第六十八節 伝承の隠れ里
淡い光を放つ白い花――蛍花に導かれるように、ビアンカは月明りが照らす深い森の中を、オルフェーヴル号の手綱を引きながら歩む。
(段々と不思議な雰囲気が濃くなっていく……)
森の奥へ進むにつれて、ビアンカは森の中の空気が変わっていくのを感じる。
ビアンカが森に足を踏み入れた際も、森の情調が変わっていること――、どこか陰鬱とした空気を醸し出していることに勘付いていた。
まるで、森の奥へ立ち入る侵入者を拒絶するような、普通の人間であれば、畏怖すら感じるであろう気味の悪さを覚える空気――。
だがしかし、ビアンカは森の拒絶するような空気を臆さず――、そして自身の引き連れているオルフェーヴル号も気性の荒さと勇敢な気質が幸いし一切騒ぎ立てることなく、森の奥深くへと難なく進むことができていたのだった。
(森の奥に進むにつれて、“喰神の烙印”も……、何かを言っている……)
森全体が醸し出す陰鬱な空気の中、ビアンカは左手の甲に刻まれた“喰神の烙印”が疼くような感覚を覚えていた。
――“喰神の烙印”の伝承の里が近い……。
ビアンカは“喰神の烙印”から与えられる感覚で、ハルの故郷である伝承の隠れ里が近いことを察する。
(――もう少しだわ……)
徐々に近づいてくる森の奥に感じる――不穏で異質な雰囲気。
それらを肌で感じながら進むビアンカは、更に森の奥へと歩みを進めていった。
◇◇◇
暫くの間、ビアンカが進んでいくと――、不意に森の樹木が途切れ、拓けた場所へ辿り着いた。
一円――、森の樹木たちがそこに生息することを拒んでいるようにも見えるほど、ぽっかりと口を開き広がる大地。
その拓けた地に――、小さな集落が存在するのをビアンカは認めていた。
集落の周りは木で組んだ柵で囲われ、出入り口には同じく木で組んだ門が構えられていた。
目に見える場所からは小さな家屋がいくつか点在しているのが、月明りに照らされ窺い知ることができる。家屋からは仄かに灯りが漏れ出しており、人が生活を営んでいることをビアンカに推知させた。
集落の入り口には――、ビアンカが来ることを待っていたかのように、黒い法衣のような衣服を身に纏った二人の中年男性が立っていた。
――招かれざる客だったかしら……。
ビアンカは二人の男を見とめ、反射的に身構える。
しかし――、男たちに敵意は感じられなかった。
寧ろビアンカを目にして、どこか安堵に近い表情を浮かべ、男たちは顔を喜ばしげに見合わせる素振りを見せていたのだった。
「よくぞお戻りになられました。――新たな継承者様」
「え……?」
深々と頭を下げ、ビアンカに発せられた男たちの言葉に、身構えていたビアンカは呆気に取られていた。
全く理解が追い付かない――、と言いたげな様子を見せるビアンカに気付き、男たちは微かに笑みを浮かべる。
「継承者様がこの地に来られることは――、森の気配で察しておりました」
男は優しい声音で、ビアンカの疑問に答えた。
「あの森には結界が張られており……、“喰神の烙印”を持つ継承者様や、我ら“眷属”しかこの地に辿り着けない迷いの森となっているのです」
(ああ……、だから森の中に不思議な気配を感じたのね……)
ビアンカは男の答えの内容に、自身が肌で感じていた森の雰囲気の正体を察する。
(――でも、なんで私が“喰神の烙印”を継承したことを知っているの? それに“眷属”って何なの……?)
ビアンカが新たな疑問に思いを巡らせている時だった――。
「――漸く新しい継承者が来たのかい……?」
門の奥――、集落側から少年のものと思しき声が聞こえてきた。
ビアンカが声の聞こえた方へ目を向けると、そこには灰色の髪に赤い瞳を持つ端正な顔立ちをした少年が立っていた。
年齢はビアンカと同じくらいであろう。綺麗な装飾を施された緑色の法衣を身に纏い、酷く険しい表情をその端正な顔に浮かべている。
「神官将様。貴方の仰られた通り――、“喰神の烙印”の継承の儀が行われたようです……」
「そりゃね。嘘をあんたたちに教えたところで、僕にとって何の得にもならないだろう」
男からの報告に、『神官将』と呼ばれた少年は嫌味混じりに返す。
「それにしても――」
少年は、その場に立つビアンカを頭の先から足の先まで――、品定めでもするように見つめた。
そのように見知らぬ少年に見られ、ビアンカは居たたまれなさを感じる。
ビアンカを暫し見つめていた少年は、不意に「ふう……」――と溜息を吐き出す。
「――酷い有様だね」
唐突に投げ掛けられた少年の言葉。その言葉の真意が分からず、ビアンカは眉を寄せた。
「身も心もやつれてボロボロじゃないか。そんな状態で良くそいつを宿しているもんだ」
呆れ半分感心半分といった声音で言いながら、少年はビアンカに歩み寄る。
「――だけど、大分……こいつの腹を満たしているね。暴走させて国一つ滅ぼしただけのことはあるな……」
「――――っ!!」
少年の発した言葉に、ビアンカは絶句した。
――何故、そのことを知っているの……?!
決して語るまいと思っていた自身の行った所業を、この少年は見抜いていた。
そのことに対して、ビアンカは心中で焦燥に駆られる思いを抱く。
ビアンカの焦燥感に勘付いた少年は、冷たさを帯びた赤い瞳でビアンカを見やる。
「大方、こいつにそそのかされたんだろう? この呪いは――そういうやつだ」
少年は言うが早いか、ビアンカの左手を掴んだ。
突然の少年の行動にビアンカはギクリと身を震わせる。
「――触らないでっ!!」
ビアンカはすかさず、少年に対して拒絶の声を張り上げていた。
咄嗟に自らの左手を掴んだ少年の手を振り解こうとするが、少年の力は思いの外強く、それは叶わなかった。
「この子は……、貪欲に魂を欲しているわ。あなたも――」
「僕はただの魔力から作られた仮初めの魂のイレモノにすぎない。だから、僕にあんたの宿す呪いは通用しない――。安心しなよ」
ビアンカの拒絶の意味を汲んだ少年は、ビアンカの言葉に被せるように――鼻で笑いながら小さく呟く。
「え……? 何……?」
ビアンカはただ、“喰神の烙印”の呪いが、人々の魂を喰らうことに険悪を感じていた。
それ故、少年の行動への拒絶の言葉を発したのだったが、少年はビアンカの理解の範疇を超えた意味の分からない言葉でビアンカを諭す。
「――まあ……、詳しい話は明日にしよう。今日は……もう、夜も更けすぎた」
疑問だらけで思考の追いついていないビアンカに、少年は溜息混じりに言う。
そうして、傍観していた二人の男たちに少年は目を向ける。
「最初に指示をさせてもらった通り、里の家を借りる。夜が明けたら里長代理にこいつを引き合わせる。それで良いな」
「も、勿論です。お話しさせて頂いた家屋をご使用ください」
どこか高圧的な物言いの少年に対し、男たちは慌てた様子を見せて答えていた。
(この男の子……、いったい何者なの……?)
そんな様を見ていたビアンカは、更なる疑問に思いを馳せる。
「それじゃあ、馬はそいつらに任せて、あんたは僕と一緒に来い」
「えっ! ちょっと――っ!!」
考え事に意識を奪われていたビアンカを、少年はなおもビアンカの左手を掴んだまま強引に引き連れ、集落――里の中に歩んでいく。
「ねえ、何なのよ。“里長代理”とか“眷属”とか――、私、何も分からないことだらけなのよっ?!」
「その話も明日だ。今日、あんたがやるべきことは――、ゆっくりと身体と心を休めることだ」
ビアンカの抗議の声に、少年は静かに答える。
「どうせ、そいつを継承してから寝食を一切取っていないんだろう」
少年は――、ビアンカの状態を見て察していた。
ビアンカがハルから“喰神の烙印”を継承した後に、一切の睡眠も食事も取っていないことを――。
「呪いの継承者は不老不死になる。――そうは言っても、全く寝食を取らなくて良いわけじゃない。心の安定を図るために、今は休むことを先決させるんだ」
里の中を連行されるように少年に手を引かれながら、ビアンカは諭しの言葉を受ける。
そして――、ビアンカは少年の高圧的でぶっきらぼうな印象を受ける言葉の端々に、少年なりの不器用な優しさを聡く感じ取っていた。
「――あなた、名前は何ていうの……?」
フッとビアンカに沸き上がった不明瞭な思いだった。
この少年は、男たちに『神官将』と呼ばれており、ビアンカは彼の名前を知らない。
ビアンカからの問い掛けに、少年は振り返り眉間に皺を寄せていた。
「あんた、他人に名前を聞く時はまず自分から名乗るべきとか。そういう風に教わらなかったのか?」
少年は至極最もなことを、嫌味ともつかない物言いでビアンカに言い放つ。
少年の言葉に、ビアンカは心中で「そういえばそうね……」――、と思い至っていた。
「――私は、ビアンカ。あなたは……?」
「……ルシトだ。ルシト・ギルシア」
「そう。よろしくね、ルシト」
ビアンカが自身の姓名を名乗らなかったことに、少年――ルシトは疑問に思いながらも、微かに陰を見受ける笑みを浮かべたビアンカを目にし、何らかの事情があることだけは推し量っていたのだった。




