第十二節 二人の騎士
薙ぎ払われる木剣をハルは身を捻り躱す。
身体ギリギリの位置で攻撃を躱したため、隙のできた相手にハルは反撃の一撃を食らわせようと自身の握る木剣を振るうが――、難なくハルの一撃は受け止められてしまう。
「いい動きだけど、惜しいねえ。ハル君」
楽しそうに笑みを浮かべる鍛錬の相手――ヨシュアは、片手で木剣を振るい、ハルの一撃を軽く振り払った。
ハルは上がった息を整えるため、一歩後ろに飛び退き深く息を吐き出す。
(――流石に本物の騎士だと強いな。片手で簡単に去なされちまう……)
ハルは両手で木剣を扱っていたが――、対するヨシュアは片手だけで木剣を扱い、余裕でハルの攻撃を受け止めていた。
将軍であるミハイルの両翼として仕える騎士の実力が伊達ではないと、ハルは思い知らされる。
「ほらほら。ビアンカ様に良いところ見せないとね、ハル君」
ヨシュアは言いながら空いている片手――、その手の平を上に向け、指で手招きをしてハルを挑発する。
ビアンカの名前を出され、ハルは中庭の片隅に腰掛けるビアンカにチラッと目を向ける。
ハルの目に映ったビアンカは、ハルとヨシュアの鍛錬試合の様子を真剣な眼差しで見守っていた。
(良いところって言ったってなあ……)
相手は本物の騎士だ。ハルが得意としている待ちの体勢である受け流しも、ヨシュアには見透かされて通用しなかった。
あまつさえ「戦場では通用しない技法だよ」――と、ヨシュアに諭されてしまったほどだった。
――さあ、どうする……?
ハルは冷静に考えた後――、地面を蹴ってヨシュアの懐に入り込もうとする動作を見せた。
正直に真正面から向かってきたハルにヨシュアは笑みを見せるが――、ハルの眼差しを目にしてゾクリとした寒気を感じ、今まで余裕から浮かべていた笑みを崩し、眉を寄せた。
ヨシュアの目にしたハルは――、酷く冷えた目をしていたのだ。
「――――っ!!」
それは、畏怖にも似た感情をヨシュアに抱かせた。
まずい――、とヨシュアが感じた瞬間、振り被られたハルの木剣を力いっぱい薙いだ自身の木剣で打ち払っていた。
木同士の当たる乾いた音が辺りに響いたと同時に、ハルの握っていた木剣が弾き飛ばされ宙を舞っていく。
「いってえ……っ!!」
握っていた木剣を弾き飛ばされたハルが苦悶の声を上げた。
ハルの声を聞き、ヨシュアはハッと我に返る。
ヨシュアは一瞬背中に冷や汗を感じる感覚を受け――、咄嗟に身体が動いてしまっていたのだ。
「悪い、ハル君。思いっきり振り払ったわ」
ヨシュアは苦笑いを見せて、ハルに詫びる。
ハルは木剣を握っていた右手を振るって、ヨシュアに文句を言いたげな表情を見せていた。
「ヨシュアってば、大人げないんじゃない?!」
だが――、ハルの代わりにヨシュアに文句を投げ掛けてきたのは、二人の鍛錬試合を見守っていたビアンカだった。
「そ、そんなあ。ビアンカ様まで……」
ハルに文句を言いたげにされ、ビアンカに叱責され、ヨシュアは狼狽えてしまう。
ヨシュアは思わず、庭の片隅でレオンから渡された書類に目を通しているミハイルに助けを求める視線を送る――。
しかし、ミハイルはチラッと書類から目を離し、ヨシュアを見て苦笑するだけで再び書類に目を通し始めた。
そんなミハイルの様子に、ヨシュアはガクッと肩を落とした。
(しかし……、さっきのハル君の気配。あれは――殺気か……?)
ヨシュアは肩を落としつつ――、先ほどのハルから感じた畏怖に似た感覚を思い返す。
寒気を催すほどの冷たい眼差しを、ハルは一瞬だけヨシュアに見せた。
そのハルの眼差しにヨシュアは怯み――、力加減のない一撃をハルに見舞わせてしまった。
(あれは人を殺めることも厭わない眼差しだった。あんな目を彼がするとは……)
ヨシュアがハルに目を向けると、ハルは既にビアンカの元に向かっており、二人で談笑していた。
ビアンカと話をするハルの様子は普段の気さくな少年そのもので――、先ほどヨシュアが目にしたものは一体何だったのだろうかと、彼に思わせる。
「国境の砦で会った時から不思議な少年だって思っていたけど、想像以上に裏がありそうな奴だなあ……」
ヨシュアは誰に言うでもなく、ボソッと小さく呟くのだった。
◇◇◇
――ハルとヨシュアの鍛錬試合が終わった後。
寡黙で物静かな騎士――レオンは、その顔には出さないが困っていた。
レオンの目の前で、ビアンカが木剣を手にして屈伸運動をしている。
(どうしてこういう流れになった……?)
レオンは木剣を片手に持ち、考える。
(私がビアンカ様のお相手をすることになるとか。しかもミハイル将軍のいらっしゃる前で……)
悶々とレオンは現状に思いを馳せる。
ミハイルに報告すべき急務ができたため、ヨシュアとレオンは書類を持ち、ウェーバー邸を訪れていた。
そして偶々ミハイル指南の元で、ハルとビアンカが剣術の鍛錬をしている現場に出くわし、ヨシュアが面白半分にハルの鍛錬の相手をした。
その鍛錬試合を見ていた活発な性格のビアンカが黙っているはずもなく、自分も鍛錬試合をしたいと言い出し――、何故かレオンが相手をすることになり、今に至っている。
レオンは「はあ……」――と、溜息を吐き出した。
(手加減するべき……、なのか。万が一、ビアンカ様に怪我でもさせてしまったら、ミハイル将軍に面目が立たないぞ)
「おーい、レオン。思ったことは口に出せよー!!」
無言のまま考え事に耽るレオンにヨシュアが茶々を入れる。
「わかっている……」
静かにレオンは答える。
そして、手にした木剣を――構えた。
「レオンと試合するのは初めてね。よろしくね」
レオンが木剣を構えたのを目にして、ビアンカは笑みを浮かべて構えを取る。
「レオン、手加減は無用だ。本物の騎士の実力をビアンカに見せてやってくれ」
書類に目を通し終えたミハイルは、二人の様子を見て微かに笑う。
「承知いたしました――」
ミハイルの言葉にレオンは答え、静かな眼差しをビアンカに向けた。
「始め――っ!!」
ミハイルが鍛錬試合開始の合図を送る。
開始の合図と同時に――、ビアンカが木剣を片手に持ち、一気にレオンの元に踏み込んできた。
思っていた以上に俊敏なビアンカの踏み込みに、レオンは驚いた。
だが、驚きつつも――、レオンはビアンカの横切りの一撃を、簡単に片手で握る木剣で受け止める。
ビアンカの一撃を受け止めた勢いのまま、レオンは力を込めて木剣を薙ぎ払う。
木剣を薙ぎ払われたビアンカは――、その身を翻しつつ、回転の勢いを利用して再度レオンに向かい一撃を食らわせようと木剣を叩きつけてきた。レオンは再度それを木剣で受ける。
(怯まないで遠心力を利用して反撃してくるか――)
レオンはビアンカの動きに感心する。
ビアンカは非力な少女なりの戦い方を、剣術師範代であるホムラの教えを元に体得していた。
棍術の鍛錬で培った俊敏な動きを大本として、その持ち前の素早い身のこなしや立ち回りで剣術の腕も上達させてきていたのだ。
それは当初、剣術での鍛錬試合で連勝続きだったハルの記録を止めさせ――、時にはビアンカが勝利を収めるほどまでの成長を見せていた。
木剣を受け止められたビアンカがレオンを見上げ、二ッと笑う。
(なんだ……?)
ビアンカの笑みの意図が読めなかったレオンは怪訝な表情を見せる。
そのため――、数瞬だけレオンの反応が遅れた。
ビアンカは攻撃を受け止めたレオンの木剣に沿って、自身の握る木剣を滑らせると――、ステップを踏むように軽やかな足運びでレオンの背後に回り込んだ。
「!!」
「――いただきっ!!」
思いがけないビアンカの動きにレオンが驚いている隙に、ビアンカは木剣を振り被る。
振り被られたビアンカの一撃をレオンは身を捻り、寸でのところで木剣で受け止めた。
不意打ちに近い一撃を受け止められ、ビアンカはムッとした表情を浮かべる。
「……やりますね、ビアンカ様」
レオンは素直な感想を口にする。
普段の騎士としての実直な訓練を受けた者同士の鍛錬――。
その鍛錬では決して見られないビアンカの予想外な動き。それにレオンは翻弄されていた。
「レオンもね。流石、お父様の直属の騎士様ね」
言いながら、ビアンカは一歩飛び退き、再び木剣を構える。
(末恐ろしい方だ……)
レオンは微かに笑みを浮かべ、自身も再び構えを取った。
「レオンさん、翻弄されていますね」
レオンとビアンカの鍛錬試合を傍観していたハルは、ボソッと呟いた。
「レオンは頭が固く、実直すぎるからな。ビアンカのように身のこなしの軽い立ち回りをされると上手く対応できないことが多い。傭兵などの戦い慣れした者を相手にするのは不向きなのが難点といったところか」
「あいつ、騎士団でも“猪”って比喩されていますからねえ」
ミハイルとヨシュアも、ビアンカの動きに翻弄されているレオンを見て苦笑する。
「これは休暇が明けたら再訓練といったところだな……」
「ええええ、本気ですか?!」
ミハイルの言葉にヨシュアは声を上げる。ヨシュアの声に、ミハイルは頷き返事をした。
「私は冗談など言わぬよ」
ミハイルの返答に、ヨシュアは再び肩を落とすのだった。
その後、ビアンカとレオンの鍛錬試合は、ビアンカがレオンを翻弄しつつ長丁場の試合となったが――、レオンがビアンカの木剣を叩き落とすという形で決着がついた。
ビアンカは試合には負けはしたものの、ミハイルから「なかなか良い動きだったぞ」――と褒められ、嬉しそうに笑顔を見せる。
喜ぶビアンカの様子を目にして、ミハイルは父親らしい優しい笑みを浮かべていた。
こうしてミハイルの三日間の休日は大きな事件もなく、親子の時間を無事に作ることができ、平穏に過ぎていった――。




