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汚部屋王子を捨て、無菌の寵愛へ  作者: 月雅


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第6話 崩壊する祖国(物理)


「……おいマリア、本当に大丈夫なんだろうな?」


僕は鼻を押さえながら、婚約者に問いかけた。

今夜は隣国の使節団を招いての重要な夜会だ。

だというのに、会場である大広間には、どぶ川のような異臭が漂っている。


「平気よぉ、カイル様。あたしの魔法で、ぜーんぶ綺麗に見せちゃいますからぁ」


マリアが自身の杖を振るう。

ピンク色の光が会場を包み込み、薄汚れた壁や床を覆い隠していく。

黒ずんだシャンデリアはダイヤモンドのように輝き、シミだらけのカーペットは深紅の新品に見えるようになった。


「すごいな。さすがは聖女だ」


僕は感心して頷いた。

見た目だけは完璧だ。

かつてここにいた地味な女、レティーシャとは大違いだ。

あの女は毎日セカセカと掃除ばかりして、優雅さのかけらもなかった。

それに比べてマリアの魔法は、一瞬で世界を変えてくれる。


「でも、この臭いはどうにかならないのか?」

「香水を撒けばいいのよぉ。ほら、たっぷり」


マリアがキツイ花の香りの香水を、霧のように散布する。

腐敗臭と花の香りが混ざり合い、なんとも言えない濃厚な空気が生まれた。

少し吐き気がするが、我慢するしかない。


ここ数日、なぜか城中の水回りが壊滅している。

トイレは流れず、風呂の水は濁り、廊下の隅には見たことのない黒い虫が湧いている。

レティーシャを追放した直後からこれだ。

あの女、出ていく際に嫌がらせで呪いをかけていったに違いない。


「それでは殿下、開場のお時間です」


疲れ切った顔の侍従が扉を開ける。

僕は背筋を伸ばし、マリアの手を取った。


「行こう。僕たちの輝かしい姿を見せつけるんだ」



夜会は、当初こそ順調だった。

着飾った貴族たちが、生まれ変わったように(見える)美しい広間に感嘆の声を上げている。


「なんと素晴らしい」

「ルベリア王国の繁栄ぶりが見て取れますな」


僕はワイングラスを片手に、得意満面に頷いた。

このグラスも、実は内側に茶渋がこびりついているのだが、幻影魔法のおかげでクリスタルのように透明に見えている。


「ええ、我が国は常に美を追求しておりますので」


そう答えた時だった。

隣に立っていたマリアが、ふらりとよろめいた。


「……あれぇ? なんか、急に力が……」


彼女の額に脂汗が滲んでいる。

広範囲への【幻影魔法】の維持。

それは彼女の魔力量キャパシティを超えた重労働だったらしい。


パリン、と乾いた音がした。


まずは、シャンデリアの幻影が砕け散った。

キラキラと輝いていた光が消え、現れたのは、埃と蜘蛛の巣にまみれた薄汚い鉄屑。

パラパラと降り注ぐ埃が、直下にいた貴婦人のスープ皿に落下する。


「きゃっ!?」


悲鳴が上がるが、それは序章に過ぎなかった。


バツン、バツンと音を立てて、魔法が解除されていく。


深紅のカーペットは、ワインと食べこぼしで変色した本来の姿へ。

美しい壁画は、カビと煤で黒ずんだ石壁へ。

そして極めつけは、会場の隅に積み上げられていた「とりあえず隠しておいたゴミの山」の出現だ。


「な、なんだこれは!」

「虫が! ドレスに虫が!」

「臭い! 酷い悪臭だ!」


会場は阿鼻叫喚の地獄と化した。

マリアが誤魔化していたのは視覚情報だけ。

実体としてそこにあった生ゴミ、汚物、害虫たちが、堰を切ったように主張を始めたのだ。


「ひぃぃ! カイル様ぁ、助けてぇ!」


マリアが僕にしがみついてくる。

その拍子に、彼女のドレスの幻影も解けた。

現れたのは、数日洗濯しておらず、ソースの染みがついたままの薄汚れたドレス。

僕の衣装も同様だ。

襟元が黄ばみ、袖口が黒ずんでいる。


「え……?」


招待客たちが、ハンカチで鼻を覆いながら、侮蔑の眼差しを向けてくる。

さっきまでの称賛が、嘲笑へと変わる。

国家の威信ブランドが、音を立てて崩れ落ちていく。


「ち、違う! これは僕のせいじゃない!」


僕は叫んだ。

そうだ、これは異常事態だ。

城が勝手に汚れるなんてありえない。

誰かが、悪意を持って汚しているんだ。


脳裏に浮かんだのは、あの女の顔。

地味で、いつも掃除道具を持ち歩いていた、元婚約者。


「レティーシャ……! あいつだ、あいつがやったんだ!」


掃除をサボタージュし、城の機能を停止させ、僕に恥をかかせるための呪い。

そうに決まっている。

でなければ、彼女がいなくなった途端にこんなことになるはずがない。


「殿下、お客様がお帰りになります!」

「止めろ! 誤解だと言え!」


怒号が飛び交う中、僕は怒りで震える手で、近くにあった紙とペンをひったくった。


あいつは勘違いしている。

追放されたからといって、僕との関係が切れたと思っているようだが、大間違いだ。

僕が「戻れ」と言えば、戻ってきて傅くのが彼女の義務だ。

だって僕は王子で、彼女は僕に仕えるために存在していたのだから。


『レティーシャ・ローズブレイドへ告ぐ』


僕はインクを飛び散らせながら書き殴った。


『城が大変なことになっている。貴様の呪いのせいだ。

 直ちに城へ戻り、この汚物を処理しろ。

 これは命令だ。もし戻らなければ、国家反逆罪で処罰する』


所有権は僕にある。

彼女の労働力も、技術も、本来は僕のために使われるべき国家資産リソースだ。

それを勝手に持ち出し、あまつさえこんな呪いを残していくなど、言語道断。


「おい、これを至急届けろ! サファイア帝国へ向かったという情報がある!」


侍従に手紙を投げつける。

彼もまた、汚れた床に足を滑らせながら慌てて走り去っていった。


僕は荒い息を吐きながら、ゴミと悪臭にまみれた会場を見渡した。


「見ていろ……すぐに元通りにさせてやる」


僕が許せば、彼女は泣いて喜んで戻ってくるはずだ。

そうすれば、この悪夢も終わる。

だって僕は、この国で一番偉い王子様なのだから。


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