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初級魔法しか取り柄がない!!  作者: なるっち
4章 王立ヴィクリィール学園編 ― 才覚の線
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第77話 ただいま

あの夜のことは、何度夢に見ても薄まらない。

砦の上から見えた、泥と炎と光の川。

地鳴りのような咆哮と、土砂の音。

父の声。兵たちの怒号。


そして——

砦の内側で「ここから出るな」と言い含めたはずの、小さな背中。


止められなかった。


何度思い返しても、そこに戻ってくる。

あのとき、強く腕をつかめなかったのは、自分だ。


「勝手に突っ走るな」

「一人で抱え込むな」

「家族を、領地を信じろ」


そう言うだけのことだ。

そのくらいのことも言えないで、あの夜、弟を一人にしたのだとしたら——

そんな兄でいるくらいなら、兄なんて名乗る資格はない。


だから、自分もやった。

領地の復興に走り、学園の課題を落とさず。

魔法の修練も、剣の鍛錬も。

「あいつに胸を張って叱れる兄になるため」に——


 ◇


アレンが王都に来ると聞いたのは、冬が終わる少し前だった。

父の手紙には、「エルフの里から、王都に戻される」とだけ書いてあった。


……相変わらず、雑だな。

苦笑はしたが、胸の内側はひどくざわついていた。


父も本当は分かっていないのだ。

エルフがどこまで関わったのか。

王都がどこまで責任を取るのか。

そして——弟が今、どんな顔をしているのか。


だったら、俺が探すしかない。

そう思って、まず向かったのは、王都の冒険者ギルドだった。


 ◇


「アレン・ハルトシュタイン?」


受付嬢が、手元の控えをめくりながら眉を上げた。

胸元の名札には、小さくアニエスとある。


「ええと……ああ、あのスタンピードの英雄くんね」

「英雄?」


思わず、声が少し低くなる。


「王都でも、その呼び名なんですか?」

「最初は、ね」


アニエスは、少しだけ口元をゆがめた。


「こっちに来たときは、王城からもギルドからも、そんな感じで扱われてたけど。

すぐに、そうでもなくなったけどね」

「……そうですか」

「ほら、あのガキだろ? 一発でボス落としたって話の」

「どうせ話が盛られてんだろ。王城でもてはやされて、今は音沙汰なしってやつ」


背後のテーブルから、小さな笑い声が漏れる。


アニエスの手が、ペン先を持ったまま、ぴたりと止まった。


「お仕事中ですよー」


さらっと、声を飛ばす。

からかっていた連中が、ばつが悪そうに口をつぐんだ。


「今は、どこに?」


アニエスは帳簿の端を指でたどり、


「下町の孤児院に世話になってたって、聞いてる。

そこから、焼き肉屋の手伝いに行ってるみたい。

腹をふくらませる英雄様って、酒場ではそう言われてるわね」


「えっと。名前は——」


受付嬢が小さなメモを取り出し、一番上に書かれていた名前を指で叩いた。


「《子どもの家》よ」


 ◇


《子どもの家》は、王都の端っこにあった。


剥がれた壁。ところどころ直した跡のある屋根。

それでも、窓からは子どもたちの笑い声が漏れていた。


「あら」


玄関を開けた瞬間、

腕まくりした女性がこちらを振り向く。

ミレーネと呼ばれていた。


「お貴族さまじゃない。何の用?」


「ルーク・ハルトシュタインと申します」


ルークは名乗り、深く頭を下げた。


「弟が——ここに世話になっていたと聞いて」

「ああ、アレンね」


ミレーネは、あっさりと頷いた。


「確かにしばらくは居候してたわよ。よく働くし、よく稼ぐし、よく無茶するし」

「……無茶、ですか」

「スタンピードの英雄様だからって、ここの子たちまで巻き込んで、英雄ごっこしようとするからね」


呆れたように笑う。


「まあ、そのおかげで、今の子たちの飯が増えてるんだけど」


ミレーネは、窓の向こうを顎でさした。

そこには、小さな台と、煙が見えた。


「焼き肉屋。

あの子が持ってきた報奨金を元手に、下町で一番、腹のふくれる店をやろうとしてる」

「……」

「でも、今日は会えないわね」

「会えない……?」

「朝から出て行ったもの。ここ数日は、学園の試験がどうこうって騒いでたから」


言いながら、ミレーネは肩をすくめた。


「だから、あの子は、たぶん試験場か、その帰り道のどこかよ」


学園の試験という言葉に、ルークの胸の奥が、かすかにひっかかった。

王立学園の入試時期くらい、もちろん知っている。

でも、それと弟の姿が、すぐには結びつかなかった。

ミレーネは、軽く笑って肩をすくめた。


「間の悪いお兄ちゃんね」

「……そうみたいです」


ルークは、自分の胸の奥がじわじわと痛くなるのを感じた。

王都でもう、自分の居場所を作ってるのか。

誇らしさと、取り残されたような寂しさが、同時に胸を叩く。


 ◇


入試の日も、同じだった。

本来なら、上級生が正門付近をうろつくのは歓迎されない。

それでも、授業と寮の仕事の合間を縫って、ルークは試験会場の近くまで足を運んだ。


だが——


「午前の筆記は、とっくに終わりましたよ」


係の教員は、申し訳なさそうに言った。


「もう帰りましたか」

「さあ。筆記が受かってれば、実技にまた来るかもしれませんが」


実技の日。

訓練場の端まで行ったときには、すでに実技試験は終わりかけていた。

遠くから、受験生のざわめきだけが聞こえる。


豆粒ライト、マジ笑った」


断片的な言葉。

やっぱり、あいつだな。確信だけが、胸に積もっていく。

でも、今行っても、ただ「間に合わなかった兄」をさらけ出すだけだ。


だから——

壁の向こうから聞こえてくる歓声を、黙って聞いていた。


「歴代コースタイム、大幅更新!」

「はぁ!? ロウガ先輩より速いのかよ!」

「あいつ絶対おかしいって」


細く握りしめた拳。

吸い込んだ息を、喉の奥で押し戻す。


「……また、突っ走ってるのか」


誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。

そして、踵を返した。


 ◇


だから、あの日。

食堂で、弟の名を聞いたときも——

最初は、深呼吸をしてから立とうとしたのだ。


「おいおい、もしかして——入試で噂の豆粒くんか?」


その言葉を聞いた瞬間、心拍が一段、跳ねた。

冗談だ。ここは寮で、あいつらに悪意はない。

それくらい、頭では分かっている。


でも——

砦の前の光景が、脳裏にぶり返す。

泥と光と、あの小さな背中。


違う。


心の中の声が、勝手に言葉になっていた。

椅子を引いたとき、自分でも驚くほど大きな音が出た。

食堂のざわめきが、ぴたりと止まる。


普段なら、こんな目立ち方は絶対にしない。

空気を読み、場を収める側に立つべき人間だ。


それでも——

このときだけは、言葉が先に出た。


「……言葉を選べ」


自分でも驚くほど、声は静かだった。


「あいつは、豆粒じゃない」


何度も練習したはずの「叱り言葉」じゃなかった。


「あの夜—— 砦の前線を照らし続けた灯だ」


言ってから、自分で少し驚いた。

そんな台詞、用意してなかったぞ、俺。

でも、止まらない。


「あの灯がなければ、今ここで笑っていられる人間は、半分もいなかった」


それは、事実だった。

アレンがどれだけ泥を用意し、どれだけ眠り石を仕込み、どれだけ外側から波の形を崩したか。

自分が、その場にいなかったことだけが、今も胸に刺さっている。


からかっていたやつが、わずかに目をそらし、「……悪かった」と呟いた。

それを聞いて、少しだけ肩の力が抜ける。

そのとき、ようやく弟の視線に気づいた。


「……ルーク兄さん?」


昔と、ほとんど変わらない声。

でも、ほんの少しだけ低くなっている。

自分の胸の高さも、ほんの少しだけ変わっている。


……ああ、生きてる。


頭で分かっていた事実が、ようやく「目の前の現実」に変わった瞬間だった。


 ◇


中庭に出たとき、

スタンピードのことを聞こう。

エルフのことを聞こう。

世界樹のことを聞こう。

王都でどう暮らしていたのか聞こう。

そう思っていたのに——


「……あれから、何があった」


それしか出てこなかった。

なんで十倍なんて撃った。

なんで世界樹にまで首を突っ込んだ。

なんで王都でまで無茶を——


けれど、そのたびに、あの夜のことが思い出された。

その事実だけは、どう取り繕っても変わらない。


だから——


「……よく、生きて戻ってきた」


それだけだった。

次の瞬間、自然に自分の身体が動いた。

弟の細い肩をつかんで、ぐいっと引き寄せる。


「うわ」


情けない声が出たが、知るか。

抱きしめた感触は、記憶より軽くて……

生きてきたぶんだけ、ちゃんと重くなっている。


何度も、言葉を考えてきた。

領地の復興に走りながら。

教室でペンを動かしながら。

王都で、学園でお前がどんな顔してるのか想像しながら——


「お前の顔見たら、全部、どうでもよくなった」


長男だ。上級生だ。将来は領地を背負って立つ。

弟の前で、泣くわけにはいかない。

そう思っていたのに——


「生きててくれて」


胸の中に積もっていた言葉が、みんな形を失っていく。


「ありがとう」


叱るとか、資格があるとかないとか。

そんなものは、後からいくらでも考えればいい。

腕の中で、アレンが少し動いた。


「ただいま」


くぐもった声が、胸に響く。

背中に、小さな腕の感触。


「……もう一回だけ言っとく」


ルークは、鼻をすすりながら言った。


「無茶をするな」

「うん」

「でも、してしまったときは——」


言葉を探す。


叱るのでも、責めるのでもなく。


「ちゃんと帰ってきて、ただいまって言え。

 そのときは、何度でもおかえりって言ってやる」


アレンが、小さく笑った気がした。


「分かった」


今はただ——それでいい。


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