第二十五節 嫌疑の予感
ミハイルの遠征から一週間ほどが経った頃――。
現状、リベリア公国がその内に抱えた不穏な空気に大きな動きはなく、ウェーバー邸も普段と変わらない日常を送っていた。
そして――、今日は久方ぶりとなる剣術師範代のホムラが訪れる日でもあった。
リベリア公国内で様々な出来事があったため、ホムラの剣術鍛錬は暫くの間、行われずにいたのだ。
「お二人とも、鍛錬は怠っておりませんでしたか?」
ホムラは普段通りの穏やかな口調で、剣術鍛錬の身支度を済ませたハルとビアンカに声をかける。
ホムラの声掛けにハルとビアンカは「はい!」と声を揃えて返答し、互いに顔を見合わせて笑顔を見せた。
楽しげに笑顔を向け合うハルとビアンカの様子に、ホムラは微かな笑みを浮かべる。
「そうしましたら――、まずは、使う木剣の点検をしましょう。いつもでしたらご自分で点検をして頂くところなのですが……」
そこでホムラは不意に言葉を区切った。
そして、顎に蓄えた髭を弄りつつ、何かを思案する様子を見せる。
「――何分今日は久しぶりの鍛錬となりますので、私が点検をさせて頂きましょう。気が付かない傷が入っていると、鍛錬の最中に折れてしまう可能性がありますからね」
ホムラは言うと、ハルとビアンカの扱っている木剣を受け取る。
そうしてその場に腰掛けると、木剣の状態の点検を始めるのだった。
ホムラが木剣の点検作業をしている間、ハルとビアンカも腰を掛けて談笑を始めていた。
そんな二人の様子を傍目に見つつ、ホムラは木剣の状態の確認をしていく。
ホムラが点検作業を始め、暫くして――。
「おや……?」
ホムラが不意に声を上げた。
「どうしました?」
ホムラの声に反応してハルは立ち上がり、ホムラの方へと向かいながら問いかける。
近づいてきたハルに、ホムラは点検をしていた木剣をスッと差し出し、ハルに見せる。
「ハル殿の扱っている木剣の刀身にヒビが入っていますね。これだと――鍛錬試合を行って頂く際に折れてしまう可能性があります」
ホムラの言葉に、ハルは普段自分が扱っている木剣を受け取り、状態を確認する。
ホムラから手渡されたハルの木剣には、確かに刀身の部分に亀裂が入っていた。
「あっ、本当だ。全然気が付かなかった……」
「ハルの扱いが雑だからじゃないの?」
ハルと一緒になって彼の木剣の状態を覗き込んでいたビアンカは、くすくす笑いながらハルを茶化す。
「あのなあ……。お前だって放り投げたりして雑に扱ってるじゃんか」
ビアンカの言葉に、ハルはムッとした表情を見せながら悪態を返した。
(――だけど、いつの間に……)
ハルは刀身に亀裂の入った木剣を見つつ思う。
ついこの間まで、自主鍛錬でその木剣を使用していたので、その時のビアンカとの鍛錬試合の際にヒビが入ったのかとも、ハルは考える。
しかし、そうであれば、その際に打ち合いの音が変わったことでヒビが入ったことに気が付くはずである。
――何かがおかしい……。
ハルは考えながら口元に手を置き、訝しげに眉を寄せていた。
「生憎と今日は予備の木剣を持ってきていないのですよね……」
ホムラは困ったような様子で言う。
そうして一巡考える素振りを見せ、何かを思い出したように口を開いた。
「そういえば――、ウェーバー将軍のお屋敷には、確か有事の際に使用できるようにと、武器や防具が保管されている倉庫があるでしょう」
「ああ……、そういえば、裏庭にありましたね」
ホムラの言葉でハルも、武器や防具が保管されている倉庫がウェーバー邸の裏庭に存在していることに思い当たる。
リベリア公国の将軍であるミハイルの屋敷には、緊急招集や急な敵襲などの有事に備えるため、武器や防具が保管されている倉庫が存在していた。
それはウェーバー邸の裏庭――、人目に付きにくい一角に作り付けられていた。
その倉庫の扉には厳重に鍵がかけられており、容易に入ることができない場所だった。
それ故に、ハルは倉庫の中がどのような様子になっているのかは知らないのだが、その扉の鍵がどこで管理されているのかだけは知っていた。
「確か、あそこに数本、鍛錬向けの木剣が保管されていたと思います」
ハルが心当たりのある様子を見せると、ホムラは微かに笑みを浮かべる。
「そちらから木剣を一本お借りしましょう。――申し訳ないのですが、ハル殿。お願いできますか?」
「はい。わかりました」
ホムラの提案にハルは快く応じる。
「私も倉庫の中、見たいっ!!」
ホムラとハルの話を聞いていたビアンカが、目を輝かせて話に食いついてきた。
不意に大きく声を張り上げてきたビアンカに、ハルとしてはビアンカがそう言い出すだろうことを予想していたため、ビアンカの様子に苦笑してしまう。
「――んじゃ、一緒に行こう」
ハルはビアンカに声をかけると、一緒に連れて行こうとするのだが――。
「お待ちください、ビアンカお嬢様」
ハルと共に倉庫に向かおうとするビアンカに、ホムラの静止の声がかかった。
「ビアンカお嬢様はここで待ちましょう。ハル殿が戻られるまでの間……、少し素振りの練習をしましょう」
「えー……」
ビアンカはそんなホムラの一言に思い切り不満げな声を漏らした。
「ビアンカお嬢様の剣の振り方――、何度申してもまだまだ大振りですよ。早い内に直しておかなければいけません」
不満げな様子の声を漏らしたビアンカに対して、いつも物静かで温和なホムラにしては珍しく叱責に近い言葉が返ってきた。
ビアンカの剣術の腕前は着々と上がってはきているものの、ホムラの言葉の内容は至って最もなものではあった。
だがハルは、そのホムラの言葉の声音に何か違和感を覚える。
違和感の正体はハルにはわからなかった。
――やっぱり、何かがいつもと違う……?
ハルは普段とは違う違和感を覚えつつ、自身の頭を髪の毛を搔き乱すように頭を掻く。
「さあ、ハル殿も木剣の準備をお願いしますよ」
「あ――っ、はい!」
ホムラは動こうとしないハルに、まるで急かすように声を掛ける。
そのホムラの声掛けに考え事をしていたハルは我に返り、少し慌てた様子で返事をした。
ハルはすぐにホムラの提案の言葉に従って、鍵が管理されている屋敷の中へ踵を返して向かって行った。
(――なんだ、この嫌な予感は……)
ハルは屋敷の中――、鍵の管理されている場所まで向かう途中、考えていた。
ハルは胸の中がざわざわとする――何か嫌な予感を感じていた。
永い時を生きてきた故に感じる本能的な何かが――、ハルに不穏な気配を感じさせていたのだった。
「急いで戻ろう――」
誰に言うでもなくハルは小さく呟くと、足早にして倉庫の鍵を取り、裏庭に急いだ。




