D-52 リタエイション
リタエイション
悪夢の時間だ
悪夢のような時間、という説明がある。
それは悪夢のような酷く重苦しい時間のことであって、悪夢そのものではない。
では、悪夢の時間とは何か。
それを黒槍は今まさに体感していた。
「なんだ、これっ……!?」
これが夢だと言うことは分かっていた。
今、黒槍が所属する冒険者パーティー、黒翼の風は彼の出身地レミナの街に滞在しているのだ。
しかし、ここはどう見ても黒翼の風の本拠地である、デザイアの森近く。
そして、黒翼の風のパーティーハウスの中の、寝室だ。
黒槍は、自分が使っている個室の中で目覚めた。
サウナのような、そうではないような嫌な蒸し暑さに異常を感じたのだ。
焦げた匂い、飛び散る火の粉……パーティーハウスが燃えていた。
黒槍はつい最近、人のパーティーハウスを燃やしたばかりなので、これは本物の匂いだと気付く。
何故、自分が地理的距離を飛び越えて、ここにいるのかはまるで分からない。
それでも、とにかく仲間の安否を確認しなければならなかった。
廊下を駆け抜け、何故か開いていた扉を蹴り開けると、彼が見えた。
「うそ、だろ。なんでっ、ツヅミ、ツヅミさん、返事をしてくれ!」
リーダーの暁のツヅミが、血だまりの中に倒れていた。
傷は一つ、肩から腹にかけて一筋あるだけだった。
よほど鋭利な刃を上から振り下ろしたのだろう、と考えて一人の男が候補に浮かぶ。
いや、まさか。人を安易に疑うなんて、よくない。
ツヅミの瞳は焦点が合っておらず、彼の魂は既にここから旅立ったあとのようだった。
黒槍はしばし呆然とそこに佇んでいた。
自身の両手をツヅミの血で濡らしたまま。
ふいに、女性の悲鳴が聞こえた。近い。誰の悲鳴かなんて、考える余裕はなかった。
ツヅミの部屋を飛び出し、ここから一番近いサキの部屋へ駆けた。
非常事態だからと言い訳を口にしながら部屋の前までスライディングした。
蒼炎のサキは、廊下と部屋にまたがるように倒れていた。
「サキ、さ……あ、あぁ……」
部屋の壁や扉には血の跡がたくさん付いていて、最後まで敵を追おうとしていたことが分かる。
酷い怪我を負ったあと、犯人を追いかけるために壁を頼り歩き、廊下の手前で力尽きた。
そんなことがありありと分かる空間がそこにはあった。
乾いた血が付くサキの指先に触れてみたが、当然冷たかった。
……冷たい? サキが殺されたのはさっきのことじゃない。
じゃあ、ツヅミの部屋で聞いた女性の悲鳴は――。
ムウが、危ない。
判断より先に、足が動いた。
ダッシュの連続で、息が上がる。
だが、そんなことよりも仲間の身が心配だった。
死に物狂いで、火事場の馬鹿力で、玄関まで走った。
何故、そうしたのかは分からない。
敵の気配がしたのか、敵がそのように誘導したのか。
果たして、そこには。
あいつがいた。ムウもいた。
あいつは玄関ホールの中央で、血を流すムウを持ち上げている。
「ムウを離せっ」
返り血で真っ赤なそいつは、ちらりと黒槍を一瞥した。
その瞳に、以前見せた怒りはない。
これが、彼個人の報復?
階段から叫ぶことしかできないのが悔しい。
あいつが目を閉じて、そっと手を離した。
ムウが落ちる。
あいつは背が高い。ムウは高いところからゆっくり落ちていく。
手を伸ばす黒槍、それも空しく、ムウは鈍い音を立てて床に転がった。
だが、見えた。僅かに上下する胸が。……ムウはまだ生きてる?
弾かれたように身体が動くようになった。
手の中に出現した自分の得物をバネにして、階段から飛び降りる。
ダムッと床を軋ませ、床に崩れているムウに向かって走る。
間に合ってくれ! ただそれだけを願いながら。
「黒槍。居心地の良い場所を奪われる、というのはこういうことだ」
浅い呼吸を繰り返すムウを抱き上げて、座ったままそいつを見上げた。
激しく燃えるエントランスを背後にしているせいで、ほとんど姿は分からない。
それでも、真っ暗な中で場違いに煌めく、青い瞳は見えた。
「これで手打ちにしてやる」
その男がそう言うと、バチッと視界が暗くなる。
黒槍がもう一度目を開けると、そこはレミナの街の借り一軒家だった。
身体を起こし、バクバクとうるさい心臓を押さえながら周りを見渡す。
火の影はない。嫌な匂いはしない。血の匂いも。悲鳴も聞こえない。
いますぐ仲間の安否を確かめにいくべきだ、そう思うのに動けなかった。
部屋の扉の奥に、仲間たちの死体が転がっているかもしれない。
そんな疑惑が頭から離れなくて。
その日、心配したツヅミが部屋に来るまで、黒槍は身動ぎひとつできなかった。
斧「手打ちって調べたらそばが出た」
?「だから何だよ」
斧「おれ側の確執はなくしたってことにするから、間違ってないよね?」
?「確実に向こう側に不和が生まれている件について、何か一言」
斧「いつもより優しくしましたよ?」




