第二十六節 ホムラの目的
ハルが屋敷の中に戻っていくのを見送ったビアンカは、つまらなそうにして、未だに不服そうな表情を見せていた。
そうして、「はぁ……」っと、そのつまらないという様子を顕著にした溜息を吐き出す。
(倉庫の中――、私も見たかったなあ……)
ホムラに引き止められてしまい、ウェーバー邸の裏庭にある武器及び防具の保管されている倉庫に行けなかったことがビアンカは不満で仕方なかった。
「――ウェーバー将軍は、西の遠方にある砦に向かわれたそうですね」
ビアンカが不満に思いを馳せていると、不意にホムラがビアンカの背後から声を掛けてきた。
「そこからここまでですと、鎧を脱いで軽装になれば……、駿馬に乗って三日はあれば着きますかね?」
「一週間は行軍だって、出発の時にお父様が言っていたから……。多分、駿馬ならそのくらいだと思う、かな?」
ホムラの問いに、ビアンカは言う。
ミハイルは遠征への出発の前にウェーバー邸に立ち寄り、ビアンカに西の国境付近の砦に行くことと、その行軍の日程の話をしてくれていた。
そのことを思い返しつつ、ビアンカはホムラの言うように駿馬に乗り、昼夜を問わず馬を走らせれば三日ほどで戻って来られるはずだと考える。
(なんでホムラ師範代はそんなことを聞くんだろう……?)
ビアンカは口には出さずに考えつつ、ホムラの方へ向き直る。
「そうですか……」
ビアンカの返答に、ホムラは頷き呟いた。
「一週間の行軍――、ということは。もう砦の方には到着している頃ですね」
ホムラは顎に蓄えられた髭を弄びながら静かに言う。
ビアンカは、ホムラの言葉が意図することが読めず、訝しげな表情を浮かべる。
(――なんだろう。胸がざわざわするこの感じ……?)
ホムラと話をしていて、ビアンカは何か嫌な予感を感じ取っていた。
ビアンカも今のリベリア公国内の不穏な空気を察している。
いくら箱入りの貴族の令嬢と雖も、ウェーバー邸に仕えている使用人たちから、最近のリベリア公国に関する不穏な動きの噂話は耳に入ってくる。
――「何かが起こる前に暇を頂いて故郷に戻ろうかしら」
そんな相談をする使用人たちがいるほどで、ビアンカの感じている不穏の正体が動き出したら、それはただ事では済まされないことを、世間知らずとも言えるビアンカでさえ感じていた。
ホムラはフッと、ビアンカが自身に訝しげな表情を見せていることに気が付いた。
そのビアンカの様子に、ホムラは口の端を上げるような笑みを浮かべる。
「そのような怖い顔をなさらないでください――、ビアンカお嬢様」
ホムラは不敵な笑みを浮かべつつ、ビアンカに歩み寄る。
ビアンカは反射的に身構え、一歩後ずさった。
「――こっちに……、来ないで……っ!!」
ビアンカはホムラを睨みつけるように見つめて、大きく拒絶の言葉を発する。
ホムラに近づいて来られ、ビアンカの中で蠢いていた嫌な予感が膨れ上がっていた。
しかし、ビアンカの拒絶の言葉を無視して、ホムラはなおもビアンカの元に歩み寄る。
――ここにいたら不味い……っ!!
ビアンカは本能的に感じ、芝生の植えられている中庭の土を強く――、勢い良く靴のつま先で蹴り払った。
芝生の草と共に抉られた土がホムラの顔を目掛けて降り注ぎ、一瞬ホムラが腕で顔を覆い、驚き怯む動作を見せる。
ホムラが怯んだ一瞬の隙をついて、ビアンカは長い髪を翻し、屋敷の中に逃げ込もうと駆け出していた。
だが、背中を向けて駆け出したビアンカにホムラは瞬く間に追いつき、ビアンカを捕らえ――その鼻先と口元を覆うように布を押し当てたのだった。
「――――っ!!?」
ホムラに拘束されたビアンカは驚き叫ぼうとするが、口元に布を当てられているため、それは叶わなかった。
ビアンカはホムラの拘束から逃れようとジタバタと暴れるが、鼻先と口元を覆うように当てがわれた布から、鼻の奥にツンッと来るような刺激臭を感じる。
(――なに、これ。気持ち悪い……、それに……、意識が……)
ビアンカは鼻の奥に感じる匂いに眉を顰め――、身体中の力が抜けていき、急激な眠気を催す感覚に襲われる。
次第にホムラの腕の中で暴れていたビアンカの抵抗が弱まり、そのままビアンカは意識を手放してしまっていた。
「……意外と敏いところもあるのですね、ビアンカお嬢様」
ホムラは、意識を失い返事をすることのないビアンカに、さも可笑しそうに語りかけた。
まさか先手を打ってビアンカが土を蹴り上げ、目潰しのための行動を取って来るとは、流石にホムラは思っていなかった。
ただの世間知らずの貴族の令嬢だとビアンカに対して高を括っていたため、不意を突かれたことにホムラは正直驚いていた。
「さて――、あの腰巾着が戻って来る前に退散いたしますか……」
暫しの静寂の後、ハルの存在を思い出したようにホムラは呟く。
ホムラは普段であればハルとビアンカの個々に点検をさせている木剣を、「久しぶりの鍛錬になるから」――と、至極無難な理由を付けて自らが点検を行った。
そして、ホムラは点検と称して、ハルが普段使用している木剣の刀身にワザと亀裂を入れていたのだった。
“ビアンカの護衛”という形で、常にビアンカの傍らにいるハルの存在が、今のホムラには邪魔であったのだ。
そのため、ハルとビアンカを一時的にでも引き離すために、ハルの扱う木剣の刀身に亀裂を入れ、ウェーバー邸の裏庭にある倉庫に鍛錬用の木剣があることをハルに言いつけ、取りに行かせていたのである。
ホムラは腰を落とし、自らの荷物を漁る。そうして荷物の中から一通の封筒を取り出し、その場にパサッと放り投げた。
投げ出された白い封筒は赤い封蝋が施され――、受取人名も差出人名も書かれていない物であった。
封筒を置いたホムラは、意識を失って倒れ込んでいるビアンカを担ぎ上げる。
「ウェーバー将軍という駒さえいなくなってしまえば、大臣すら解任されたリベリア公国は崩壊したも同然……」
ホムラは誰に言うでもなく、静かに独り言ちる。
「ウェーバー将軍を亡き者にするため――、人質となって頂きますからね。ビアンカお嬢様」
ホムラは、これが己の貫く正義のための行いだと――、そう信じて疑わない想いを瞳に宿していた。
ホムラも今のリベリア公国やリベリア国王のやり方に、不満と不信感を抱いている人間の一人だった。
ホムラ自身の正義感の強さが、リベリア国民を苦しめる今の結果を作ったリベリア国王の存在を許さなかったのだ。
それ故に、今の大臣が解任されたリベリア公国にとって、一番の国政の要になるとも言える将軍――ミハイルの存在がホムラにとって一番の邪魔な存在であった。
ミハイルさえいなくなってしまえば、新王妃に現を抜かす状態になっているリベリア国王には何もできまい――。
ホムラはそう踏んで、ミハイルの娘であるビアンカを誘拐して人質に取り、ミハイルを屠る計画を密かにホムラ同様に反旗の志を持つ有志たちと計画していた。
ビアンカを軽々と担ぎ上げたまま、ホムラは足早にウェーバー邸を後にしていく。
ウェーバー邸の中庭には静けさが戻り、その芝生の上には一通の封筒が取り残されたままとなっていた。




