第80話 抜きたい背中 【ロウガ視点】閑話
騎士科訓練場でロウガは、軽く身体をほぐしていた。
さっきの全力疾走の汗はまだ乾いていない。
肩を回す。首を鳴らす。足首をぐるりと回す。
さっき全力で使った筋肉の張りを確かめる。
呼吸。心拍。足裏。
いつもの感覚に少しずつ戻っていく。
「ロウガ、お呼びだぜ」
同じ騎士科の生徒が、にやつきながら寄ってくる。
「魔法科のやつが、身体強化もどきを使うらしい。
騎士科の見本を頼む、だとさ」
「……もう一回か」
ついさきほど、歴代トップタイムを出したばかりだ。
掲示板に名が刻まれる程度の数字。大声で自慢する気はない。
だが——
見せるなら、あれよりもう少し削るか。
ロウガは胸を張り、コースへ向かった。
——その数分後。
「記録——歴代コースタイム、大幅更新!」
ロウガは、思わず耳を疑った。
「は……?」
コースを走っているのは、細身の少年——魔法科の同じ新入生だ。
名前は、確か。アレン……だっけか。
豆粒みたいな《ライト》を撃って、場を静まり返らせたくせに。
斜面を壁みたいに駆け抜け、二本飛ばしで丸太を渡り、ジャンプではなく「最後の一歩」で壁を駆け上がる。
見たことない、ありえない走り。ぞくりと胸が熱くなった。
◇
ロウガの家は、代々の騎士家だ。
剣と槍で飯を食い、馬で駆け、誇りを守ってきた一族。
祖父は、酒が入ると決まって昔話をした。
「昔はな、魔導士なんざ、後ろで呪文をぶつぶつ唱えてるだけだったんだ」
でかい手でロウガの頭をぐりぐり撫でる。
「今は遠距離からの火力で、戦術を変えた」
「だがいつだって——戦場で一番前に立つのは、騎士だ」
『前に立つ誇りだけは、忘れるな』
ロウガは、その言葉が好きだった。
だから、走った。誰よりも。
一番速くて、一番強い騎士になるために。
それなのに、抜かれる側に回った。
悔しくないと言えば嘘になる。
だが、その痛みは燃えた。
やっと——本気で抜きたい背中ができた。
◇
騎士科のカリキュラムには、毎年恒例の行事がある。
その中で、一番血が沸くのが——「旗戦」だ。
騎士科の講師、が、訓練場の真ん中で吠える。
「旗戦は、元々は軍の訓練だ!」
大声が、土の上に響く。
「乱戦の中で、味方の旗を守り、敵の旗を折る!」
「昔はな、木の槍であろうが、丸太であろうが、
とにかく前に立って殴り合うのが、騎士の仕事だった!」
ロウガの祖父と、どこか似た口振りだ。
「今は魔導士も前に出る」
は、ちらりと学園の塔のほうを見る。
「だが、乱戦で最後に立っているのは、やっぱり足のあるやつだ」
「旗戦は、その足のあるやつらの、見世物だ!」
騎士科の生徒たちが、「おおー!」と声を上げる。
ロウガの胸も、自然と熱くなった。
あいつののおかしい走り。
そこで、あいつはどう動くか。
ロウガは、純粋にそれが見たかった。
見て、追いかけて、そして抜きたい。
自分の足で。
◇
訓練場の端に、丸太が置かれていた。
「おいロウガ、それ引くのか」
腰に縄を巻きつけ、その縄を丸太につなぐ。
「普通は馬が引くやつじゃねえの、それ」
周りが苦笑する中、ロウガは地面を蹴った。
ぐ、と全身に負荷がかかる。
丸太が、ぎぎっと音を立てて少しだけ動く。
歯を食いしばりながら、ロウガは思う。
味方の旗の前で押し合いになるとき。敵の陣に突っ込むとき。
足腰が貧弱だと前には出られない。
だったら、全部鍛えときゃいい。
◇
身体強化についても、少しだけ考え方を変えた。
今までの俺は、常時全体強化が多すぎた。
足も腕も胴も、全部同じように強化して、その状態で三〜四分走り続ける。
障害物コースを一周するくらいなら、それで足りていた。
でも、旗戦はもっと長い。
あいつは、点で使ってた。
アレンの走りを思い出す。
足首。膝。腰。肩。
必要な瞬間にだけ、そこがひゅっと光り、すぐ消える。
あれを真似する気はねえけど。ロウガは、少しだけ笑う。
全部をずっと全開で流し続けるのは、さすがに効率悪い。
だから——「全体を三段階で変える」使い方にする。
走り出しは、ごく薄く。
ぶつかる前だけ、二段目。
旗の取り合いの瞬間だけ、三段目。
点ではなく、段で切り替える。
「負けっぱなしで終わる気はねえからな」
騎士は、倒れても前に出る。
その相手として、ようやく相応しいやつが見つかった。
ロウガの口元には、自然と笑みが浮かんでいた。




