第2話 入国審査とピカピカのギルド
滞在許可証をカウンターに置いた。
国境検問所の厳しい顔をした審査官が、書類と私の顔を交互に見る。
私は背筋を伸ばし、営業スマイルを崩さない。
「職業は?」
「清掃業です」
「……清掃、ですか」
審査官の眉が怪訝そうに動いた。
無理もない。
一般的に、魔法使いといえば魔物討伐や宮廷魔導師などの花形職を指す。
わざわざ魔力を使って掃除をする人間は、変わり者か、それ以外の才能がない落ちこぼれだ。
「ええ。専門は『頑固な汚れの完全撤去』および『空間リセット』です」
私は胸を張って答えた。
かつて祖国の王城で、カイル王子の部屋という最悪の現場を回し続けてきた実績がある。
どんな汚れも怖くない。
「……まあ、身元はしっかりしているようだ。サファイア帝国へようこそ。ただし、法を犯せば即刻退去だぞ」
入国印が押される。
私は書類を受け取り、新しい国へと足を踏み入れた。
◇
「素晴らしい……!」
帝都の大通りを目にした瞬間、感嘆の声が漏れた。
石畳は平らに整備され、排水溝もしっかり機能している。
道行く人々も小綺麗で、どこぞの国のように窓から汚水を投げ捨てる不届き者もいない。
まさに、秩序と衛生の楽園。
ここなら、私の技術も正当に評価されるはずだ。
私はトランクを握り直し、まずは職を求めて「冒険者ギルド」を目指した。
冒険者ギルド。
荒くれ者たちが集う場所だが、あらゆる依頼の仲介所でもある。
個人事業主として活動するには、まずここに登録するのが手っ取り早い。
重厚な扉を開ける。
途端、むっとした熱気と、男たちの汗、そして泥の臭いが鼻をついた。
(……あら)
私は思わずハンカチで鼻を覆った。
街は綺麗なのに、ここだけ空気が違う。
床には冒険者のブーツから落ちた泥がこびりつき、壁には煤け、カウンターの手すりは手垢で黒ずんでいる。
職業病だろうか。
指先がピクリと反応した。
あの泥汚れ、酸性の洗浄液なら3秒で落ちる。
あの煤けは、風属性の微弱振動で剥がせば一瞬だ。
「次の方ー」
受付嬢の気怠げな声に呼ばれ、私はカウンターへ進んだ。
「登録希望ね。使える魔法系統と、得意分野は?」
「生活魔法の応用です。得意分野は、清掃全般」
「清掃……?」
受付嬢が手を止め、まじまじと私を見た。
「あのねぇ、うちは家政婦紹介所じゃないのよ。魔獣を倒せるとか、荷運びができるとか、そういうのはないの?」
「攻撃魔法は使えませんが、環境整備ならお任せください」
「だから、そういうのは需要が……」
彼女が難色を示した、その時だ。
背後の酒場スペースから、ドカッと大きな音がした。
酔った冒険者がジョッキをひっくり返し、中身のエール(麦酒)を床にぶち撒けたのだ。
粘つく液体が広がり、さらに誰かが落とした揚げ物の油と混ざり合う。
「あーあ、まただよ。掃除係が辞めたばかりなのに」
受付嬢が溜息をつき、雑巾を取りに行こうとする。
「お待ちください」
私は彼女を制した。
これはチャンスだ。
ビジネスにおいて、実演に勝るプレゼンはない。
「私が処理します。もし綺麗になったら、私の登録を認めていただけますか?」
「え? まあ、やってくれるなら助かるけど……」
許可は取れた。
私は愛用のミスリル製モップ「白銀1号」を取り出し、汚染現場へ向かう。
床には、エールと油、そして長年蓄積された泥汚れの層ができている。
周囲の冒険者たちが「なんだあの嬢ちゃん」と野次を飛ばすが、無視だ。
私は対象物を凝視し、所有権の確認(定義)を行う。
この床はギルドの資産。
だが、その上の液体と汚れは「不要物」であり、資産価値を下げる「負債」だ。
ギルドマスターも受付嬢も、これを「なくていいもの」と認識している。
――条件、オールグリーン。
「【超・浄化】」
短く詠唱し、モップで床をひと撫で。
キュピーン! という小気味よい音が響いた。
その瞬間。
ぶち撒けられたエールも、油も、こびりついた泥も。
光の粒子となって物理的に爆散・消滅した。
「なっ……!?」
誰かが息を呑む。
私の魔法は、汚れを「拭き取る」のではない。
対象を分子レベルで分解し、この世から消し去るのだ。
ついでに、床材の隙間に詰まっていたカビや雑菌も処理しておいた。
モップが通った跡だけが、まるで新品のように白く輝いている。
薄暗いギルド内で、そこだけが発光しているかのようだ。
「う、嘘だろ? ここの床、元はこんな色だったのか?」
「おい、俺のブーツの泥まで消えてるぞ!」
ざわめきが広がる中、私は涼しい顔で受付に戻った。
「いかがでしょうか。これでも需要はありませんか?」
受付嬢は開いた口が塞がらない様子だったが、すぐに奥から髭面の厳つい男性が飛び出してきた。
ギルドマスターだ。
「素晴らしい! 採用だ! いや、頼む!」
彼は私の手を取り、拝むように言った。
「見ての通り、ここは男所帯でな。掃除係もすぐに逃げ出す始末だ。金は払う! このフロア全体をやってくれ!」
「喜んで。では、面積と汚れの深度で見積もりを出しますね」
私は即座に手帳を開き、計算を始めた。
不当なタダ働きはもうしない。
これは正式な業務委託契約だ。
◇
一時間後。
ギルドのロビーは、鏡のように磨き上げられていた。
壁の煤けも、カウンターの手垢も、空気中の埃さえも消滅した空間。
冒険者たちは「汚したら殺される気がする」と恐縮し、入り口で丁寧に泥を落としている。
「これ報酬だ。いや、助かったよ」
ギルドマスターから渡された革袋はずっしりと重かった。
中には銀貨が十枚。
かつて王城で無償奉仕させられていた労働が、ここではこれだけの価値を生む。
「ありがとうございます。確かに受領いたしました」
私は硬貨の重みを掌で確かめた。
これが、対価。
誰に媚びることもなく、自分の技術で稼いだ、私だけの資産。
チャリン、と音が鳴るたびに、胸の奥ですり減っていた自尊心が回復していくのを感じる。
カイル王子に否定された「薄汚い女」は、ここでは「ピカピカの魔術師」だ。
「また頼むよ。なんなら専属になってもいい」
「ふふ、検討しておきますね」
私は笑顔でギルドを後にした。
懐が温かい。
今日の夕食は、少し贅沢をしてシチューにしようか。
意気揚々と歩き出す私だったが、知らなかった。
この日、冒険者ギルドで起きた「爆速清掃事件」の噂が、あっという間に帝都中へ広まることを。
そしてその噂が、ある深刻な悩みを抱える権力者の耳に届くことも。
『ギルドが発光するほど綺麗になったらしい』
『新種の聖女か? いや、掃除屋だそうだ』
私の平穏な個人事業主生活は、早くも終わりを告げようとしていた。




