトは――、自らの感じていた気配が一変したのを察していた。
恐る恐る目を開け、光で眩んでいた視界がはっきりとしてきた二人が目にした光景は――、見覚えのあるものだった。
「ここは……、“喰神の烙印”の伝承の隠れ里……?」
ビアンカは辺りを見渡し、見覚えのある里の様子に首を傾げる。
ビアンカとルシトは――、“喰神の烙印”を伝承する隠れ里にいた。
里の周り一円を取り囲むようにして生い茂る森の樹木――、こぢんまりとした家々が立ち並ぶ風景は、“魂の伝承の儀”を執り行った里そのものであった。
「“喰神の烙印”の言っていたこと……、“魂の解放の儀”は終わっちゃったの……?」
「そんなわけないだろ……」
不思議そうに小首を傾げるビアンカを傍目に、ルシトは呆れ気味に小さく溜息を零した。
ビアンカの発言に呆れた様子を見せながらルシトは――、その里の気配の中に、異質な空気を感じ取っていた。
(――まさか、あの呪いは……、そんなことまでできるのか……)
ルシトはその気配を感じ取り、“喰神の烙印”の呪いが持つ魔力の強さに、脅威を改めて覚えていた。
そして――、“喰神の烙印”の呪いが、何故に、このような所業を行ったのかに疑念を持つ。
「どうかしたの、ルシト?」
険しい表情を浮かべ、考え事に耽る様を窺わせていたルシトに、ビアンカが問い掛ける。
問いを投げ掛けてきたビアンカに、ルシトは目を向け――、嘆息を漏らした。
「あり得ないことだが――」
ルシトは静かな口調で口を開く。
――そう。こんなことは、あり得ないが……。
余程ルシトは自身の身で体験している今の事態。それが信じられないのであろう。
ルシトは、あり得ない――と、何度も思いながら赤い瞳を細める。
「――ここは……。恐らく、過去の世界だ」
「え……?!」
ルシトの呟いた言葉に、ビアンカは驚いた声を上げる。
「里の中に――、“喰神の烙印”の継承者の気配を感じるんだ」
ルシトが感じていた気配は、“喰神の烙印”の呪いの気配だった。
「だけれど、その呪いは二つとないものだ。あんたが宿しているはずの“喰神の烙印”。その気配をもう一つ感じるということは――、どのくらい過去に呪いの奴に飛ばされたかは分からないが……、まだ“始祖”がこの里に健在している頃だな」
ルシトの答弁を聞き、ビアンカは呆気に取られた表情を浮かべていた。
それは――、ルシトにもビアンカにも、にわかに信じがたい事柄であった。
だが、ルシトの言葉の通り、二人は“喰神の烙印”の力で過去の時代へと誘われていた。
そのことだけはルシトが感じる気配から、間違いのないことだと、彼に確信させていたのである。
「――全く。あの性悪な呪いは、いったい何をここでさせようっていうんだ」
ルシトは“喰神の烙印”の呪いに対し、険悪感を露骨に表情に出して悪態をつく。
「しかし――、このままじゃ不味いな……」
ルシトは小さく言葉を零すと、手にしていた杖の先を地面にトンッと叩きつけた。
すると――、今まで何もなかった中空に淡い光が円を描くように発生し、その中からビアンカが愛用している棍と、彼女用にと『世界と物語を紡ぐ者』と呼ばれている人物が用意してくれたという革の手袋が姿を現した。
ルシトはそれらを手に取り、ビアンカに差し出す。
「あんたの武器と手袋だ。――僕の法衣は『調停者』の証である紋様が施されているから、新顔の『調停者』として、この里に来たことに何の疑問も持たれないだろうけれど……、あんたはそうはいかない」
ビアンカはルシトから棍と手袋を受け取り、ルシトが言いたいことを聡く推し量っていた。
二つとないはずの呪いである“喰神の烙印”が――、過去の時代にある伝承の隠れ里に二つ存在してしまっている。
そのことが、この里の者たちに気付かれてしまっては、不測の事態を招きかねない。それをビアンカも察知する。
「“喰神の烙印”は手袋を嵌めて隠しておけ。――そして、あんたは『調停者』である僕の従者として来たということにしろ」
「うん。分かったわ」
ビアンカはルシトからの提案に快く頷く。そして、手渡された棍を肩に担ぎ、自らの左手の甲に刻まれる“喰神の烙印”の痣を革の手袋を嵌めて隠すのだった。
「その法衣は――、『調停者』様っ?!」
ビアンカとルシトがこの里で何をするか。その相談をしている最中だった――。
突如、女性の大きな声で二人は呼び掛けられた。
二人が声のした方へと目を向けると、二十代ほどの年齢の女性が狼狽した様子でルシトの元に駆け寄って来ていた。
「『調停者』様。うちの子が――、森に入り込んでしまったらしくて、見つからないのですっ!!」
ルシトに縋るように女性は、酷く惑乱して訴えてきた。
「まだ“眷属の儀”も受けていない歳の子なので……、迷いの森に入り込んでしまったら……」
「――ここには自力では戻って来られないね……」
ルシトは至極冷静な風体で、年若い母親である女性の話を聞いていた。
ルシトと女性の話を聞いていたビアンカは、ルシトの法衣の袖を軽く引き、ルシトに小声で耳打ちをする。
「ねえ。“眷属の儀”って何……?」
「――昼間に話をした“成人の儀”の別名のことだ」
ルシトは面倒くさそうな苦い表情を浮かべ、そのビアンカの疑問に答えてやっていた。
「“眷属”になると不老長寿になる――と、話をしただろう。“始祖”とは違い、“眷属”は“眷属の儀”を受けてからも、人間として必要最低限な年齢までは成長する」
ルシトの話を聞き、ビアンカは不老長寿の特性を持つ“眷属”であるはずの女性が何故、二十代ほどの年齢に見えたのかに納得する。
「だけれど――、ある程度、身体が成長してから儀式を受けないと、成長が緩やかになりすぎてしまう。だから十五の年齢になり“眷属の儀”を受けるまでは、“眷属”とは呼ばれない。普通の人間と何ら変わらない存在なんだ」
「じゃあ……、あの森に入り込んじゃったら……」
ビアンカが察したことに対して、ルシトは頷く。
“喰神の烙印”を伝承する隠れ里の周りに広がる深い森には、“喰神の烙印”の継承者か、その加護を受けた“眷属”しか里に入り込めないように結界が張られている。
そんな森の中に、“眷属”になっていない子供が迷い込んでしまった――。
そうなってしまっては――、もう迷い込んでしまった子供は自力で里に戻って来ることは不可能であった。
「“眷属”の男衆が森を探し回ってくれているのですが、見つからなくて……。森には、加護を受けていない者を襲う獣や魔物も多く出るのに……っ」
女性は半ば錯乱状態になり、遂には膝を地に付き泣き出してしまう。
嘆き悲しむ女性の姿を見て、ビアンカは意を決する色を宿した眼差しでルシトを見やる。
そのビアンカの瞳を目にして――、ルシトは盛大な溜息を吐き出した。
「――行くなって言っても、無駄なんだろう?」
ルシトの呆れの混じった物言いに、ビアンカは「ふふ……」っと笑う。
「安心してください、お母さん。その子のこと――、私も探してきます」
ビアンカは膝を付いて泣き出した女性の傍らに傅き、その背中を宥めるように優しく撫で、声を掛ける。
「え……、でも……」
女性は涙を零しながら、声を掛けてきたビアンカを見上げた。
「大丈夫です。任せてください」
ビアンカは立ち上がり意志の強さを感じさせる声音で言うと、肩に担いでいた棍を手に取り、その棍に結び付けていた肩掛け用の紐を外す。
「それじゃあ、ルシト。ちょっと――、行ってくるわ」
愛用の棍を手にし、ビアンカは踵を返して里の出入り口へと走って行く。
そんなビアンカの後ろ姿を見送り、ルシトは再び溜息を吐き出していた。
(――ここが過去なら……、あまり介入しすぎない方が良いんだけどな……)
過去の出来事に関わりすぎることが、未来にどのような影響を及ぼすかは分からない。
恐らくは“喰神の烙印”の呪いが言っていた言葉も、このことを意味するのだろう――と、ルシトは思い馳せる。
「『調停者』様。あの従者のお嬢さんは――、森に足を踏み入れて大丈夫なのですか……?」
ルシトと共にビアンカの背を見送った女性は、座り込んだままルシトを見上げて問い掛けてきた。
「問題ないよ。――あいつは、迷いの森で迷うことはない」
静かな声音で綴られたルシトの言葉に、女性は安心したように溜息を吐き出す。
しかし、再び物案じた様を見せ、女性は首を垂れる。
「ああ……、ハル。どうか、無事に見つかって……っ!」
女性が祈るように口にした自身の子供のものであると思われる名前――。
その名前を耳にして、ルシトは表情には出さなかったものの――、驚愕した思いを抱いていた。
今回の話で第十五章は終了となります。
次話からは第十六章へと物語が進んでいきます。
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