第78話 没収された《ライト》
王立学園の春学期は、思っていたよりもあっさり始まった。
入試、合格発表、寮での説明会。制服の採寸、教本の受け取り。
気づけば、一年魔法科の教室で、最初の週の授業を受けている。
前方には、黒板と魔力計測用の水晶。
段差のついた床に並ぶ木の机。
窓の外には、中庭の並木と、遠くの塔。
ほんとに、王立学園に通ってるんだな……
アレンは、どこか他人事みたいにそんなことを考えながら、自分の机に肘をついていた。
◇
「さて——」
前でチョークを握った男が、軽く咳払いをした。
白髪交じりの髪をきっちり撫でつけた、細身の教員。
今日の授業担当、魔法理論・魔力線構造のオルフェンだ。
「午前の座学で、魔力線そのものの話はひと通り済ませたな」
魔力核。主線。枝線。循環の話。
ノエルは、きちんとした字でノートを取っていた。
アレンは途中から、説明を「自分の体の感覚」と照らし合わせる方向に意識が行っていた。
俺の場合、焼けてる部分も多いからなあ。
そんなことを思っているうちに、前の黒板に、新しい図が描かれ始める。
「今日からは、魔法陣だ」
オルフェンは、黒板に円をひとつ描いた。
迷いのない手つきで、きれいな真円が、するりと浮かび上がる。
その内側に、小さな紋様が三つ。そこから、短い線がいくつか。
「これが、王国で公式とされている、《ライト》の魔法陣だ」
教室のあちこちから、「あ、教本のやつだ」と小さな声が漏れる。
ノエルも、ぱっと顔を上げた。
ずっと眺めてきた図だ。
『美しき魔法』にも引用されていた。
円はきっちり真円で、線はどれも同じ太さ。
三つの紋様は等間隔に配置されている。
左右対称。余白も均等。きれいだな。
◇
「だが、美しくない」
ざわ、と教室が揺れた。
……え?
ノエルは思わず教本を開き、ページの図と黒板の図を見比べる。
何度見ても、同じに見える。それなのに——
「本物の《ライト》の魔力線は、もっと細かく回り、戻り、散る」
オルフェンの声は、淡々としている。
「これは、それを雑に簡略化した子どもの模写にすぎん」
机の上で、小さなペンの音が止まった。
ノエルは、胸の奥がきゅっと縮むのを感じる。
教科書どおりなのに……
ずっと、「教科書に載っているものは正解で美しい」と思ってきた。
それを、「子どもの模写」と言われてしまうとは。
◇
「そもそも、我が王国の魔法陣研究は、まだ未発達だ」
オルフェンは、黒板から一歩下がりながら続けた。
「魔法そのもの——外に撃つ術に比べれば、魔法陣の歴史は浅く、線も稚拙。
だからこそ、私としては嫌いだ」
何人かの生徒が苦笑する。
「だが、基礎を学ぶ価値はある」
そう言って、教室全体を見回す。
「魔法は、美しくしいものだ」
オルフェンの視線が、
一瞬、アレンのほうをかすめた気がした。
「美しくないものは——どれほど実用があろうと、私にとっては、下だ」
魔法。身体強化。魔法陣。
そのどれかを指さしたわけではない。
けれど、言外の「序列」は、なんとなく伝わってきた。
魔法陣は、やっぱり一番下なんだ。
ノエルは、そっと息を吐く。
隣でアレンは、特に気にした様子もなく、ただ黒板の《ライト》をじっと見ていた。
◇
「では、まずはこの《ライト》の魔法陣を、各自ノートに写せ」
オルフェンがそう言うと、教室には一斉に紙の擦れる音と、ペンの走る音が広がった。
ノエルは、慣れた手つきでペンを取る。何度も写したことのある図だ。
『美しき魔法』の余白に練習したことだってある。
円が歪まないように。
線の太さが変わらないように。
左右対称になるように。
ノートに浮かんだ図を見て、小さく頷く。
一方、右隣のアレンの手は——まだ動いていなかった。
◇
「……どうしたの?」
ノエルは、小声で尋ねた。
「苦手?」
「いや、そうじゃなくて」
アレンは、黒板とノートを交互に見ながら、少し首をかしげる。
「ここから光るんだろうなっていうのは分かるんだけど」
ペン先で、円周の一部をとん、と突く。
「ここから入って——」
そこから紋様へ伸びる線をなぞる。
「ここで光る、のはいいとして」
紋様の手前。
線がぷつっと途切れているところ。
「ここで、止まってるよね」
「え?」
ノエルは、自分のノートと黒板を見比べた。
確かに、その線は紋様の手前で終わっている。
「……そういう図なんじゃないの?」
「そうなんだろうけど」
アレンは、少しだけ眉をひそめる。
「前に、自分で《ライト》撃ってたときは……」
胸の真ん中あたりを、ぽん、と叩いた。
「ここで一回溜める感じはあったけど、終わることはなかったから」
◇
アレンは、ノートの自分の円を一つ指でなぞる。
意を決したように、さらりとペンを走らせた。
別の位置に細い線をつなぐ。
「……増やした」
ノエルは、思わず声に出していた。
でも——さっきより、まとまって見える。
流れが、目で追いやすくなった気がした。
「ここまで回ってから戻したほうが、胸が苦しくならなかったから」
アレンは、特に大げさなことでもないように言う。
「だから、ここも本当は通るはずかなって」
ただそれだけだ。
美しいとか、正しいとか、そんな言葉は一つも出てこない。
◇
「そこ」
低い声が、真後ろから降ってきた。
アレンとノエルが同時に振り向く。
そこには、腕を組んだオルフェンが立っていた。
「何をしている」
教室の空気が、すっと冷える。
「えっと…… 線を足しました」
オルフェンは、無表情のまま言う。
「教本の魔法陣を、勝手にいじるな」
オルフェンのこめかみがぴくりと動いた。
アレンの手からノートをひったくる。
パラ、とページをめくり——
問題の《ライト》のページで、指が止まった。
◇
その瞬間、オルフェンの視界の中で、図が変わった。
アレンが足した一本が、すっとそこに重なった。
オルフェンの魔力視の中で、一本だけはっきりと太くなる。
それがが一つの絵になった。
「美しい。美しすぎる」
指先が、無意識に紙の端を撫でる。
「……先生?」
近くの生徒が、おずおずと声をかけた。
「オルフェン先生?」
何秒かの空白のあと、オルフェンは、はっと我に返った。
咳払いを一つ。顔をそむける。
「ふん、こんな稚拙な改変図——」
わざとらしいくらい鼻で笑っていたが、視線だけは、紙から離れなかった。
◇
「勝手に魔法陣をいじる行為は、減点に値する」
オルフェンは、できるかぎり冷静な声で告げた。
「は、はい」
アレンは、素直に返事をする。
「だが、こういうとき、どう考えたのかを確認しておくのも教育というものだ」
オルフェンは、続けた。
周りの生徒たちが、「出た」と小さく囁く。
オルフェンの「線講評」が始まる合図だ。
「なぜ、この線を足した」
紙の上の一本を、指でなぞる。
「ええと」
アレンは、少しだけ考えてから、いつもどおりの調子で言った。
「前に《ライト》を撃ってたとき、ここまで回ってから戻したほうが、胸が苦しくならなかったからです」
胸の真ん中あたりを、ぽん、と叩く。
「ここで終わると、ここで全部受ける感じになって、だんだん重くなっていって」
ただ、それだけだ。
◇
「……まあ、いい」
オルフェンは、ノートからそのページだけを、びり、と破り取った。
「え?」
アレンが目を丸くする。
「その落書きは、没収だ」
「え、なんでですか」
「こんなものは、魔法を満足に撃てぬお前には不要だ」
言いながら、自分の懐にそっと紙片を差し込む。
「ま、待ってくださいよ先生、それ——」
「うるさい」
ぴしゃりと手を振る。
「魔法が使える者にとっても、魔法が使えない者がどう考えるかを知ることは、研究の一環だ。
さっさと残りの図も写せ。授業は続く」
半ば強引に話を切り上げて、オルフェンは教壇に戻っていった。
◇
「……なんか、ごめん」
授業が再開してしばらくしてから、ノエルは、こっそりアレンに囁いた。
「せっかく描いたのに、没収されちゃって」
「いや」
アレンは、肩をすくめる。
「別に、あれがないと困るわけでもないし。
むしろ、先生があんなに食いつくと思わなかった」
「うん……」
ノエルもさっきの光景を思い出して、小さく笑った。




