第8話 《ウインド》と影絵シアター
オットーの授業にも、少しだけ余裕が出てきたころ。
「では今日は、風属性初級魔法、《ウインド》をやってみましょうか」
黒板の前で、オットーがチョークをくるくる回す。
◇
「《ウインド》は、一方向の風を起こす魔法です」
黒板に、矢印のついた線が描かれる。
簡単な図なのに、それらしく見えるのは、たぶん職業病だ。
「私の専門は、風と土ですからね。
これは、得意分野ですよ」
少しだけ誇らしげな笑顔。
「まずは、紙が揺れるくらいを目標にしましょう」
机の上に、一枚の紙切れが置かれた。
「アレン坊ちゃま。
掌を、こう」
差し出した手を、紙のほうへ向ける。
「胸の魔力を、流れに変える感覚です。
水ではなく、空気。
押し出すのではなく、通す感じで」
通す、か。
胸の溜まり場から、
さらさらでも、あたたかくもない感覚を引き出す。
窓から入る風。
前の世界で、扇風機の前に立ったときの風。
エアコンの送風――は、まだやめておく。
とりあえず、頬をなでるくらいの、やさしい風。
吸って。
溜めて。
掌の前を、すっと通り抜けさせる。
◇
ふわ。
紙の端が、かすかに揺れた。
「……うごいた!」
思わず声が出る。
「ええ。今のが《ウインド》です」
オットーが、うなずいた。
「初めてにしては、かなり繊細ですね。
多くの子は、最初、勢いよく押し出してしまうのですが」
「おしだす?」
「紙が飛んでいくくらいの暴風ですな」
前の世界で、
扇風機の風量を最大にして紙を吹き飛ばした記憶がよぎる。
あれも、たぶん《ウインド》だ。
もう一度、試す。
今度は、少しだけ強く。
ふっ。
紙が、ひゅっとめくれ上がった。
「おお」
「いいですね。
あとは、方向と範囲を意識していきましょう」
◇
《ウインド》の練習は、すぐに日常に溶け込んだ。
まずは、送風と乾燥。
洗った手に、そっと風を当てる。
「アレン坊ちゃま、これ、ほんっと助かります〜」
思わず、口から出た。
「……ぶんめい、ってかんじ」
「ぶんめい、ですか?」
ミーナが首をかしげる。
「ちょっと、らくで、すごい」
自分で言ってみて、だいぶ雑な説明だと思う。
「なるほど〜。
ぶんめい、いい言葉ですね」
それ以来、ミーナは何かにつけて「ぶんめい〜!」と言うようになった。
少し違う気もするが、だいたい合っている。
洗濯物にも使ってみる。
「ミーナ、ここ、もってて」
物干し竿にかかったシーツの端を持ってもらい、
反対側から《ウインド》。
ふおお、と、シーツが大きくふくらんだ。
「わ、なにこれ!」
ミーナが笑いながら、風をはらんだ布に体をあずける。
「雨の日でも、中でやれば、ある程度乾きそうですね……」
年配のメイドが、真剣な顔で観察していた。
◇
一番のお気に入りは、布団だ。
夜、寝る前。
布団をめくり、中に《ウオーム》であたためた空気を送り、
そこへ《ウインド》でやわらかく風を通す。
ふかふかで、あったかい空気が、布団の中に広がる。
「ふわぁ……」
変な声が出た。
前の世界では、
ボタン一つで、これができていた。
今は、それを自分でやっている。
それだけなのに、少し得した気分になる。
この世界には、コンセントもスイッチもない。
代わりに、胸の溜まり場がある。
それが、なんだか嬉しかった。
◇
《ウインド》に慣れてきたころ。
オットーが、いつもと少し違う表情で本を持ってきた。
「アレン坊ちゃま。
今日は、少し変わり種をやってみましょう」
黒い表紙の本。
「これは?」
「闇属性初級魔法の基礎理論書です。
王都から取り寄せました」
「やみ……」
名前だけは、聞いたことがある。
「闇属性は、誤解されやすい属性です。
邪術だと決めつける者も多い」
オットーは、静かな声で続ける。
「ですが、坊ちゃまは全属性反応を示した。
教師として、ここを避けて通るわけにもいかなくてですね」
完全に、面白い教材を見つけた顔だ。
「もちろん、むやみに使うものではありません。
ですが、光と影を理解することは、
魔法全体の基礎にもつながります」
◇
教えられたのは、《ダーク》。
「《ダーク》は、周囲の光をわずかに弱める魔法です」
「何も見えなくするわけではありません。
存在感を薄くしたり、明るさを調整したりする用途です」
《ライト》の逆、という理解でいい。
部屋の隅、光の弱い場所に向けて、試す。
まぶしさが和らぐ夕方の部屋。
カーテンを少しだけ引いた窓辺。
真っ暗ではなく、影になる程度。
吸って。
溜めて。
その影を、そっと置く。
◇
ぽう、と。
そこだけ、光が落ちた。
「……ほう」
オットーが感心したようにうなずく。
「力加減がいいですね。
最初から暗闇を作ろうとしないのは、珍しい」
「まっくら、こわい」
「その感覚は、大切にしてください」
◇
《ライト》と《ダーク》。
両方を覚えてから、
俺はすぐ「遊び」を思いついた。
「アレン坊ちゃま〜。
今日も“ひかり遊び”、してくれます?」
台所の隅から、ちびっこ達の顔が三つ、ひょこっとのぞく。
屋敷で預かっている使用人たちの子どもだ。
年は、俺より少し下か、同じくらい。
「いいよ。
でも、ちゃんと、ごはんたべてから」
「はーい!」
元気な返事が返ってくる。
◇
夕食後の一時間。
客間の一つが、「影絵シアター」に変わる。
まず、《ダーク》で部屋をほんのり暗くする。
窓からの光を少し落として、
部屋のあちこちの明るさを、じわっと下げる。
そのうえで、壁の一面だけに《ライト》を当てる。
掌サイズのスポットライト。
そこだけ、ふんわり明るい。
「わー……」
子どもたちが、小さく歓声を上げる。
壁の明るい丸の前で、俺は指を動かす。
親指と人差し指をくっつけて、鳥の形。
耳のあたりを伸ばして、ウサギの形。
ちょっと崩れたキツネ。
「とりさんだー!」
「うさぎー!」
「それなに?」
「きつね……のつもり」
大ウケだった。
◇
そのうち、影絵だけでは物足りなくなってきた。
今度は、小さな人形を作る。
ミーナが、端切れで簡単な人形を縫ってくれた。
丸い頭と、ひらひらした服。
とりあえず「おひめさま」と「ゆうしゃ」ということになっている。
それを《ウインド》で、そっと動かす。
「ゆうしゃさまが、まものをやっつけにいきます!」
一人の子が、勝手にナレーションを始めた。
「でも、まものはつよくてー……」
《ダーク》で、少し影を濃くする。
スポットライトの外側の闇が、ちょっとだけ迫って見える。
「こわいこわいこわい!」
子どもたちが、くすぐったそうに笑いながら、
互いにくっつきあう。
そこで、《ライト》を少し強くして、
おひめさま人形のほうを照らす。
「そこで、おひめさまが、まものをやっつけました!」
「え、そっち!?」
思わずツッコむと、
子どもたちがどっと笑い出した。
「おひめさますごーい!」
「ゆうしゃ、なにしてたの!」
「ねてた!」
「……ねてたのか」
なんだかよく分からないけど、盛り上がった。
◇
影絵シアターが終わったあと。
ルークが、扉のところで腕を組んでいた。
「ルークにーさま!」
子どもたちが駆け寄る。
「おまえたち、もう寝る時間だぞ」
まだ幼さの残る声だけど、言い方だけは少し大人びている。
そう言いながらも、
ルークはさっきの様子をちゃんと見ていたらしい。
「アレン」
「なに?」
「今の、光と闇を同時に制御してたよね。」
「うん。
くらくして、あかるくして」
「そう。簡単に言うとそうなんだけどな」
ルークは、ちょっとだけ真顔になる。
「アレン、やっぱりすごいよ」
「……すごい?」
「うん。
そんなふうに、いろいろ思いついて、ちゃんと使えるの。
お父さまたちも、きっと助かると思う」
少し照れくさそうに笑ってから、
俺の頭を、くしゃっと撫でる。
くすぐったいけど、嫌じゃない。
◇
ベッドに入って、天井を見る。
魔法は、戦うための力だ。
たぶん、それも間違いじゃない。
でも。
光をつける。
影を作る。
風で人形を動かす。
それで、誰かが笑う。
そういう使い方も、確かにある。
手のひらに、《ライト》。
部屋の明るさを、《ダーク》で少しだけ落とす。
その小さなコントラストの中で、
俺は、ゆっくりと目を閉じた。




