第73話 121本の魔力線
王立学園の受験会場は、石畳の中庭にあった。
臨時の白い天幕が張られ、講堂と合わせれば受験生は数百人にのぼる。
上等な仕立ての服に身を包んだ子。
なんとか間に合わせてきた襟のほつれた子。
年齢も、背丈も、緊張の具合もばらばらだ。
ざわめきに飲まれそうになりながら、深呼吸を一つ。
王都に来る前の日々を思い出す。
リュシュアの、容赦のない詠唱テスト。
エリュナと一緒に、半泣きで丸暗記した年代と用語。
あれに比べたら、きっとなんとかなる。
◇
「これより、筆記試験を始める」
前に立った監督教員が、事務的な声で告げた。
「時間は九十分。
各自、答案の指示に従い、解答すること」
試験用紙が配られていく。
隣の子が、紙を受け取った瞬間、当たり前のようにペラッと裏を確認し、机に伏せた。
その向こうの列でも、同じ動き。
自分の番が回ってくる。
「はい」
差し出された紙を受け取り、表を見た。
そこには、人のシルエットが描かれていて——
その下に、一行だけ。
> 「あなたの身体を流れる魔力の線を、思うままに描きなさい」
「…………え?」
思わず、声がでかかった。
これだけ?
もっと、こう……
「王の名前を答えよ」とか、「魔法陣の基本構造を三つ挙げよ」とか、そんなのが並んでいると思っていた。
ペンを持つ手が、しばし宙をさまよう。
けれど、すぐに息を整えた。
……まあ、でもこの問題自体、別に簡単というわけでもない。
自分の体の中にどれだけ魔力線があって、どこをどう通っているか。
それを「思うままに」描こうとしたら——
たぶん、時間はいくらあっても足りない。
すぐに目の前の紙に没頭した。
◇
まず、背骨に沿うように一本。
太い「主線」から、肩へ。腕へ。腰から脚へ。
指先。足先。そこまで伸ばす。
蜘蛛の巣みたいに広がっていたはずの細線を思い出す。
焼け落ちたところ。
生き残ったところ。
そこから新しく生えたところが入り混じっている。
一本一本、確かめるように線を落としていくうちに、時間の感覚が少しずつ薄れていく。
気づけば、ペン先は百本を超えていると思う。
自分でも気付かないまま集中してたようだ。
◇
「ふう……」
小さく息を吐いて、ペンを置く。
そのときふと周りが気になる。
「カリカリ」と文字を書くようなペンが走る音。
なんとなく、用紙をつまみ裏返した。
そこには、びっしりと問題文が並んでいた。
……あ。
変な声が漏れそうになるのを、必死に飲み込む。
さっき見た子たちの動きが、頭の中でつながる。
うら、あったんだ……
「試験終了まで、残り十五分」
監督の声に冷や汗が、じわっと背中を伝う。
手が勝手に動き始めた。
基礎理論の一問目。
リュシュアから何度も何度も叩き込まれたところだ。
書く。
次。
エルフの世界樹周辺史。
エリュナに読み聞かせられた本の一節が、そのまま浮かび上がる。
書く。
「残り十分」
大丈夫、焦るな。問題は簡単だから落ち着けば解ける。
「残り五分です」
早い……
まだ空白が七割並ぶ裏面を前に、ペン先が急に重くなった。
それでも、一問でも多く埋めようと、必死に紙に食らいつく。
「残り一分」
もう、字が潰れていようが構っていられない。
◇
「そこまで。ペンを置き、用紙を机の上に伏せなさい」
監督の声が、容赦なく終わりを告げた。
裏面は、結局最初だけでほとんどが真っ白なまま。
前の列から、答案回収が始まる。
回ってきた職員が、用紙を一枚一枚めくるたびに、裏の書き込みの差が露わになる。
「……?」
一瞬、手が止まったような気がしたが、すぐに何事もなく束に重ねられた。
◇
会場を出ると、廊下と中庭には、もうわいわいと声が飛び交っていた。
「裏のあの中級、最後のとこムズくなかった?」
「属性干渉のやつ? あれ時間足りねえって」
「表のやつ? ああ、三本だけ線引いといた」
「三本? 多すぎね? 俺なんか一本だけだぞ。太いのドン、って」
「だって、本番は裏だろ。表は魔力ありますアピール用の飾りだろ?」
そんな会話を横目に、
アレンはなんとなく柱のかげに寄りかかって、息を整えていた。
「なあ、お前、どうだった?」
隣にいた少年に、唐突に声をかけられる。
「あ、ええと……」
アレンは、正直に答えた。
「表を、ずっとやってて。裏は、途中までしか——」
「…………は?」
少年の口が、半開きになった。
「あれ、本気でやるやついる? 書くことないだろ普通」
「まあ、あります」
「田舎だと、ああいうのちゃんとやれとか言われんのかな……」
もう一人が、ひそひそと囁く。
やっぱり、裏からやるのが常識だったんだ。
アレンは、苦笑するしかなかった。
線はある程度描けた。やることはやった——
それでも急に肩が重くなって足早に会場を後にした。
◇
厚い石壁と高い窓に囲まれた、一室。
静かに紙がめくられ、赤いインクが走る。
「……今年もまた、ひどいものだな」
白髪交じりの男が、眉間に皺を寄せる。
王立ヴィクリィール学園・魔法科教員、オルフェン。
人の魔力線を「三十本まで視認できる」と豪語し、「魔法はまず、美しくあるべき」と信じて疑わない男だ。
その手元に積まれた答案用紙の表には、雑にひかれた線が十本前後。
「太さがばらばらだ」
「詰まりすぎている」
「ここで突然途切れる。意味が分からん」
無言のうちに、次々と減点を刻んでいく。
周りの若い教員たちは、苦笑いを浮かべる。
「オルフェン先生、また始まった」
「今年はまだマシですよ。去年は『こんな線しか引けぬなら、魔法などやめてしまえ』って——」
「聞こえておるぞ」
オルフェンが、ちらりと睨む。
若手たちは、慌てて口をつぐんだ。
◇
彼にとって「美しい魔力線図」と呼べるものは少ない。
次の答案——その表面に、びっしりと走る線。
「……ふむ?」
オルフェンの手が止まった。
今までのものとは、密度も、質も、明らかに違う。
背骨に沿った一本の主線。
そこから枝分かれし、さらに細い網の目のような線が重なる。
「……これは」
オルフェンは、思わず前のめりになった。
自分の目で視認できる魔力線は、三十本が限界だ。
「ここまでは、私にも見える世界だ」
そこから先——
細線が、さらに蜘蛛の糸のように伸びていく。
「これは第二循環路……いや、それより細い」
紙の上では、迷いなく線として走っていた。
「さらに補助線を重ねている……多重構造……?」
思わず、ペンを置く。
「……百、百十……」
指折り数えた結果、「百二十一」本だった。
オルフェンは、しばし無言で紙を見つめる。
まだ名前すらない線。
これを学会に出せば、常識がひっくり返る。
だが今は——入学試験の答案だ。
採点欄には、規則どおり数字を書かねばならんのか。
オルフェンは、わずかに口をゆがめる。
採点欄には魔力線図の満点の「30」と記した。
そして、答案の隅に、小さく自分だけが分かる印をつける。
この子だけは——覚えておかねばならん。
◇
テスト用紙を裏返す。
そこは、ほとんど白紙だった。
よく見れば、最初の数問だけが、丁寧な文字で埋まっている。
「……なるほどな」
これだけの線を描き込めば、時間などいくらあっても足りぬ。
解いてある数問はどれも、正解。
地頭は悪くないのだろう。
田舎貴族、受験慣れしていない子か……
惜しい、と素直に思った。
「先生」
事務の教員が、集計用紙を抱えて近づいてくる。
「今年の合格ライン、決まりました」
「ふむ。いくつだ」
「本合格ラインは五十八点。
補欠は、五十点からに設定しています」
オルフェンは、手元の答案をもう一度見る。
魔力線図——三十点。
裏面——解いた数問を足して二十点。
「五十点……ギリギリだが、補欠には入るか」
胸の奥が、わずかに軽くなる。
「毎年、何人かは辞退する。これだけの線を描ける子どもを門前払いにするのは、学園にとって未来の損失だ」
誰にともなく呟き、オルフェンは答案の名前を確認した。
「……アレン・ハルトシュタイン」
魔法実技が、楽しみだ。
どのような大魔法を、美しく描いてみせるのか——
そうほくそ笑んで、軽快に赤インクを残りの答案用紙に刻んだ。




