第7話 お風呂革命
《ウオーター》と《ウオーム》を、いっしょに動かす練習を続けていた。
最初は、熱湯か、水。
そのどちらかにしかならなかった。
だが、失敗を山ほど重ねるうちに、
だんだん「ちょうどいいところ」が分かってくる。
吸って。
溜めて。
胸のあたりの溜まり場に意識を置き、
そこから水っぽさとあたたかさを同時に引っぱる。
胸から伸びる二本の細い線を、
掌の手前で、ふわっと合流させるイメージ。
ちょろちょろ。
掌の下から落ちてくるのは、
冷たくもなく、熱くもない水。
いや、「お湯」だ。
温水。いいものを手に入れた。
◇
まずは、手洗い用。
桶の上で、ぬるま湯モードを起動する。
ちょろちょろと落ちるお湯の下に、ミーナが両手を差し出した。
「うわっ……!」
ミーナの口から、素直な声が漏れる。
「え、なにこれ、あったか……」
指先を広げたり閉じたりしながら、
お湯の感触を確かめている。
「みず、じゃない。
おゆ」
少しだけ得意げに言ってみる。
「お湯……たしかに。
でも、釜で沸かしたのと違って、
なんだか……やさしい温かさですね……」
ミーナは、何度も何度も手をこすり合わせた。
「奥様、ちょっと来てください!
アレン坊ちゃま、すごいです!」
「ミーナ、そんなに大きな声を……。
どうしたの?」
エリシア――母が、慌てて顔を出す。
「これです、これ!
アレン坊ちゃまが、最初からあったかい水を!」
もう一度、ぬるま湯モードを発動する。
母も、おそるおそる手を出してきた。
「……っ」
触れた瞬間、母の肩がびくりと揺れる。
「ほんとに……あったかい……」
指先から手首まで、ゆっくりお湯が流れていく。
「いつもは、冷たい水で洗ってから、
《ウオーム》であたため直してたけれど……
これは、最初から……」
「て、あれにくく、なる?」
そう言うと、母は目を丸くした。
「ええ。
荒れにくく、なると思うわ……」
言いながら、自分の手の甲をじっと見る。
家事を続けてきた人の手。
うっすらした赤みと、細かなひび。
「……アレン。
本当に、すごいことよ、これ」
声が、少し震いでいた。
◇
次は、足湯。
冬の夜。
暖炉の前に、木の桶を置く。
そこに、ぬるま湯モードでお湯を張る。
一気に満たす量は出せないから、
何度も何度も、ちょろちょろを繰り返す。
「アレン、もういいわよ。
疲れちゃうでしょう?」
「だいじょぶ。
これ、れんしゅうにも、なる」
そう言って、最後の一回を出し切る。
母が、そっと足を浸した。
「……はあぁ」
分かりやすいため息が漏れる。
「ガルド。
あなたも入ってみる?」
「いや、私が入るわけには……」
そう言いながら、父の視線は桶に釘づけだった。
「ほんとに、気持ちいいんですよ?」
ミーナが、にやにやしながら、
自分も隣の桶に足を突っ込む。
「うちの水魔法使いのおじさんでも、
ここまでは、なかなかやってくれませんからね〜」
「む……」
結局、父も片足だけ、そっと桶に入れた。
「……悪くないな」
どうやら、気に入ってくれたらしい。
その一言で、胸のあたりが、少しだけあたたかくなった。
◇
父は、すぐに実務のほうを考え始めた。
「セバス。
これ、兵舎にも応用できんか?」
「兵舎、でございますか」
セバスが眉を上げる。
「冬場の見回りのあと、
手足の感覚が戻らないことも多い。
凍傷になる兵も、毎年少数とはいえ出る」
父は、足湯の桶を見下ろしながら続ける。
「すべての兵に、とはいかんだろうが。
少なくとも、重症を防ぐ程度には、役に立つかもしれん」
「なるほど……
坊ちゃまのご負担にならない形であれば、
十分検討に値するかと」
セバスの目が、少しだけ真剣になる。
「ぼく、そんなに、いっぱいは、まだむり」
正直に言っておく。
「でも、やりかた、おしえたら……
みずのひと、とか、できるかも」
「やり方……ですか」
セバスが、興味深そうにこちらを見る。
オットーは、その横で腕を組んでいた。
「《ウオーター》と《ウオーム》の同時操作……
理屈としては、できなくはありませんが……」
また理屈としては、だ。
「おまえ、むずかしいこと、かんがえすぎ」
つい、口から出てしまった。
「あったかいみずって、
おもうだけ」
一瞬、部屋の空気が止まる。
それから、ルークの笑い声がした。
「お前、こういうところだけ、妙に発想が柔らかいな」
「こういうところだけ、とは失礼ね」
母が、少しだけむくれる。
「でも、本当にそうよ。
私たち、いつの間にか、水と火を別々に考えることに慣れすぎてたのね」
◇
それから数日。
ぬるま湯モードは、いつの間にか屋敷のあちこちに広まっていた。
朝の手洗い。
冷たい水より、ずっと楽だ。
食器を軽くすすぐときにも便利だった。
冷えた足先を温める、簡易の足湯にもなる。
風邪気味の使用人には、
首元を温めるタオル用のお湯として使われた。
量は少ない。
一度に出せるのは、せいぜいコップ一杯。
それでも、その一杯は、思った以上に喜ばれた。
「アレン坊ちゃま、これがあるだけで全然違います〜」
ミーナが、洗い物の合間に、
手だけぬるま湯であたためて、うっとりした顔をする。
「ひび割れが、前より軽い気がしますわね」
年配のメイドも、真面目に感心していた。
「アレン。
最近、手が前ほど荒れなくなったの。
本当に、ありがとう」
母は、そのたびに、
俺の頭をなで回した。
◇
一日の終わり。
ベッドの中で、天井を見ながら考える。
やっていることは、
ちょっと温かい水を出しているだけだ。
前の世界では、
それは全部、見えないところで誰かがやってくれていた当たり前だった。
マンションの配管。
給湯器を作る会社。
ガスや水を届けてくれる人たち。
顔も知らない誰かの仕事が、
蛇口をひねったらお湯が出る、という一瞬に集約されていた。
この世界では、その当たり前を、
ほんの少しだけ自分が肩代わりして、
目の前の人が「助かった」と言ってくれる。
派手でもない。
世界を救うわけでもない。
それでも。
勇者になるとか、
世界を変えるとかじゃないけど。
こういうのも、けっこう好きだ。
モブのまま。
でも、モブなりに、
みんなが楽になる仕組みを、少しずつ増やしていく。
その第一歩が、
手のひらサイズのお風呂革命。
俺は、明日もまた、
《ウオーター》と《ウオーム》の細い線を同時になぞることを思い浮かべながら、
ゆっくりと、まぶたを閉じた。




