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汚部屋王子を捨て、無菌の寵愛へ  作者: 月雅


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第2話 入国審査とピカピカのギルド


滞在許可証パスポートをカウンターに置いた。


国境検問所の厳しい顔をした審査官が、書類と私の顔を交互に見る。

私は背筋を伸ばし、営業スマイルを崩さない。


「職業は?」

清掃業クリーナーです」

「……清掃、ですか」


審査官の眉が怪訝そうに動いた。

無理もない。

一般的に、魔法使いといえば魔物討伐や宮廷魔導師などの花形職を指す。

わざわざ魔力を使って掃除をする人間は、変わり者か、それ以外の才能がない落ちこぼれだ。


「ええ。専門は『頑固な汚れの完全撤去』および『空間リセット』です」


私は胸を張って答えた。

かつて祖国の王城で、カイル王子の部屋という最悪の現場を回し続けてきた実績キャリアがある。

どんな汚れも怖くない。


「……まあ、身元はしっかりしているようだ。サファイア帝国へようこそ。ただし、法を犯せば即刻退去だぞ」


入国印が押される。

私は書類を受け取り、新しい国へと足を踏み入れた。



「素晴らしい……!」


帝都の大通りを目にした瞬間、感嘆の声が漏れた。

石畳は平らに整備され、排水溝もしっかり機能している。

道行く人々も小綺麗で、どこぞの国のように窓から汚水を投げ捨てる不届き者もいない。

まさに、秩序と衛生の楽園。


ここなら、私の技術も正当に評価されるはずだ。

私はトランクを握り直し、まずは職を求めて「冒険者ギルド」を目指した。


冒険者ギルド。

荒くれ者たちが集う場所だが、あらゆる依頼の仲介所でもある。

個人事業主として活動するには、まずここに登録するのが手っ取り早い。


重厚な扉を開ける。

途端、むっとした熱気と、男たちの汗、そして泥の臭いが鼻をついた。


(……あら)


私は思わずハンカチで鼻を覆った。

街は綺麗なのに、ここだけ空気が違う。

床には冒険者のブーツから落ちた泥がこびりつき、壁には煤け、カウンターの手すりは手垢で黒ずんでいる。


職業病だろうか。

指先がピクリと反応した。

あの泥汚れ、酸性の洗浄液なら3秒で落ちる。

あの煤けは、風属性の微弱振動で剥がせば一瞬だ。


「次の方ー」


受付嬢の気怠げな声に呼ばれ、私はカウンターへ進んだ。


「登録希望ね。使える魔法系統と、得意分野は?」

「生活魔法の応用です。得意分野は、清掃全般」

「清掃……?」


受付嬢が手を止め、まじまじと私を見た。


「あのねぇ、うちは家政婦紹介所じゃないのよ。魔獣を倒せるとか、荷運びができるとか、そういうのはないの?」

「攻撃魔法は使えませんが、環境整備ならお任せください」

「だから、そういうのは需要が……」


彼女が難色を示した、その時だ。

背後の酒場スペースから、ドカッと大きな音がした。

酔った冒険者がジョッキをひっくり返し、中身のエール(麦酒)を床にぶち撒けたのだ。

粘つく液体が広がり、さらに誰かが落とした揚げ物の油と混ざり合う。


「あーあ、まただよ。掃除係が辞めたばかりなのに」


受付嬢が溜息をつき、雑巾を取りに行こうとする。


「お待ちください」


私は彼女を制した。

これはチャンスだ。

ビジネスにおいて、実演デモンストレーションに勝るプレゼンはない。


「私が処理します。もし綺麗になったら、私の登録を認めていただけますか?」

「え? まあ、やってくれるなら助かるけど……」


許可アサインは取れた。

私は愛用のミスリル製モップ「白銀シルバー1号」を取り出し、汚染現場へ向かう。


床には、エールと油、そして長年蓄積された泥汚れのミルフィーユができている。

周囲の冒険者たちが「なんだあの嬢ちゃん」と野次を飛ばすが、無視だ。

私は対象物を凝視し、所有権の確認(定義)を行う。


この床はギルドの資産。

だが、その上の液体と汚れは「不要物」であり、資産価値を下げる「負債」だ。

ギルドマスターも受付嬢も、これを「なくていいもの」と認識している。


――条件クリアランス、オールグリーン。


「【超・浄化エクストリーム・クリーン】」


短く詠唱し、モップで床をひと撫で。

キュピーン! という小気味よい音が響いた。


その瞬間。

ぶち撒けられたエールも、油も、こびりついた泥も。

光の粒子となって物理的に爆散・消滅した。


「なっ……!?」


誰かが息を呑む。

私の魔法は、汚れを「拭き取る」のではない。

対象を分子レベルで分解し、この世から消し去るのだ。

ついでに、床材の隙間に詰まっていたカビや雑菌も処理しておいた。


モップが通った跡だけが、まるで新品のように白く輝いている。

薄暗いギルド内で、そこだけが発光しているかのようだ。


「う、嘘だろ? ここの床、元はこんな色だったのか?」

「おい、俺のブーツの泥まで消えてるぞ!」


ざわめきが広がる中、私は涼しい顔で受付に戻った。


「いかがでしょうか。これでも需要はありませんか?」


受付嬢は開いた口が塞がらない様子だったが、すぐに奥から髭面の厳つい男性が飛び出してきた。

ギルドマスターだ。


「素晴らしい! 採用だ! いや、頼む!」


彼は私の手を取り、拝むように言った。


「見ての通り、ここは男所帯でな。掃除係もすぐに逃げ出す始末だ。金は払う! このフロア全体をやってくれ!」


「喜んで。では、面積と汚れの深度レベルで見積もりを出しますね」


私は即座に手帳を開き、計算を始めた。

不当なタダ働きはもうしない。

これは正式な業務委託契約だ。



一時間後。

ギルドのロビーは、鏡のように磨き上げられていた。

壁の煤けも、カウンターの手垢も、空気中の埃さえも消滅した空間。

冒険者たちは「汚したら殺される気がする」と恐縮し、入り口で丁寧に泥を落としている。


「これ報酬だ。いや、助かったよ」


ギルドマスターから渡された革袋はずっしりと重かった。

中には銀貨が十枚。

かつて王城で無償奉仕させられていた労働が、ここではこれだけの価値を生む。


「ありがとうございます。確かに受領いたしました」


私は硬貨の重みを掌で確かめた。

これが、対価。

誰に媚びることもなく、自分の技術で稼いだ、私だけの資産。


チャリン、と音が鳴るたびに、胸の奥ですり減っていた自尊心が回復していくのを感じる。

カイル王子に否定された「薄汚い女」は、ここでは「ピカピカの魔術師」だ。


「また頼むよ。なんなら専属になってもいい」

「ふふ、検討しておきますね」


私は笑顔でギルドを後にした。

懐が温かい。

今日の夕食は、少し贅沢をしてシチューにしようか。


意気揚々と歩き出す私だったが、知らなかった。

この日、冒険者ギルドで起きた「爆速清掃事件」の噂が、あっという間に帝都中へ広まることを。


そしてその噂が、ある深刻な悩みを抱える権力者の耳に届くことも。


『ギルドが発光するほど綺麗になったらしい』

『新種の聖女か? いや、掃除屋だそうだ』


私の平穏な個人事業主フリーランス生活は、早くも終わりを告げようとしていた。


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