2章:錬金術師の夢 その16 リコリス
「リコリス?ここにいたの?またその歌を歌っていたのね。」
「クラーラ…いいじゃない。この歌お父さまが大好きだった歌なんだから。」
リコリスと呼ばれたのは長いストレートの黒髪に抜けるような白い肌をした美しい女性だった。年の頃は20代半ば位だろうが。天井のステンドグラスからかすかに差し込んだ光が儚げにたたずむリコリスを幻想的に包み込んでいた。
「でもようやく準備ができたのでしょう?」
「…ええ。素材は集まったわ。今晩やろうと思うの。ううん、今日しかないの。」
「そう。良かったわね。100年かかったのでしょう?」
クラーラはリコリスがどれほどの長い年月をかけてこの準備をしていたかを知っていた。
「でもクラーラ。あなたはそれを許せるの?私がやろうとしていることはあなたたちの価値観からすれば禁忌に属することのはずよ。」
「もう人の価値観なんてどこかに行っちゃったわ。あなたと付き合い始めてからね。」
「そう。不思議なものね。逆に私があなたたちの価値観を気にするなんてね。」
そういってリコリスはクスクスと笑った。
「ねぇ。この歌の意味教えてあげようか?」
「そうね。歌はすっかり覚えちゃったけど、意味は教えてもらってなかったわね。」
あのね、この歌はね。神様に感謝をささげる歌なの。でもね。本当の意味はね…。
「クラーラ、リコリスは?」
「あ、姉さん。うん、今日の夜儀式をするそうよ。」
「そうか…。それでお前たちは解放されるんだな?」
「そうね。4人はすぐに解放されると思うわ。でも、私はどうかしらね。」
「なぜだ?お前も儀式が終われば用はないはずだろう?」
「私は…たぶん、駄目ね。神様は許してくださらないわ。」
「それは…ならあたしも同罪だ。一緒にどこかで暮らそう。」
「…そうね。うん、そうね。姉さん、…私たちは何のために生きているのかしらね。」
「それは難しい質問だな。死ねないやつを見ていて情が移ったのか?」
「そんな言い方しないで。リコリスはいい子よ。」
「そうだな。悪かった。人は何のために生きるのか、か。あたしは見たことがないものを見るために冒険者になった。そして同じ夢を見る仲間と出会うことができた。それが生きる目標とかそういうものじゃないかと思っているんだけどな。」
「姉さんらしいわね。でも私にはわからないわ。リコリスはどれだけ寂しい思いをしながらここまで生きてきたのだろうかって考えたら、死ぬことができるのって幸せなことじゃないかって思えちゃってね。」
「今度エルフにでも会ったら聞いてみるよ。」
私達が目を覚ました時、周りの様子は一変してしまっていたの。お父さまの大切な実験器具は朽ち果て、ラボはその形さえ残していなかったわ。まるで何百年も時間がたち自然に帰るかの如く様々な植物がラボを侵食していたのよ。
お父さまと私は途方に暮れたけれど、お父さまは私をとても大切にしてくれた。私がいてくれてうれしいと言ってくれたわ。だから私はお父さまの期待に応えられるよう一所懸命頑張ったわ。
それから私達は世界を歩いて回った。お父さまはその知識で多くの奇跡を起こして見せたわ。でも私は知っている。お父さまが起こしたのは奇跡じゃないってことを。だってお父さまは稀代の錬金術師だもの。
お父さまは賢者の石を持っていた。それはとても綺麗なものだったわ。赤いクルミ大の宝石は多くの魔術の根源だった。お父さまは賢者の石を使い様々な秘術を行い、危険な魔獣ですら退治して見せたのよ?そして時には疫病で困っている村を救って見せたわ。お父さまはまるで救世主のように人々から感謝されたわ。私も鼻が高かった。
でもある時から世界の様子が変わったの。なぜだかわからないけれど大天主教と名乗る集団がお父さまを糾弾し始めたのよ。
お父さまが何か悪いことをしたの?そんなことはなかった。お父さまは常に困っている人を助け、人々の役に立とうとしていた。私はそれをいつも見ていた。お父さまは決して間違ったことはしていないわ。
それからお父さまは人前に出ようとしなくなったの。地下にラボを作り私と二人で研究を重ねた。お父さまが作りたかったもの。それは不老不死の霊薬。
お父さまはすごいのよ。不老不死の霊薬を作成するその手前の霊薬、エリキシル剤はすでに作っていたのだから。でもね。どうしても手に入らない素材があったんだって。いくら聞いてもそれが何なのかは教えていただけなかったの。どうしてかしらね。
お父さまはいつの頃からか、私に謝るようになってきたの。お父さまは私に何も悪いことなんかしていないのになぜ謝るのかな?その時はわからなかった。
お父さまは何度も何度も私に詫びながら息を引き取ったわ。ああ、大好きなお父さま。もう目を覚ますことはないのですね。私はこれからどうしたらよいのでしょうか。その時ようやくお父さまがなぜ私に詫びていたのかが理解できたの。お父さまがなぜ不老不死の霊薬を作りたがっていたのかも理解できたわ。
だって、私、死なないんだもの。
お父さまは私が一人でずっと生きていかなければならないことを心配してくれていたんだわ。
私はお父さまに何をしてあげることができるだろう。お父さまは何を望んでいたのだろう。
幸いなことに考える時間はたっぷりあったわ。ああ、お父さまともう一度お話ができたらなぁ。




