第70話 学園長ゼフィラムの眼
王立学園の学園長室。
そこは飾り気がなく、余計なものも置かれていない。
本棚は二つほどある。
棚にはぎっしり詰まっているが、
王城に比べればだいぶ小ぶりだ。
だが今、机の上に積まれる紙の重さは、
決して軽くはない。
ゼフィラムは、届いたばかりの封書を見下ろす。
封蝋には、三つの紋が並んでいた。
一つは王家。
一つは宰相府。
そして、もう一つはエルフの印章。
「……また、面倒くさそうな組み合わせじゃのう」
封を切る前から、だいたいの中身は想像がついていた。
スタンピードと、その後始末に関わった少年の噂は、
王都の端から端まで、とっくに流れきっている。
世界樹の恩人。
森の呪いの子。
英雄焼き肉。
呼び名はいくつもあるが、指しているのは同一人物だ。
アレン・ハルトシュタイン。
ゼフィラムは、丁寧に封蝋に刃を入れた。
◇
一枚目は、王の筆致だった。
紙面の端に、慎ましい署名がある。
「アレン・ハルトシュタインという少年が、
スタンピードにおける砦防衛、および森における瘴気処理に関わったことを、
王として把握した」
「当初、英雄は出なかったという報告を受けていたが、
それが正確ではなかったことを認める」
「ついては、この少年に学ぶ場への門を開くことを、
王として望む」
短く、素直な文面だった。
王が自分の遅れを認めた。
そのうえで「せめてこれだけは」と願う気配がにじんでいる。
ゼフィラムは、鼻の奥で笑った。
次に目を通したのは、別の文字。
宰相ヴァルドの、整った筆致だ。
「陛下のご意向は知っている」
「しかしながら、王立学園は王都中枢に位置し、
王国の後継者たる子弟が集う場である」
「そこに、森の呪いの子と噂されている少年を迎え入れることには、
慎重であるべきと考える」
「王命による特別枠として押し込むことは、
学内外に余計な波紋を呼ぶ懸念がある」
「よって、王命推薦としての受け入れは見送るべきであると進言する」
そして、最後の一行だけ、少し言い回しが変わる。
「ただし、学園自らの裁量で、受験資格を与えることを妨げるものではない」
「ふむふむ。『責任はそっちで持て』というわけじゃな」
ゼフィラムは、肩をすくめた。
三枚目は、細くしなやかな筆致。
エルフの代表者による書状だ。
「我ら、森の民を代表する者として証言する」
「アレン・ハルトシュタインは、
世界樹の不調を軽くし、瘴気石封印に命を削って協力した」
「同時に、スタンピードやボスの火種の一部を引き寄せた可能性があることも、
長老たちは見ている」
「だからこそ、森からは出すと決めた」
「森の責任も、果たしたつもりだ」
「ただし、人の子は恩人でもある。
あまりに理不尽な形で押し潰すのなら——
黙ってはいない」
「もし学園に入れるなら、
我らは正式に人物保証を出す」
エルフ戦士長の名があった。
ゼフィラムは、三枚を並べてしばらく眺めた。
「王は、門を開きたい」
ぼそりと呟く。
「宰相は、火種を遠ざけたい」
もう一度。
「森は、貸し借りをきっちり清算したい、というところかの」
そして——学園。
「さて、どうしたもんかの」
机の端には、毎年変わらない
入試要項の草案が積んである。
年齢。
基礎学力。
魔力適性。
どこにも、「推薦」という欄はない。
「伸びる芽があったら、ちゃんと陽を当ててやる場所じゃ」
王の子でも、スラムの子でも関係ない。
「学びたい」という目をしているか、だ。
「……ふむ。まずは、この目で見ておくか」
老人は、羽織を一枚引っかけ、杖を手に取った。
◇
王都の下町は、学園の中庭よりもよほど騒がしい。
石畳はところどころ欠けている。
路地には洗濯物や干し草。
何かわからぬものもぶら下がっている。
煙の匂い。
濃くなるほうへ歩いていく。
やがて、視界が開けた。
孤児院《子どもの家》の前の空き地。
土のドラゴンの口から、細い煙がくゆっていた。
星や花や木の絵札が立ったテーブル。
名前のついたかまどたち。
走り回る子どもたちの間を、笑い声と肉の匂いが行き交う。
ゼフィラムは、一枚の肉をじっと見つめた。
筋はきちんと切られ、下味が染みている。
魔物特有の臭みは、香草と果実酒でほどよく丸められていた。
「なかなかの腕じゃな」
「ありがとうございます」
アレンが、肉を焼きながら頭を下げる。
「これは、お主が考えたのか。
この味付けも、場の仕組みも」
「いえ。
ほとんどは、グレンさんと、ここのみんなです」
アレンは、すぐに首を振った。
「元々、孤児院の子たちは、いつもお腹をすかせてて。
どうすれば腹を満たせるかは、みんなが必死で考えてました」
ゼフィラムの目が、テーブルの絵札や土のオブジェをなぞる。
「絵札、名前、ドラゴンの形のかまど……
どのテーブルにも自分の場所って思える印が付いとる」
「それは、子どもたちのアイデアです。
木のテーブル、星のテーブルって呼んだほうが、
迷わないし、楽しいからって」
アレンは、他のテーブルを見やった。
「なにもない、できないじゃなくて。
自分たちで、今できることを増やしたかったんです」
「ほう」
ゼフィラムは、興味深そうに目を細める。
「与えられた環境で工夫し、自立させる仕組みを作った。
それはなかなか難しいことじゃぞ」
「そんな、たいそうなものじゃないです」
アレンは、少し照れたように笑った。
「王都でいろいろ言われてる俺を、
ミレーネさんやグレンさんが拾ってくれて。
英雄様とかじゃなくて、一人分としてここに置いてくれたんです」
言葉を選びながら、続ける。
「だから……
その居場所づくりを、ちょっと手伝いたかっただけです」
「方向性を出した、と?」
「うーん……」
アレンは少し考え、首を振る。
「俺ひとりじゃ、どれも形になってません」
「ほう」
「ワイワイ楽しめる場が欲しかったので、
じゃあ、みんながこうしようって動いてくれて」
ゼフィラムは話題を変える。
「この魔物肉は、どこから来とる?」
「狩りです。
グランツさんが中心で、
俺と、獣人のテオたちが手伝っています」
「お主のそのひゅんと、
あの獣人坊主の風ブーストとやらか」
「……知ってるんですね」
アレンが苦笑する。
「冒険者の間でも噂になっておるからな。
一般的な身体強化とは、少し違うように見えたが」
「はい。
ずっとは無理なので」
アレンは、自分の足首を軽く叩いた。
「俺のは、体の中に直接撃って動きを変える。
テオのは、《エアーパレット》で押し出す。
《風ブースト》って言いはりますけど」
「どちらも、きっかけ魔法じゃな」
「そうですね」
アレンは、うなずく。
「一瞬だけでも動きを変えられれば、
あとは工夫と発想で、危なくないように魔物を追い込める。
狩りも、ここも、
無茶して死なないようにする仕組を考えてるつもりです」
ゼフィラムは、アレンの足元と周囲の子どもたちを見比べる。
「では、ゆくゆくは冒険者になって、魔物を狩り続けたいと?」
「う〜ん……」
アレンは、少し困ったように目を伏せた。
「孤児院には、恩返しはしたいです。
お腹がすいてたころの話も、いっぱい聞きましたし」
「うむ」
「でも俺は、あることがきっかけで魔力線を焼いて、
魔法はほとんど使えなくなってしまった側で」
アレンは、自分の胸元あたりを指先でなぞる。
「だから、魔法そのものより、
発想でもっと人が幸せになる手助けができたら、って思ってます」
「英雄になりたいわけではないと?」
「それは、噂というか……
尾ひれがついただけです」
アレンは、苦笑いを浮かべた。
「初級魔法程度しか使えないのに、
ついつい前に出てしまった結果……であって」
アレンは、少し肩をすくめる。
「違う形があると?」
アレンは、しばし言葉を探すように黙り——
ゆっくりと口を開く。
「はい。なにかと、なにかを組み合わせる」
「ふむ」
「俺の《瞬間ブースト》って
ただの《スコーチ》と《エアーパレット》の初級魔法なんです。
それを、組み合わせで生まれたものですし」
「うむ」
「世界樹も、
エルフだけでも人間だけでもなくて、
世界樹のマナと人間の知識って組み合わせだったから、
なんとか間に合ったんだと思ってます」
「……」
「人も、エルフも、魔法も。
たぶん、もっと上手く、手を繋ぐ方法があるんじゃないかなって」
アレンは、自分の手のひらを見つめた。
「うまく言えないですけど……
ここでやってることって、多分その端っこなんです」
ゼフィラムは、ゆっくりと息を吐いた。
「英雄譚の続きではなく、
魔法を体系的に学びたい、と」
「格好良く言うと、そうなりますけど」
アレンは、慌てて手を振る。
「上手く転ぶんで、後ろの人巻き込まれないでくださいって感じです」
「妙な学びじゃのう」
ゼフィラムは、肩を揺らして笑った。
「だが、それを学びたいというなら——
道はある」
炭火の煙が、静かに揺れた。
◇
学園長室に戻ったゼフィラムは、羽根ペンを手に取る。
王と宰相宛だ。
「王立学園は、アレン・ハルトシュタインに対し、
受験資格を認める」
「本件は、学園の基準に則った判断で
王命推薦とは異なる」
「学園内において、
当該生徒に対する過度な迫害や命の危険が生じた場合、
学園はこれを制止し、責任を持って対処する」
「以上」
さらさらと書き、署名の横に自分の名を書く。
同時に、アレン宛ての簡単な手紙もしたためる。
封をし、学園の印を押す。
ゼフィラムは、目を細めて小さく笑った。
「さて……」
その答えの続きは、窓の遠い視線に消えた。
以上で3章王都編終わりです。




