第十三節 叙事詩
ウェーバー邸にある広い書斎には、数多くの本が納められていた。
軍務に関係する本、歴史書や戦争史の本。流行りの文学書に至るまで。実に様々な種類の本が、本棚に納まりきらず、床に直に平積みされるほど置かれている。
本から漂う紙独特の香りと、カビ臭さを微かに感じる書斎で――、ハルは暇潰しになる本を探していた。
今日はビアンカの元に家庭教師が訪れる日で、彼女は家庭教師と自室で勉学に励んでいる。
そんな時、ハルは自分だけの時間を取り、書斎に納められている本を読むことを日課にしていた。
元々、ハルは読書が嫌いではない。
本を読み、多くの知識を蓄えておけば、旅の途中にその収集した知識が役に立つことが多くある。
それ故に旅の合間でも本のある場所に立ち寄っては、読書をすることが多かった。
それはウェーバー邸に訪れてからも変わらず、暇な時間ができては多くの書籍が納められている書斎に入り浸って本を読み耽り、時には本を持ち出して中庭などで読書に勤しんでいた。
なんの本を今日は読もうか――、とハルが考える。
本棚に並べられている本の背表紙を眺めていると、一冊の本のタイトルがハルの興味を引いた。
――『罪と罰の叙事詩 著者 クレア・ルーシエ』
(――“罪と罰”……、著者のクレア・ルーシエって、あの人か……?)
タイトルと著者の名を目にして、ハルは思う。
その著者名はハルにある人物を思い起こさせていた――。
ハルの記憶の中にある、本と執筆を好む勤勉な雰囲気を持った女性――、クレア。
クレアは『いつかはこの戦争の記録を書きたいと思っています』――、と。そう言っていたのをハルは思い出す。
ハルはその本を無意識に本棚から引っ張り出し、埃を払う。
重厚な装丁のその本は所々にシミが目立ち、かなり古い本であることを表していた。
本を手に持ち、ハルは書斎の椅子に腰掛ける。
ギシッ――、と。ハルが背凭れに寄り掛かった途端に、椅子が音を立てた。
本の前書きに当たる部分をハルは捲り、目を通す。
本の内容は、今からおよそ三百年ほど前に起こった群島諸国――現在の正式名称では“オヴェリア群島連邦共和国”と呼ばれる地域で起こった戦争、“群島諸国大戦”の叙事詩だった。
オヴェリア群島連邦共和国――、そう群島諸国が呼ばれるようになる三百年ほど前に、この小さな島が海を挟み、身を寄せ合うようにして点在する地域は戦争の最中にあった。
当時の群島諸国には小さな国がいくつも存在しており、各々の国が各領地を治めていた。
そんな国々を軍事力で制圧し、統治しようと目論む帝国――“オーシア帝国”と、それに反旗を翻すために立ち上がった各国の有志や海賊たちが参戦した“同盟軍”があった。
現在では魔法を扱える者の出生率は大きく下がり、純粋な魔術師と呼ばれる存在は少ない――。
しかし、まだ魔法の力が衰退する以前の時代に起こった戦争であるため――、オーシア帝国は独自に開発した魔力を強力な砲弾として放つ“魔導砲”を武器に、同盟軍及び各国への侵攻を行っていたのだ。
「あの戦争から、もう三百年以上経っているのか……」
ハルは前書きに書かれる年号を目にして、感慨深げに呟いた。
ハルは何ページかを、ザッと目を通すように簡単に読んでいく。
戦争開始時の同盟軍は劣勢を極めていたことを、本の内容は書き綴っていた。
軍事力と統率力に勝り“魔導砲”という強い武器を手にするオーシア帝国軍と、寄せ集めの猛者や雑兵、海賊たちが集まっただけの同盟軍との戦争となれば――、それは致し方ないことではある。
そんな同盟軍には『リーダー』と呼ばれて慕われていた青年がおり、参謀となる軍師も存在した。
カリスマ性の強い年若い青年軍主は同盟軍を上手く纏め上げ、軍師の助言もあり何とかその難局を乗り切っていたことが文面から窺い知れた。
(あいつも苦労していたもんな……)
パラパラと本を捲っていくハルの目に、ある一文が映る。その一文にハルは眉を寄せた。
――『死を司る不死の呪いを持つ少年、“ハル・ネクロディア”の参戦により、我々同盟軍の局面が好転することとなった。
彼は魔法とは違う不思議な力を行使し、オーシア帝国軍を打ち払い、同盟軍の大きな助けとなった』――
「こんなことまで書いてあるのかよ。勘弁してくれよ、クレアさん」
その一文を読み、ハルは思わず苦笑する。
ハルはこの戦争に当時――、同盟軍側として参戦するという経緯を持っていた。
過去に人と関わることを極力避けて旅をしていたハルは、ある事件が元で同盟軍の軍主と邂逅し、半ば強引に同盟軍に参加させられることになったのだった。
ハルが同盟軍として参戦することになった最初の頃は、人付き合いが煩わしいと思っていた。今でこそ考えられないが――、ハルは人付き合いというものが忌避していたのだった。
だが、そうしたハルの意識を変えさせることになったのは、この同盟軍の軍主であった青年で、『気安く話しかけるな』――と、無下な態度を取るハルに気さくに話しかけ、同盟軍の方々と接する機会を多く作ってくれた。
そんな同盟軍の軍主であった青年は、オーシア帝国との最終決戦の最中で帰らぬ人となってしまった――。そうハルは思っていた。
「……あいつ、生きていたのか――」
パラパラとページを捲っていき、最後に近いページの文言を目にして――、ハルは驚きと喜ばしい気持ちが込み上げてくるのを感じた。
――『同盟軍のリーダーは、最後の戦いの最中。同盟軍へ向けて放たれようとしていた最大出力の“魔導砲”を、その身に宿す大きな力を使い打ち払った。
彼はその際に力を使い果たし、そこで力尽きたとされていた。
だが、その亡骸は決戦の場となったオーシア帝国の城が崩落したことにより、見つけることはできなかった。
しかし、数年の後に、彼の姿を目にしたという目撃情報が私の耳に入った。
彼はあの城の崩落の中、幸運にも生き延びていたようだった。
私は生きている間に彼との再会は果たせないだろうが、彼が無事に生き延びていると知れたことだけでも喜ばしいと思う』――
ハルと同じような――呪いの力を身に宿していたにも関わらず、明るく人懐こい笑顔が印象的だった同盟軍の軍主だった青年。
照り付ける太陽の光で日に焼けて少し色の抜けた茶色かかった黒髪に、群島諸国の海のように碧い瞳をした不思議な青年は、今もハルの記憶の中に鮮明に残っていた――。
――『早く探している人が見つかると良いな。逢えたら絶対紹介してくれよな』
ハルが成り行きで旅をしていた理由を話した際に、青年はそう言って笑っていた。
その時、ハルは『逢えたらな』――、と。あしらうような、素気の無い返答をしたのを覚えている。
けれども、青年は最終決戦の最中で消息不明となり――、同盟軍に参加していた誰しもが、彼は戦死したと思い込んでいた。
それはハルも同様で、その青年との約束が果たされることはないと思っていた。
――『オーシア帝国との戦争が同盟軍の勝利で終結し、残った各国は協力しあい群島連邦共和国になることとなった。
群島連邦共和国の名前は、この戦争の一番の功績者となった同盟軍リーダーだった青年――“ヒロ・オヴェリア”の名前から取られ、“オヴェリア群島連邦共和国”と命名された。
願わくは、この群島諸国大戦のように、無駄に多くの人々が命を散らすようなことのない世界へとなるように。後世に群島諸国大戦の悲惨さを伝えると共に、私は祈りを捧げたい。
著者 クレア・ルーシエ』――
締めの文面と共に、その本は終わっていた――。
本を閉じて、ハルは背凭れに深く寄りかかり――、深く溜息を吐いた。
「探し人には出会えたよ――、ヒロ……」
ハルは微かに笑みを浮かべながら本の表紙を手で撫で――、小さく呟いた。
(――いつか、約束を果たせるんだろうか……)
同盟軍の軍主――、ヒロとの約束。
その約束を交わしてから三百年以上の年月が流れていた。
今頃、彼がどこで何をしているのか。ハルにはわからない。
再びヒロと出会える確率も――、この広い世界を考えると極めて低いだろうと思いなす。
ハルは再び溜息を吐き漏らした。
「さてと。そろそろビアンカの勉強も終わった頃かな……」
ハルは呟きながら椅子から立ち上がり、本を本棚の元あった場所へ静かに戻した。
その後――、ハルは暫し何か考え耽る様子を見せたが、踵を返して書斎を後にしたのだった。




