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初級魔法しか取り柄がない!!  作者: なるっち
4章 王立ヴィクリィール学園編 ― 才覚の線
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第75話 おかしな走り

「まあ、いつも通りやるだけだ」

ロウガは腕を軽く回し、首を鳴らしていた。


騎士科の障害物コース——

壁超えから始まり、丸太渡り、雲梯が順番に並ぶ、「走って、跳んで、つかまる」単純な仕掛け。

最後に急斜面の大きな壁が待ち構える難所がある。

そのスタート地点に、ロウガが立っていた。


心拍は、適度に上がっている。足裏の感覚もいい。

風向きも、土の湿り気も、問題なし。


「ロウガ。わかってるな」


ローガンが、にやにやしながら言う。

その言葉にロウガは、軽く笑う。


身体強化なんざ、型を覚えりゃ誰でもそこそこはできる。

本当に差が出るのは——

筋肉に力を込めるタイミング。抜くタイミング。

どこで息を吐いて、どこで溜めるか。使い方だ。

その点、自分は人より少しだけ上手い。

一族みんなが「身体強化の使い手」だったおかげでもある。


「スタート!」


合図が上がった瞬間、土を蹴った。


 ◇


最初の仕掛けは、正面に低い壁と、その手前の両側面に傾けられた斜面の壁。

真っすぐ行けば、背丈の高さくらいの壁をそのまま越える。

横の斜面を使って走り抜ければ、その勢いで壁を超えることもできる。


ロウガは、真っすぐを選んだ。

ここで変なことしても、得しねえ。


小さくジャンプし、壁に片手をついて乗り越える。

着地と同時に、足首の力を抜く。衝撃で膝を壊さないように。

一連の流れはスムーズだ。


よし。次は丸太渡りだ。

地面から少し浮いた丸太が、いくつも一直線に並んでいる。

一つ一つが、微妙に不安定だ。


「ほい、ほい、ほいっと」

軽い足取りで、一歩ずつ踏んでいく。

一本飛ばしもできなくはないが、わざわざリスクを増やす場面でもない。

両脇で見ている受験生たちが、ざわつく。


「はや……」


耳に入る声を、意識的に外す。

次は雲梯。ぶら下がる鉄棒が、一直線に並ぶ。


ここまでで、強化三分。

ロウガは、自分の身体強化の「持ち」を、感覚で把握している。

全開で走り続ければ三〜四分。要所でレベルを落とせば、五分は持たせられる。

だから、ここで急ぐ必要はない。

両手でしっかりと棒をつかみ、一つずつ前へ。


握力と肩に力をいれ、腰もひねり、足の揺れも利用する。

ここで落ちたら、全部台無しだしだしな。

最後の棒をつかみ、勢いを利用して前に飛び降りる。

視界の先には、最後の急斜面が見えた。


壁のようにそびえる土の坂。

上辺にかろうじて両手が届く高さ。


ロウガは、一度だけ深く息を吸い込んだ。

加速。足裏に土の感触を刻みつける。

斜面に足をかける瞬間、全身の筋肉に一気に魔力を通す。


駆け上がり、最後のところでジャンプ。

上辺をがしっとつかむ。

腕と背中を総動員して、身体を引き上げる。

上まで登り切り、鐘を鳴らした。


「記録——」


記録係が、砂時計と板を見比べ、声を上げる。


「……歴代コースタイム、更新!」


一瞬の静寂。

次の瞬間、歓声が爆発した。


ロウガは、軽く手を挙げただけで、すぐに呼吸を整え始めた。

特別でも、手を抜いたわけでもない。いつも通りの「最速・安全運転」。

派手に飛び回るやつもいるが、そういうのはだいたい、どこかでガス欠する。


問題は——視線を横にずらす。

少し離れたところで、細い少年が、自分の足首を軽く叩いていた。

あの坊主が、どう走るかだ。


 ◇


「次。アレン・ハルトシュタイン」


が呼ぶ。


アレンが、スタート地点に立つ。

騎士科志望たちの間に、ひそひそ声が走った。


「マジで走らせんのかよ」


ローガンは、そんな声をものともせず、にやにやしている。


「怖かったら、やめてもいいぞ?」

「やります」


アレンは、きっぱりと言った。声は震えていない。

エルフの里で、何回も転びながら走った。

子どもの家で止まる練習いっぱいした。

自分にそう言い聞かせる。


足首。膝。腰。肩。《瞬間ブースト》の「点」を、順番に頭の中でなぞっていく。

胸の真ん中の小さな魔力核から、そこへ、一瞬だけ魔力を飛ばすイメージ。

合図とともにアレンは、前へ踏み出した。


 ◇


ロウガの目から見て、最初の数歩は「普通」だった。

細い脚で、一歩一歩、丁寧に地面を蹴っている。

そう思って見ていた、そのとき。


最初の斜面の壁に差しかかった瞬間——

アレンの足首が、ひゅっと光ったように見えた。

その一瞬だけ、踏み込みの速さが、明らかにおかしくなる。


「……ん?」


ロウガは、思わず声を漏らした。


アレンは、斜面の壁の根元で、

ふつうなら一歩分しか取れないはずの距離を、

「半歩+一歩分」くらいに伸ばしていた。


足が、土に引っかからない。

斜面に乗った瞬間、身体が、ぬるっと前へ滑る。


そのまま——

横の斜面を、駆け抜けていった。

壁の上へかかる前に、すでに向こう側の平地に降りている。


「……今の入り方、なんだ?」


ロウガは、眉をひそめた。

あそこは、「足場が悪いから、避けるか、慎重に行け」と教えられる場所だ。

あんな風に、「勢いだけで走り抜ける」やつを、見たことがない。


 ◇


丸太渡り。

ロウガが「安全最速」と判断したポイント。


アレンは——

最初の一本だけ、丁寧に踏んだ。

その次の瞬間、足首がまた、ちかっと光る。

二本飛ばしで、向こうの丸太に乗っていた。


「いやいや、それはさすがに——」


ロウガの口が動く。


普通、「二本飛ばし」なんてやれば、足を滑らせる。

狙いが少しでもずれれば、丸太の側面に靴が当たって、そのまま地面に落ちる。


だがアレンは、踏み切る瞬間だけ、足に短く強い魔力を入れ、着地の直前には、もう抜いている。

飛び方自体は雑なのに、着地の瞬間だけが、妙にきれいだった。


一本、二本、三本。リズムは一定ではない。

落ちそうなところだけ、身体強化をかけてやがる。

ロウガは、直感的にそれを理解した。


必要最小限。

ギリギリのところだけ、ちょん、と指でつつくような使い方。

あれで、本当にガス欠しねえなら——

ロウガの中で、「派手に飛ぶやつ=すぐバテる」という常識が、少しずつ崩れていく。


 ◇


雲梯。


「ここで大体、みんなバテるんだよなぁ……」


見た目は地味だが、腕だけで全体重を支えるのは、普段脚で立っている何倍もきついのだ。

ロウガは、アレンの動きを追った。


ぶらり、と身体が揺れる。

ここは、一本ずつでいい。そう思った矢先。

アレンは、最初の二本を普通に渡り、三本目から、いきなり二本飛ばしをした。


「おいおい」


ロウガの取り巻きが、小さく悲鳴を上げる。

落ちる、と思った。でも——

手を伸ばした先の棒を、ぎりぎりの指先でつかみ、その瞬間だけ、肩にひゅっと魔力が走る。

身体がぶら下がりきる前に、次の棒へ。


一本飛ばし。二本飛ばし。また一本。

めちゃくちゃだ。完全にリズムが狂っている。

それでも、落ちない。


「……さすがにおかしい」


ロウガは、ぽつりと呟いた。


「あのペースで来て、まだ雑に飛べるのか?」


自分なら、あそこまで行った時点で、「安全優先」に切り替える。


 ◇


最後の急斜面。壁と言っていい角度だ。

わずかに弧を描いているが、ほとんど直角に近い。


普通は、助走をつけて途中で跳び、

上の縁に手をかけて、腕で引き上げる。

ロウガも、さっきそうした。


アレンは——そこで、減速した。


「……おい」


思わず、声が漏れる。


助走が足りない。跳ぶ構えもない。それじゃ絶対に届かない。


そこへ——

ふう、と一息吐く音。

一瞬の静寂。次の瞬間。


一歩目。


後ろ脚の踏み込み。足裏が、土にめり込む。


深い……


思わずそう思う。

親指を軸に、ぐり、と地面を噛む。

どん、と鈍い音が響いた。


その踏んだ足が、すぐに視界から消えた。

消えた、というより——一歩が速すぎる。

影のように、何かが前へ滑る。


二歩目。


さっきよりも、はっきり速い。

助走なんかじゃない。完全に「登る速度」だ。


三歩目。


早すぎる。


四歩目は——


目で追い切れなかった。


次に視界に飛び込んできたとき——

アレンの身体は、ほとんど壁に貼り付く角度で走っていた。


「……は?」


嘘だろ。

腰が落ちない。体が下に沈まない。

壁を、走ってる……?


最後。


つま先が、斜面をぐっと噛んだ。

短く強い——身体が弾かれたみたいに、上へと抜けた。


何事もなかったかのように立つ。

ロウガは、口が開いたまま閉じられなかった。


(……人間が、身体強化だけでやっていい動きか、あれ)


跳びもせず、ただ走り抜ける。


……あんな登り方、見たことねえ。


上まで駆け上がったアレンが、鐘を鳴らす。

澄んだ音が、訓練場に響き渡った。


「き、記録——!」


一拍置いてから、声が上がる。


「歴代コースタイム、大幅更新!」


訓練場が、一瞬だけ静まり返ったあと——

爆発するようなざわめきに包まれた。


「はぁ!?」

「ロウガより速いのかよ!」

「今の見たか!? 壁走り!」

「あいつ、絶対どっかの変な流派だろ!」


ロウガは、自分の胸のあたりを軽く叩いた。

……やられたな。悔しさと、一種の爽快感。


自分の「正解」だけでは測れない相手がいる。

そういう事実は、むしろ心地良かった。


 ◇


同じ走りを、もう一人の男が見ていた。

オルフェンは、目だけで魔力の流れを追う。


ロウガの身体強化は、分かりやすい。

体表に淡い膜が広がり、主線から枝線へ、教本どおりに魔力が流れている。


だが、あの斜面。

アレンの身体には、光がほとんど見えなかった。

体表も、足元も、静かなまま。


強化していないのか? そう思った瞬間——

胸の真ん中あたりが、ふっと光る。


魔力核。


そこから、細い光が一本だけ、足首へと、ひゅっと跳んだ。

踏み込んだ瞬間だけ、その点が眩しく光り、次の瞬間には、もう消えている。


線を流していない……?


二歩目では、膝へ。

三歩目では、足の甲へ。


点。点。点。

短く、鋭く、射出される。


主線を通らない。枝線もほとんど使わない。

核から、直接。

まるで、斜面に見えない足場を打ち込んでいるようだった。


落ちてもおかしくない角度。

足がずれてもおかしくない距離。

その寸前で「一点」が灯り、ぎりぎりで成立させていく。


「……美しい」


気づけば、その言葉が、喉元までせり上がっていた。


「いや、認めるわけにはいかん」


オルフェンは、唇を噛んだ。

線の外側で魔力を扱うなど、傍流もいいところだ。

本来なら、「あってはならない」ものだ。


それでも——あの点を、放り出すのは、もっとありえん。

オルフェンは、静かに息を吐いた。


 ◇


ローガンが声を荒げて言う。


「こいつは特待生だな。騎士科で走らせ甲斐がある」

「いいや」


オルフェンは、即座に返した。


「この子は魔法科志望だ」


ローガンが、にやっと笑う。


「さっき、未完成魔法って言ってなかったか?」

「……まだまだだ」


オルフェンは、そっぽを向きながら言う。


「描き方も、魔力の扱いも甘い。基礎から叩き込む必要がある」

「叩き込む、ねえ」


ローガンは、からかうように笑った。


「じゃあ、騎士科の実技にも貸してくれよ、先生」

「貸すぐらいなら、構わん」


オルフェンは、渋い顔のまま、わずかに頷いた。


「だが、本職は魔法科だ」


横で聞いていた事務教員が、そっと記録に書き加える。


「アレン・ハルトシュタイン」

「筆記:補欠ライン」

「実技:初級ライト/身体能力・参考記録——歴代タイム更新」


ざわめきは、まだしばらく続いていた。


 ◇


訓練場の端。

アレンは、土の上に座り込んで、足首をさすっていた。

いつもの《瞬間ブースト》のあとより、少しだけ疲れている。


緊張しすぎて、ちょっと無駄に打ちすぎたかも。

でも——どこも、焼けるようには痛くない。


世界樹と繋いでからずっと、

「壊れていないか」「線が切れていないか」を確かめながら生きてきた。

今日も、まだ、大丈夫だ。


「おい」


影が、土の上に落ちた。

顔を上げると、ロウガが立っていた。


「……はい」


思わず、背筋が伸びる。


「さっきの走り。ムカつくくらい、よかった」


ロウガは、腕を組んだまま言った。


「え?」


「旗戦のときは、本気で潰しに行くからな」


ぽつりと告げて、背を向ける。


「あの変な一歩、もっと磨いておけよ」


アレンは、一拍遅れて笑った。

土の感触を、もう一度足裏で確かめる。

足首の中の、小さな魔法点が、まだ、静かに温かかった。


 ◇


訓練場から少し離れた石畳の上で、一人の影が足を止めていた。

壁の向こうから届く歓声。


「歴代コースタイム、大幅更新!」

「はぁ!? ロウガ先輩より速いのかよ!」

「あいつ絶対おかしいって」


細く握られた拳。

息を吸い込みかけて——やめる。


「……また、突っ走ってるのか。あいつは」


小さくそう呟いてから、影は踵を返した。



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