第六十四節 仇なす左手①
――ああ、また……。“喰神の烙印”が喜んでいる……。
ビアンカは、ヨシュアの言葉に強い怒りの感情を抱くと共に――再度“喰神の烙印”が、歓喜に打ち震える感覚を覚えていた。
今にも左手の甲に刻まれた赤黒い痣から溢れ出しそうなほど、暗く黒い闇の気配をビアンカは察する――。
「ヨシュア――。あなたは……、レオンも手に掛けたのね……」
不意にビアンカの発した問い掛けに、ヨシュアは意外そうな表情を見せた。
「あれ? なんでわかったんですか?」
ビアンカの問いに、ヨシュアは疑問混じりに――、悪びれた様子なく答える。
だが、ビアンカはヨシュアの疑問混じりの言葉に、何も返さなかった。
「レオンはガチガチに頭の固い王政派でしたからね。最期は――ミハイル将軍を庇って死にましたよ。名誉ある殉職――ってやつですね」
ヨシュアは言うと、「ふふ……」――と、思い出し笑いの笑みを浮かべる。
(――やっぱり……。“喰神の烙印”から感じる感覚は……間違いじゃなかったのね……)
ヨシュアの言葉を聞き、ビアンカは確信した。
今、この場に立っているだけで――、ビアンカの宿す“喰神の烙印”の呪いは、ビアンカの身近にいた者たちの魂を喰らっている。
ビアンカがミハイルの死や、ウェーバー邸に仕えていた使用人たちの死を察知していたのと同様に――、彼女はミハイル直属の騎士であったレオンの死も感じていた。
「――ヨシュア。あなたは何故、“リベリア解放軍”を立ち上げたの……?」
「それは……、愚問ですね。ビアンカ様――」
ビアンカの問いに対して、ヨシュアは目を細める。
「この何ヶ月かの間――、リベリア公国がどのような状況にあったか。流石の貴女もご存知でしょう……?」
ヨシュアは――、静かな口調で言う。
ヨシュアが言いたいこと――、それはリベリア国王が、前王妃が逝去した直後に新たな王妃を娶り、その新王妃に現を抜かし、国政を疎かにした結果のことを指し示していた。
「リベリア公国の国民が苦しんでいる中――、リベリア国王に対して、誰も何も言わない。言えない――」
リベリア国王に苦言をしようにも――、長く仕えていたはずの大臣も解任され、国の将軍であったミハイルさえも邪魔者扱いをされ、無駄とも言える遠征の任を多く言い渡される。
ヨシュアは、そのリベリア公国の成り行きを目にし、国としての有り様と――、好き放題を始めたリベリア国王に対して何も言わない、否――、言えない国王派の者たちに対し、怒りの念を心中に抱いていた。
「父にも進言しましたよ。リベリア国王のことで、何か言及ができないのかと……」
ヨシュアはラングル家の――、代々リベリア公国に仕える騎士の家柄の出身だった。
そのため、自身の父親――ラングル家の現当主に、リベリア国王への苦言ができないものかを進言していた。
だがしかし――、何度ヨシュアが要求しようとも、彼の父親は首を縦に振ることはなかった。
「――結局、父は己の身と、今の貴族としての身分が一番大切だったんでしょうね……」
「それが――、“リベリア解放軍”を発足させて、リベリア国王や国王派の人々を殺めた理由なの?」
ビアンカの疑問の声に、ヨシュアは如何にも――、と言いたげに笑う。
「だって――、このまま愚王や、それを支持する国王派がいても無意味でしょう?」
ヨシュアには、後悔などを抱いている様子は一切なかった。
ヨシュアの言葉は、自身の行っていることが間違えていない――と。そのような自信さえ窺わせるものだった。
「自分の父親を殺めてまで――、なんてことを……」
ビアンカは気付いていた――。
リベリア王城前の晒し台の上に、自身の父親――ミハイルの首が晒されていたのを見つけた時。ラングル家の現当主――ヨシュアの父親の晒し首も存在していることを――。
その際は、“リベリア解放軍”の行った所業に、ビアンカは虚無を抱く胸中の片隅で――、微かに怒りを感じていた。
それ故に――、ヨシュアの語る言葉の内容を聞き、ビアンカはヨシュアが身内を手に掛けたことに信じがたい思いを持つ。
「腐ったものは、もう元には戻りません。だから――、一度全てを滅ぼし、騎士の家柄や貴族の家柄――、名ばかりの……、そういうものが何もない。正しい道へ導く必要があったんですよ」
ヨシュアの紡ぐ言葉――。その言葉を聞き、ビアンカはどこかで聞いた覚えのある台詞だと思った。
(――そうだ。確か……、ホムラ師範代も同じようなことを言っていた……)
ビアンカがホムラに誘拐され、ホムラたち“リベリア解放軍”が根城としていた坑道の奥にあった洞穴――。
そこでホムラに対して、何故このようなことをするのか――と、ビアンカが問いかけた際にホムラから返ってきた答えと、ヨシュアの発する言葉は――同じものだった。
「……少し、お喋りが過ぎましたね。これから死にゆく貴女に――、こんな話をしても無意味でした」
ヨシュアは残念そうな声音で呟く。
「貴女が生きているのなら、何故この地に戻ってきたのか――。私は不思議で仕方ありません」
「え……?」
ヨシュアの呟きに――、ビアンカは、はたと自身がリベリア公国に戻らなければならないと思ったことに、疑問の念を抱いた。
(――そう、よね……。考えてみれば……、リベリア公国がこんな状態になっているなんて容易に予想はできたはずなのに……。なのに……、なんで……?)
――リベリア公国に戻らなければ。
不思議とビアンカは、そう思っていた。
オルフェーヴル号がビアンカの元に訪れ、移動のための手段ができた際に――、その場から離れ、逃げることも可能だった。
だがしかし、ビアンカはその選択肢を選ばず――、敢えてリベリア公国に戻ることを選んだ。
「――ハル君の仇打ちのため、ですか……?」
ヨシュアは嘲笑するように言う。
(――その気持ちもあった。お父様やお家のみんなが心配なのもあった……。でも、私一人じゃ、どうすることもできないはずなのに……)
何故――、という思いが、ビアンカの頭の中を駆け巡る。
(まるで……、導かれたように、私はここに戻ることを選んだ……)
――『そう――、導いてやったのだ……。ここには糧となる“死”の気配が充満している』
ビアンカの頭の片隅で、何かが囁く――。
――『叶えてやれば良い。この男の願い……、そうして仇なすのだ……』
その囁きは――男とも女とも、大人とも子供とも認識しがたい声だった。
――『憎いのだろう? お前から全てを奪った“リベリア解放軍”が……、この男が……』
(そう、ね……。許せないわ。ハルの命を奪う原因を作り……、お父様やお家のみんなを殺めた。多くの人々の命を奪った――この男を……)
まるで囁きに誘われるように――、ビアンカは自身に剣の切っ先を向けるヨシュアに対して、左手を掲げ上げていた。
そんな様子を見せたビアンカに、ヨシュアは不思議そうに首を傾げる。
「なんですか? それは“降伏”――の意味ですか?」
ヨシュアはビアンカの取った仕草を“降伏”の意味で取ったようで――、それを嘲笑う。
「ビアンカ様。それなら両手を上げてもらわないと――」
「死に至る呪いよ――、“喰神の烙印”よ……」
ヨシュアの言葉を遮り、ビアンカは自らの左手の甲に刻まれる痣――、“喰神の烙印”の囁きに答え――、語り掛けるのだった。




