第四十六節 自由な外の世界へ
「――それじゃあ、日が暮れる前には戻りますね」
ハルはミハイルより与えられたハル専用の馬――、ペトリュース号に跨り、見送りに出てきていたウェーバー邸の使用人――ノーマンとエマに声を掛けていた。
ハルの乗るしなやかで美しい馬体を持つペトリュース号の隣には、件の気性の荒い馬であるオルフェーヴル号に跨る――旅装を身に纏ったビアンカの姿があった。
オルフェーヴル号に乗ったビアンカの表情は至極嬉しそうで、これからリベリア公国の外に出られることが楽しみで仕方がない様子を窺わせている。
ビアンカの“誕生日プレゼント”と称した『国の外に出てみたい』という我儘――、それに対してハルは執事のノーマンやメイド長のエマに相談を行った。
――どうせ駄目だって言われるだろうな……。
そんなハルの考えとは裏腹に、『ハル様がご一緒なら大丈夫でしょう』――と、リベリア公国の外へビアンカを連れ出すための許可が下りてしまったのである。
ウェーバー邸に仕える使用人たちの皆が皆――、ハルを信用した上での許可であった。
ハルの采配力や行動力――、真の強さ。それらを使用人たちも、ビアンカ誘拐事件の際に実感していたためだった。
ハルが呆気に取られるほどあっさりと許可が出てしまったのであるが、ビアンカに『許可が出たら』――と、約束してしまっていた以上、それを守らないわけにもいかなかったために、出掛ける支度を整え――、今に至っている。
「本当に昼食の準備はしなくてよろしかったのですか?」
エマが改めたように、ハルに問いかけていた。
エマはハルたちがリベリア公国の外に出掛ける話をしてきた際に、昼食に携帯食を用意することを提案していたのであるが――、ハルはそれを断っていたのだ。
「はい。ビアンカの行きたがっている“ファーニの丘”は川もありますし――、俺のこいつもあるので。自給する方法を教える良い機会かなと思いまして」
言いながらハルは自身の背に担ぐ弓を示す。
「今は“振り出し竿”なんていう携帯に便利な釣り竿もありますしね」
ハルはビアンカの行きたがっていた屋敷の屋根の上から見える丘――、“ファーニの丘”と呼ばれるリベリア公国領内にある丘のことを、ある程度把握していた。
ハルはその地で、ビアンカの元に訪れる家庭教師が決して教えないであろう、旅の合間などで自身が培った自給自足の知識を教えてやろうと考えていたのである。
弓で獲物を狩る方法や、釣りで魚を釣ること――。
それは、今後のビアンカにとって不要の知識とはなるであろうが、ハルはどうせ獲物が豊富に生息する地に行くならば――と思い、自給を行うための準備をしていたのだった。
「……そう、ですか」
ハルの言葉に、エマは納得したように返答をする。
「大丈夫よ、エマ。ハルが色々教えてくれるって言うし――、渡してくれたお菓子だけで充分よ」
ビアンカが笑みを見せ、嬉しそうにしつつエマに言う。
そのビアンカにエマも微かに笑みを見せ、頷いていた。
「では――、お二人とも、お気をつけて行ってきてください」
あまり見送りに時間をかけてしまうと、折角のビアンカの楽しみを奪ってしまいかねないだろうと、気を遣ったノーマンが二人を促す。
「ただ――、危なくなったら無理はなさらないでくださいね……」
ノーマンは二人を促しつつ、やや心配そうに口にする。
今回のビアンカがリベリア公国の外へ出ることは、急遽決まったものではあるものの、内密なものである。
出先となっているファーニの丘は穏やかで緑豊かな地として、貴族たちが戯れに遊びに出ることも多い場所である。
そのため、余程のことがない限り危険が及ぶ可能性はないものの、やはり先にビアンカ誘拐事件があった故――、ノーマンには一つの心配事として、心の中で引っかかりはあるのであろう。
「はい、心得ています。まあ――、ビアンカが言って聞くかが問題ですけどね」
ハルは冗談めいて言いながら、ビアンカに目を向ける。
ビアンカは旅装を纏い、その肩から棍を紐で括りつけて持っていた。
ハルが一応の護身用として持っていけ――と指示をしたためであるのだが、万が一のことがあったとして、ビアンカ本人がやる気を出してしまったら止まるか――、とハルは比喩して笑う。
ノーマンもエマも、ハルの冗談めいた比喩の言葉に笑いを零す。
話題の対象となっているビアンカだけが何を言われているのか理解していない様子で、キョトンとした不思議そうな表情を見せていた。
「それでは、改めまして――、お気をつけていってらっしゃいませ」
「ビアンカお嬢様。楽しんできてくださいね」
ノーマンもエマも笑みを見せ、二人に見送りの言葉を贈る。
「うん。いってきます。お土産話、期待していてね」
「では、いってきます」
ハルとビアンカも見送りの言葉に返事をし、馬をゆっくりと歩ませ始めた。
ノーマンとエマは――、馬を進め徐々に小さくなっていくハルとビアンカの後姿を、完全に見えなくなるまでその場で見送っていたのだった。
◇◇◇
リベリア公国の外へ――。
初めて自らの意思で自由な外の世界へと足を踏み出したビアンカは、オルフェーヴル号の上からキョロキョロと辺りを物珍しげに見渡していた。
「おい、ビアンカ。あんまり余所見ばかりしていると落馬するぞ」
ビアンカの様子を見て、ハルは注意を促す。
ただでさえ、ビアンカが愛馬としているオルフェーヴル号は、ウェーバー邸で一番気性の荒い馬で扱いが難しいのだと――、ハルは馬の世話係であるディーレから聞いていた。
そんな馬を懐かせて簡単に乗りこなすビアンカには、ディーレも驚きを見せるほどである。
だが、ハルは自身がオルフェーヴル号に乗って――、その扱いにくさを心底感じていた故に、しっかりとした姿勢で馬に乗っていないビアンカを見ていると冷や冷やとした気持ちになってしまうのだった。
「えへへ。――外の景色って、こんなになっているのね」
ビアンカは、ハルの心配を込めた注意の言葉を全く意に介せず、笑顔をハルに向ける。
「この前は――、お家に帰るんだって気持ちでいっぱいで、周りを見渡す余裕がなかったから……」
ビアンカの言う『この前』――という言葉は、ビアンカ誘拐事件の帰路のことを言っているのだろうとハルは察する。
「こうして改めて周りを見渡すと、凄く新鮮な気分になるなあ……」
ビアンカは遥か遠くにまで目を向けるようにしながら、しみじみとした声音で呟く。
(――まあ、生まれてこの方……、リベリア公国の外に出ることなんかなかったんだろうしな。本当に“箱入りのお嬢様”として育てられたんだな……)
感慨深げな様を垣間見せるビアンカに、ハルは思う。
旅から旅に――、一つ処に長く留まれない宿命を持つハル。
片や、一つの国の中で――まるで鳥籠の中の鳥のように育ったビアンカ。
正反対の育ち方をした二人は、ゆっくりとした馬の足並みで周りの景色を楽しみつつ――、目的地であるファーニの丘を目指すのだった。




