盲目の愛
むかしむかし、あるところに
綺麗なものが大好きな王子様がいました
たいそう綺麗なものに執着する彼は、とても優秀な頭と類稀な行動力を持つ、素晴らしい王子様でしたが、一方で、私的な時間の全てを部屋に篭り、集めた宝石や衣類を眺めて過ごすたいそう変わった人でした
王様や王妃様はたった一人の子供に甘くて、自分たちも若いためか彼の趣味にどうと口を出すことはありませんでした
所変わって、あるところに
それはそれは美しい町娘がいました
光り輝くような美しさで清らかなる心を持つ彼女は瞬く間に国中にその名を知られるようになりました
もちろん、それは王子様の耳にも入ります
たいそう綺麗なものが好きな王子様は是非、その娘が欲しいと願い、娘を城に召し上げました
家を捨て
家族を捨て
友を捨て
自由を捨てて
娘は王子様の望むがままに城に召し上げられました
初めて彼女を目にした王子様は思わず、ああ、と感嘆のため息を漏らします
凛とした佇まい、夕暮れを思わせる髪と瞳の色、緩やかな弧を描く、桜色の唇
そして何より彼を魅了したのは焦点の合わない目でした
ふわふわと、踊るように左右で別の動き方をする、朝露色の瞳はそれだけで彼女の持つ欠陥をありありと表します
彼女は、盲目なのでした
何も見えない彼女を王子様はそれはそれは大切にしました
何時もの宝石や衣類を保管している部屋に入れて、日がな一日ベッドに座らせて、毎日着せ替えをして愛でました
日によっては一日中服を着せない日もありました
王子様は彼女の身体の全てを愛していたので絶対に触れることはありませんでした
触れて、その美しい均衡の取れた身体が崩れてしまったら
そんな妄想に取り憑かれていたのです
ですが、無情にも時は人を変えてしまいます
毎日毎日愛で続けていた王子様はある日から徐々に彼女を愛でる時間を減らし始めました
毎日、新しく美しいものが入ってくる部屋の中
彼女は何も見えず
ただ一人、王子様に愛でられるためだけにあるのです
なのに
王子様はとうとう、彼女に会いに来なくなりました
それは、彼女の肌が、顔が、胸が老いて衰え始めてしまったからでした
その頃にはもう王様となっていた王子様は後宮にたくさんの美しい女性を囲い、もう彼女のことなんて頭に欠片もありません
彼女はただ、待ちました
愛でられることだけが彼女の存在意義であり、彼女の、全てを捨てさせられた盲目の女性の唯一の悦楽だったのです
けれども、どれだけ待っても王子様は彼女に会いに来ません
ある時、王子様が愛でていた衣類や装飾品を正妃や後宮の側室たちに与えるため、城の使いが部屋に訪れます
彼女は一応担当のものが風呂に入れたり食事を与えたりしていたのですが、それも随分おざなりになり、たった一人になっていて昔の輝くような美しさはもうありません
彼女は、幽霊のようにただベッドに腰掛けて目を彷徨わせていたのでした
朝露色の瞳は、深い深い夜の闇色に染まり如何にも怪しげに変わって
夕暮れを思わせる髪色は逢魔が時を連想させる妖しさを持ちました
何より、緩やかな弧を描いていた桜色の唇が
彼女の血で真っ赤に染まる、半円を描いていたのです
その姿の妖しさに、惑わされたように城の使いたちは喉に悲鳴を張り付かせました
けれど、叫ぶことはできません
目が見えない彼女に気づかれないためには、声を出してはいけないのだと皆本能的に悟ったからです
彼女はそんな彼らの存在を感じながら久し振りに立ち上がりました
立ち上がるといつの間にか完成されていた妖艶な肢体が皆の目に晒されます
ここに来てからずっと、彼女の世話をしていた男が彼女に黒いローブを羽織らせました
その時、彼女は薄いネグリジェしか来ていなかったからです
ローブを羽織った彼女はまるで絵本から飛び出した悪い魔女のよう
かつての絵本の姫君のような美貌がよくも変わったものでした
そして、半円を描く彼女の口が小さく音を紡ぎます
王子様を、呼びなさい
この場に彼女に逆らえるものなど等にいないので城の使いたちはこれ幸いと逃げるように走り出しました
間も無くして王様が怪訝な顔で現れます
彼は彼女の姿を見てただ一言呟きました
誰だ、こんな醜女をいれたのは
その言葉に彼女は王様の存在を感じ取り、静かに膝を折ました
王様の後ろでは先ほどの使いたちが王様の言葉に恐れ戦いてもう顔色もありません
けれど、けれど
彼女にとっては王様の嫌そうな顔も使いたちの恐怖に震える顔も等しく価値がありません
だって、見えないのですから
彼女にとって大切なのは、王様が発した、言葉
緩やかな弧を描く口はさらに釣り上がり、長く伸びた血に染まる赤い爪がその頤に触れます
お忘れですか、酷い方
歌うような声は聴くものの背にゾッと冷たいものを這わせるもので
さすがの王様も顔の色をなくして行きます
決定的だったのは踊るような目の動き
彼は、それを見て彼女のことを思い出したのでした
時間とは残酷ですわ
膝を折っていた彼女は侍らせたたった一人の世話役に手伝わせながら優美に立ち上がり、王様に歩み寄ります
あんなに愛でてくださっていたのに
一歩、二歩
近づくたびに王様は鼓動が速くなりジリジリと後退します
本来なら間に割って入るべき護衛たちは既に泡を吹いて倒れています
今この場で意識を持って動くのはとうに3人だけになっていたのです
ねぇ、愛でてくださいな、わたくしを
昔のように、ね?
つ、と王様の頬を伝う長い爪がそっと王様の喉元に下ろされます
反対の手も同様に、計十本の長く鋭い爪が王様の喉を弄ぶように動きました
王様は慄いてもう言葉もありません
彼女は酷く満足げでありました
これで、あなたとわたくし、永遠に一緒です
にっこり笑って、王様が言葉を発するよりも速く、十本の爪でその喉を引き裂きました
舞い散る血の中で彼女はうっとりと笑います
ああ、あなたに染まれるのね
頭から被るドロリとした血に舌舐めずりをして彼女は今度は自分の喉元に爪を当てました
そしてふと、自分に最後まで使える男に
はっきりと両の目を、視線を向けるのです
今日までどうもありがとう
あなたのおかげで幸せでしたわ
にっこり
その笑顔だけは昔となに一つ変わらず
男は、幼少の頃より見慣れた大切な妹のその笑顔に泣きそうに笑います
お前は変わらない
彼女の血濡れの手を取り、そこに口付けながら、そっと紡がれる言葉に彼女はにこにこと幼く笑います
ありがとう、お兄様
愛してたよ、アイロニー
舞う血しぶきだけを残して、もうそこには首から血を流す王様と泡を吹く使いたちの姿しかないのでした