三話
インターホンに映しだされた男は、あまり気は進まないが、出ない訳にもいかない相手だ。玄関へと向かい、ドアを開けた。
「何かご用?」
「出て早々、随分な言い草だな、智瑠。君が仕事を休むなんて珍しいと思ってね。昨日も薬を転送してくれって言ってたから風邪でもこじらせたのかと様子を見に来たのさ」
「それはわざわざご苦労様。見ての通り元気でやってるわ。今日は、その……急用が出来て」
そうか、と黒田くんが呟き間が空くが、帰る様子を見せない。
「――なぁ、智瑠。昨日電話をもらって、その後にかけ直したんだけど」
着信には気が付いたが、後回しにしておいてそのままだった。
「ちょっと、それどころじゃなかったの」
黒田くんは落ち着き無く何度も重心を乗せる足を入れ替える。
「そっか……。あのさ、智瑠……俺達、ヨリ戻さないか?」
何を言い難そうにもじもじしているかと思えば……。
「呆れた。別れたいって言ったのは黒田くんの方でしょ」
「それは、そうだけど……」
「置いて行かれてるようで辛いって言ってたじゃない」
私の仕事が軌道に乗っているのが嫌だったんでしょうよ。男のプライドってやつ? くだらない。
「俺は不安だったんだよ。智瑠は冷たくて、時々しか食事もデートも付き合ってくれない。いつも仕事、仕事って。大体、部署は違うけど同じ職場なのに、会っても淡々としててさ。本当に俺の事が好きなのかわからなくなったんだ」
そうね。食事やデートの回数、職場での恋人に対する特別視が愛情表現に繋がるという黒田くんの考えに当てはめれば、私はそんなに黒田くんが好きではないことになるわね。
「別れた後も、気にするふうもなく普通に話しかけてくるし。智瑠にとって俺って何? 智瑠は始めから俺のこと何とも思ってなかったのか?」
黒田くんは訴えかけるように言う。
もう、いい加減にして欲しい。自分から言い出しておいて。意地でも貫いたらどう? ひとを試してのことだったらなおさら軽蔑するわ。
「動揺して欲しかった? それとも落ち込んでて欲しかったの? ああ、別れを切り出した時に、嫌だ、別れないでと無様に泣きついて欲しかったのかしら?」
「そういうことじゃなくてさぁ……」
「いいえ、そういうことなのよ、あなたが言っているのは。たとえ今ヨリを戻しても何も変わらないわ。私もあなたも何も変わっていないんだもの。きっと同じことの繰り返し。そんなの時間と労力の無駄。その分を他のところに回したいわ」
「だから何でそういう言い方をするんだよ。お前のそういうところが――」
不意に黒田くんは荒げかけた声を途切れさせ、視線を私からその後方へと移した。私も反射的にその視線の先を追うと、大きな花束を抱えた彼が立っていた。
「……そうかよ。そういう事かよ。もう新しい男が出来たってわけ?」
「はあ!?」
黒田くんは私を睨みつけると、邪魔したな、と言って素早く身を翻し去って行ってしまった。
「おっきな花束がとどいたよ。はい、サトル。――アハハ、かくれちゃったねぇ」
渡されるがまま、邪魔臭い花束を抱きかかえる。
黒田くんに誤解されたが、まあ、話を早く切り上げられて良かった。あのままだと口論になって長引いていたかもしれない。
長い付き合いだけれど、黒田くんは私の心の中までは知らない。知られたくないのに、知ってて欲しいと思うのは我が儘が過ぎる……。
「さっきの人って、サトルの男?」
「――げふぉっ、ごほっ……!」
唾が変な所に入った。
「その、誰々の男とか女とかそういう言いかたやめて。下品」
邪魔な花束を彼に押し付けて居間へと戻る。
「んと、じゃあ、好きな人」
「元ね、元。今はもうただの同僚」
「ふうん。――ね、ね、ね、この花束は誰からかな? あっ、てんそうそうちに書いてあるかも」
言って、彼は転送装置に駆け寄って画面にタッチし履歴を見るが、彼の読み上げる声はたどたどしい。
「お……いきにち、おめでとう……とうかあ」
「お誕生日おめでとう、From父母」
「すごぉい、サトル。見なくてもわかるんだァ」
当たり前だ。毎年毎年同じ文章、同じ贈り物。違っているのは祝う日。私の誕生日は昨日だった。
両親は仕事に生きている。私が小さい時からそうだった。娘の生まれた日など憶えていない。そもそもこれらプレゼントを本人たちが送っているのかも定かではない。適当に店で発注して済ましているのだろう、「毎年」と頼めばそれまでだ。送ってきてくれるだけ、私の存在を忘れずにいてくれるだけ良いと思うのは疾うの昔にやめた。顔も十何年会わせていない。
いったい誰がおめでたいだなんて思っているのだろう。
なんら特別な日ではない。
「サトル、何歳になったの?」
「……二十五」
私がそう答えると、彼は言った。
おめでとう、と。
* *
夜の暗い中でしょっちゅう彼は窓の近くで外を見ていた。
空をふと見上げるのが彼の癖だということを、二週間共に過ごして気がついた。未だに彼は私の家に住み着いている。
「面白いものもないでしょうに」
「キラキラ光っててキレイではあるよ」
「偽物の星――ただのライトだけどね」
「でも、ぼくにとってそう在るのは本当。――あそこにあるのはね、オリオン座って言うんだ。一等星のペテルギウスとリゲル、その間に二等星があって、その三つが並んであるのが特徴かな」
彼が指差す方向を見ても私にはさっぱりわからなかった。全部同じに見えた。
「星や星座にはそれにまつわる神話や伝説があってね、それがまた面白いんだ」
「あなたそういうものまで読んでいるの?」
彼は読み書きの勉強を兼ねて本を読み始めたのだ。
「うん、読めるものは手当たり次第にね。だって家事すぐに終わっちゃうんだもん。余った時間で宇宙にも行けちゃうよ」
「行っても戦争中だから気をつけることね。ま、今は一般人の出国は規制されてるから無理だけど」
「じゃあ、地球に降りようかな」
「それも政府に管理されてるから、降りたかったらゴミになるといいわ。地球なんてもうゴミ箱扱いだから、無料で一緒に投げ捨ててくれるわよ。――まったく、どうしようもないのに旧自然主義者たちがそれを批判してデモなんて起こして。道を塞がれたこっちはいい迷惑……」
彼は吹き出して、からからと笑った。
「冗談で言ったのに。――サトルみたいな人を真面目って言うのかな」
「さあ、どうだか」
「教えてよ、意地悪だなァ」
それから自然と静寂に包まれた。何をするでもなく、私は近くの椅子に腰掛けて、左後ろから窓辺に佇む彼の顔を眺めていた。
何気なく私は後ろを振り向いた。暗い部屋の奥はますます暗く、どんどん鼓動が早く強くなっていき耳まで響いた。何も居ないのに、何かが居るような気がして、それでもやっぱり何も居ないから、行き場の無い恐怖感を持て余した。
仄明るい灯りのさす窓辺にいる彼の方に一歩にじり寄ると、少しほっとした。
始めこそ彼のマイペースさに苛々していたが、次第にそのマイペースの穏やかさが私に落ち着きを与え、そうしていつの間にか彼の柔和な笑顔に癒されている自分がいた。
「ねぇ……名前、つけてもいい?」
いつまでも「ちょっと」とか「あなた」と呼ぶのも可哀相だ。今更だとも思うが、彼に名前があって欲しい。彼を名前で呼びたい。
彼は振り返った。
「いいよ。どんな名前?」
確か昔はケイと呼ばれていたと言っていた。
ケイ――謦、出会った印象から「せきばらい」は駄目かな。
ケイ――慶、縁起をかついで、とか。
ケイ、ケー、K……?
いや、何もこの名に拘ることもないか。彼は捨てたと言ったんだ。わざわざ再利用することもないだろう。
当の本人はまたポケっと宙を見ていた。それで思いついた。
「――ショウ」
ん? と彼は小首を傾げた。
「名前、ショウっていうのはどう? 雨冠に、肖像の肖。ソラとかヨイって意味もあって、ほら、あなたいつも眺めてるし。ちょっと安易だけどいいでしょ」
外からの淡い光を受けながら彼は嬉しそうに頬を上げて笑った。
「ショウ……霄、霄! いいね、霄。ありがとう、サトル」
* *
「――智瑠」
呼びかける声と共に、横から伸びた手がコーヒーをデスクに置いた。私は仕事の手を止めて黒田くんを見遣った。
「昇進おめでとう、智瑠。班長になったんだってな」
「どうも。――ま、雑務が増えただけだけどね」
「それで、早速残業とはご苦労様」
「R-age64が死んだからそのレポート作成よ」
「それって先輩達の継続研究だろ? なんだ、結局死んじゃったのか」
黒田くんはデスクに寄りかかって、自分のコーヒーに口をつけた。
「ええ。人間で二十年はもった方だけど、テロメアの長さを維持できたのも最初の方だけ。後は細胞が壊れて老化症状が出たり、副作用で髪は抜けるわ吐血はするわで」
そこで区切ってもらったコーヒーを喉に流す。それから「でも」と続けた。
「焦りすぎだわ、こんなの……。臓器全てが成功してからやるべきよ。いくらA級本部だからって、無駄に死なせてる」
「そうは言っても、最終的には生きてる人間に効果がないといけないんだろ? いくら個々の臓器で成功したからって、全部が合わさって活動している場合に使用しても上手くそれが作用するとは限らないんじゃないのか。むしろ、もしかしたら、そうやって生体のままの実験を続ける方が近道かもしれないよ」
そうね、と返事をしたが私はどうにも釈然としなかった。
「……結局は、未来にならないとわからないって話よね。どれが近道なのかなんて」
一つ大きな伸びをして、私が帰り支度を始めると、黒田くんはぽつりと呟いた。
「智瑠、変わったな……少し、太った」
「女性に向かってそういう台詞を吐くものかしら」
棘を持って言い返すと、黒田くんは焦って否定した。
「そうでなく、健康的になったなぁって意味で。表情とかもどこか柔らかくなったというか……」
その原因が思い当たるけれど、私は無言で返事をした。
「……まだ、続いているんだな、お前の所の彼とは。……もう、半年は経つか?」
そう。半年が経った、彼――霄と暮らして。すでにそれが私の日常。
だけれども、なおもあえて黒田くんには無言で答えた。
「彼は、どんなヤツなんだ? いつ知り合ったのか知らないけどさ、俺よりも上なのか? ……だったら俺、そいつを超えるから。俺じゃダメなのか? 智瑠のこと諦められないんだ」
嫌な男……。
高等学校からの付き合いだが、相も変わらない人。いや、変わらないというより自分の事がわかっていない。私がわからせてあげる義理はないが、そろそろ我慢の限界だ。