第69話 王の届かぬ三案
「陛下がお呼びです、宰相閣下」
午後も半ば近く——
側仕えに呼び止められた。
王は、いつも唐突に呼び出す。
それは、大概厄介なことが多い。
◇
王は、いつもと同じように
執務室の椅子に腰を下ろしていた。
見慣れた机——
その上には、見覚えのない紙が広げられたいた。
「来たか、ヴァルド。
話しておきたいことがある」
王の目の奥に、さきほどにはなかった熱があった。
「我に——届けてくれた者がいてな」
言い方は曖昧だが、誰が運んだか分かりきっている。
(王影だな)
存在だけは知られている、王の目。
宰相の網からも、時々、するりと外側をつついてくる。
「森の縁で、ボス級の単眼に
決定打を与えた少年のことだ」
王の視線は、こちらの肩越しを見ていた。
「世界樹の不調を軽くし、
瘴気石封印に協力した少年と言ったほうがいいか?」
喉の奥が、わずかに乾く。
——そこまで掘られているとは。
「名は、
——アレン・ハルトシュタイン」
王が、自分で言った。
「……左様でございますか」
それだけ言う。
「その少年は、
孤児院の子どもたちと一緒に、
魔物肉を焼いているそうだ」
王が、淡々と続ける。
「下町の噂話まで、陛下のお耳に届くとは」
ヴァルドは、眉ひとつ動かさずに言った。
「届いてはならぬ噂だと、お前は思うか」
「さあ」
肩をすくめかけて、やめる。
「スタンピードに英雄はいなかった、という物語は——」
王が、机の紙を見つめたまま呟く。
「誤りだったな」
静かな声だった。
ヴァルドは、黙って聞いている。
「それを、私は知らなかった」
「スタンピードに英雄はいなかった、という物語は、正しくない」
王の声には、さきほどよりはっきりとした熱が宿っていた。
「民は、本当は、それを知りたかったはずだ」
「それで、陛下は
何を、お考えで」
表向きは穏やかに促した。
「三つ、案がある」
王は、迷いなく言った。
「一つ。
ハルトシュタイン家の爵位を、一段引き上げること」
予想の範囲内だ。
「辺境の砦を守り抜いた家だ。
本来なら、二年前に報いられるべきだった」
王の声に、揺るぎない確信がある。
「二つめ。
アレン・ハルトシュタインを、
正式にスタンピード英雄として認定すること」
ヴァルドは、無表情のまま目を閉じた。
そう来る。
「三つめ」
王は、机の端に置かれた封書に触れた。
王立学園の紋章。
「その少年に、王立学園への道を開くことだ」
◇
「まず、一つ目。
ハルトシュタイン家の爵位引き上げについて
お伺いしてもよろしいでしょうか」
ヴァルドは、丁寧に切り出した。
「陛下のお志は、もっともにございます」
「しかし、ハルトシュタイン家のみを引き上げれば、
我らの功は軽んじられたと、不満を抱く者も出ましょう」
「それは、説得しよう」
王は、あっさりと言った。
「ハルトシュタインの砦に立っていた者と、
そうでない者とでは、重みが違う」
「しかしながら——
二年という時間が、すでに経っております」
ヴァルドは、首を横に振り
はっきりと突く。
「なぜ今、と陛下に疑念の目が向けられましょう」
王の手が、わずかに止まった。
「病に伏しておられた事情など——
民は気にもかけません。
むしろ、王としての権威を、損なう恐れがあります」
砦周辺の復興の遅れ。
孤児の増加。
中央が削った予算。
すべてに「なぜ」が向かう。
王にとっても、宰相にとっても、歓迎すべき事態ではない。
◇
「二つ目も、同様で
それも、今さらでございます」
ヴァルドは、間髪入れずに続けた。
「……」
「もし今、公にスタンピード英雄を掲げれば、
民は当然こう問うでしょう」
一語一語、区切る。
「その英雄を、なぜ二年も放っておいた、と」
王の瞼が、ぴくりと震えた。
「この子は命を張った。では政治は何をしたと、
誰もが比べるようになる」
「英雄譚は、民の希望。
期待と要求を
必ず連れてまいります」
「その荷を、今の王国が背負えるかどうか——
私には、疑問でございます」
最後だけ、ほんの少し声を落とした。
◇
しばし沈黙。
ヴァルドが、言葉を先に走らせた。
「陛下のお志を、
軽んじるつもりはもちろんございません」
机の縁に置かれた王の手。
わずかに震えている。
それでも、何も言い返さない。
「三つ目については、いかがだ。
王立学園の門を、開くことくらいは——」
絞り出すように、王が問う。
「それも、慎重にあるべきと存じます」
ヴァルドは、即座に切った。
王の言葉のその先を許さぬように。
「王のお気に入り、として学園に押し込む。
それだけで波紋を呼びましょう」
「しかし、門を開くだけでも——」
「学園は、王都のど真ん中にございます」
ヴァルドは、声音をわずかに硬くした。
「そこに、森の呪いの子と噂されている少年を入れれば、
王都の貴族子弟、ひいてはその後ろにいる諸侯たちが、
どう受け取るか」
世界樹の恩人という顔だけではない。
王都に流れた噂では、
アレンは「森の祟り」「呪いの子」としても語られている。
「学び舎は、王国の未来を担う子らの場です
そこに余計な色を入れて、
にごらすことは避けるべきかと存じます。」
ヴァルドは、ごくまっとうな理屈を口にする。
「まずは、下町で
静かに暮らしてもらうのがよろしいでしょう」
「静かに、とは」
「焼き肉屋の噂は、いずれ薄れます」
ヴァルドは、さらりと言った。
「そのまま下町の一角で、
一人分の食い扶持を稼ぎ続けてもらえれば、それで十分」
「……」
「王都から遠ざけるべき、という意見もございますが
今すぐに何かを決める必要は、ございません」
ここで、あえて一歩引いてみせる。
「爵位も、英雄認定も、学園の件も。
焦って動けば、どこかに無理が出る」
ヴァルドは、淡々と畳みかけた。
「この件は、一度棚上げとし、
時が落ち着くのを待つのが、賢明かと存じます」
◇
しばし、重い沈黙が続いた。
王の指先が、机の上でゆっくりと握られ、また開かれる。
ヴァルドは、その動きを横目でとらえながらも、表情を変えない。
やがて——
「……そうか」
王は、それだけを呟いた。
震えを含んだ、かすかな声。
それが、決定の印でもあった。
「では、この件に関しては——
当面、何も動かさぬということで、よろしゅうございますか」
ヴァルドが確認する。
「……ああ。
それでいい」
王は、目を閉じた。
それ以上、言葉は続かなかった。
ハルトシュタイン家の爵位も。
アレン・ハルトシュタインの英雄認定も。
王立学園への門も。
どれ一つとして、この場では決まらない。
王が望んだ三案は、
宰相の冷ややかな理屈によって、
すべて、今は動くべきではないにまとめられた。
「では」
ヴァルドは、深く一礼して、執務室を辞した。




