第67話 風ブーストの追い込み修行
子どもの家の前の空き地に、今日も煙が立っていた。
——焼き肉屋は、どうやら当たってしまったらしい。
肉の残量を確認しながら、息を吐く。
「ぶひぶひさん、これで最後の一枚です」
「もうそんなか」
グレンが、タレの壺をかき混ぜながら顔をしかめる。
「ながみみは?」
「……三枚ですね」
「ギリギリだな」
彼は、指を弾いた。
「グラ爺の狩り、そろそろ追いつかねえ」
「俺も行ってますよ」
グレンが、言い放つ。
「お前は看板。
焼き場の英雄様だからな。
抜けたら店が回らねえ」
苦笑しながら、最後のぶひぶひさんを皿に並べた。
◇
その日。
営業がひと段落したあと。
空き地の端で、一人の少年が
何やら妙なポーズを取っていた。
腰を落とし、前傾姿勢。
片足を少し引いて、
両手を地面すれすれまで下ろしている。
「ひゅん!」
尻尾を高く上げ、小さく呟いて地面を蹴る。
「どさっ!」
半歩ぶんだけ前に飛び出し、そのまま見事に転んだ。
「……ちがう」
テオが、むくりと起き上がる。
「お兄ちゃんのは、もっとかっこよかった」
また構え直す。
「ひゅん!」
「どさっ!」
やっぱり転んだ。
「おーい」
その背中に、声をかける。
「その練習、いつまでやるつもり?」
テオが、ぱっと顔を輝かせた。
「見てた?」
「ちょっと飛べて転んでた」
「やっぱ、どさっいるよな!」
「……そこ、大事?」
「うん!」
テオは、力いっぱい頷いた。
「グレン兄ちゃんが言ってたんだ。
英雄様の一番かっこいいとこは、
無茶したあと、ちゃんと転ぶとこだって」
「あの人、変なこと教えるなあ……」
アレンは、額に手を当てる。
「今のって、もしかして魔法使ってた?」
「俺、ちょっとだけ出せる。こう——」
前傾になり、両手を地面すれすれに下ろす。
足の後ろの空間に向かって、掌をかざした。
《ウインド》
ふわ、と弱い風が吹く。
テオは、それに合わせて前に跳ぶ。
伸び方が頼りない。
アレンは、少し首をかしげた。
「テオを押してくれてはいない感じ」
「たしかに、足がすべるみたいで、ちょっとこわい」
テオが、耳をしょんぼりさせる。
アレンは、地面に視線を落とした。
「だったらさ。
ぶつけるほうにしてみる?」
「俺の《瞬間ブースト》もさ、
足の中でマナを弾いてるんだ、
テオはそれを外に出す」
テオは、かかとのすぐ後ろに、指先を向ける。
「こ、ここ?」
「そう。
足のうしろの土を、ぱんって叩く感じ」
「……やってみる」
ごくりと唾を飲み込む。
「《えあーぱれっと》!」
小さな空気弾が地面を叩いた。
その瞬間を狙って、テオが踏み込む。
かかとが、空気弾に押されるように前へ滑り、
体が半歩ぶんだけ伸びた。
「さっきより、ちゃんと押されてたね」
アレンが感心する。
「お、おお……」
テオが、目を丸くする。
「今の、本物のひゅんだった!」
「でも、止まれなかったでしょ」
「うっ」
図星を刺されて、耳がぺたんと寝る。
アレンは、地面の小さなへこみと、テオの足あとを見比べた。
「押しすぎたら、止まれない。
押す場所間違えたら、変な方向に飛ぶ」
「……」
「でもさ。これはきっかけ」
テオは、真剣な顔でこくこく頷いた。
「じゃあさ!」
ぱっと顔を上げる。
「俺も、お兄ちゃんの弟子って言っていい?」
ぐい、と詰め寄ってくる。
「グランツじいちゃんと一緒に行って——
お兄ちゃんは《瞬間ブースト》。
俺のは、《風ブースト》!」
「やめときな」
背後から、声が飛んできた。
ミレーネだ。
腰に手を当てて近づいてくる。
「テオ、前にも言ったよね。
今は、お留守番組って」
「でも!」
テオが、食い下がる。
「肉、ぜんぜん足りないって、
グレン兄ちゃん言ってた!」
「そうね」
ミレーネは、あっさり頷いた。
「肉は、もっと必要。
狩りに行ける人は、もっと欲しい」
「だったら!」
「テオ、逃げ切れるの?」
「……え」
「狩りに行くってことはさ。
獲物から、追いかけられることもあるのよ
その時どうするの?」
「……」
テオの口が、きゅっと結ばれる。
「だから、反対」
言い切ってから、ミレーネはアレンのほうを見る。
アレンは、頭をかいた。
「でも、グランツさん一人で全部は、
負担が大きいです……」
ミレーネは、ため息を吐く。
「それが分かってるからこそ、頭が痛いのよ」
◇
「いきなり狩りには連れていかねえ」
翌日。
ギルド前で、グランツが腕を組んで言った。
「えー!でも、肉!」
テオが、全身で抗議する。
「肉のこと考えてるのは偉いけど、な」
グランツは、テオの頭をがしがし撫でた。
「ちゃんと練習してからだ」
テオが、小首をかしげる。
「逃げ切ることはもちろんだがな。
どこまでなら飛んで、
どこで止まれるか。
誰も追いかけてこねえ場所でだ」
グランツは、アレンのほうを見る。
「テオに付き合ってやれ」
「えー、狩りは?」
テオが、不満げに尻尾を垂らす。
「止まるができたら、考える」
グランツは、そう言って笑った。
◇
空き地の端。
土の地面に、アレンは二つ線を引いた。
「テオは、ここからここまで、風ブースト込みで走る。
奥の線を踏み越えたら、ダメ」
「えー!」
「獣とか魔物の前に出すぎたらどうなる?」
テオは、ごくりと唾を飲んだ。
「……分かった」
テオは、スタートラインに足をそろえる。
「いくよ——」
にやっと笑って、胸を張る。
《風ブースト》
ただのエアーパレットだが、
ここだけは譲れないようだ。
ぱん、と土を叩く音。
かかとが押され、体が半歩ぶんだけ伸びる。
「ひゅん!」
視界が、限界線のほうへ滑った。
「ストップ!」
アレンの声に、必死に足を止める。
かかとが、限界線のすぐ手前で砂を滑らせた。
「お……!」
膝をつきかけながら、どうにか踏みとどまる。
「ぎりぎり、セーフ」
アレンは、にっと笑った。
「今の、上手くいってたよ」
「ほんと!」
テオの耳が、ぱあっと立つ。
「じゃあ、もう一回!」
何度も何度も、
スタートラインと限界線のあいだを、
走って、止まって、転んで——
「お兄ちゃん!
今の、どさっがなかった!」
もう、汗と土でぐしゃぐしゃになった顔だ。
アレンは苦笑いする。
「ひゅんだけで済むほうが、かっこいいよ」
「……そっか」
テオは、少し考えて、こくんと頷いた。
◇
「一回試してみるか」
数日後。
グランツが、山裾の草地まで俺たちを連れてきた。
「今日はホーンラビットだけだ。
オークはやらねえ」
グランツは、足元の土を指でなぞりながら続ける。
「最初の追いは、アレン。
ホーンラビットがそれそうになったら——」
横に目を向ける。
「二番手のテオが、鼻先を押さえる」
「俺が……」
テオの喉が鳴る。
アレンは、テオの肩に手を置いた。
「怖くなったら、戻っていいからね」
「うん……分かった」
テオは、細く息を吐いた。
草むらの向こう。
白い耳がぴくんと動いた。
軽い足音だが、速い。
「行くぞ」
グランツの低い声。
まずはアレンが走り出す。
背後から一定の距離を保ち、
それそうになったら、回り込んで戻す。
いつもやっている追い込みだ。
ただ今日は、その少し後ろを——
テオが、低い姿勢で走っていた。
前傾になり、両手は地面すれすれ。
いつでも《エアーパレット》を撃てる姿勢。
アレンの反対側に回り込んで、
少し距離を取っている。
ホーンラビットが
ぐらりと方向を変える——
「今!」
アレンの声。
《風ブースト》
テオは大きな声でそう言ってから、
かかとのすぐ後ろの地面へ、手をすばやく滑らせる。
ぱん、と土を押す音。
その反動を足で受ける。
「ひゅん!」
ホーンラビットの死角。
目の端をかすめる位置——
「わっ!」
思い切り両手を広げて、声を上げた。
ホーンラビットの体が、びくんと揺れ、
反射的に、元の進路へ跳ね戻った。
その先にいるグランツがニヤリ。
短い声とともに、白い毛玉が地面に転がった。
「よし。今のは、及第点だ
いやな位置にいたぞ」
「ほんと?」
テオは、へたり込んで。
尻もちをついて。
でも、ぱあっと顔を輝かせた。
グランツが、と言う。
「……まあ。
肉の心配は、少しだけ減ったな」
テオは、ぎゅっと拳を握った。
狩りの帰り道の途中。
そっとアレンの袖を引く。
「なあ、いつか、さ——」
尻尾が、少しだけ揺れる。
「今は後ろついていくだけだけど。
兄ちゃんと、グランツじいちゃんと—— 」
言葉を探す。
「肉とって帰ってくる英雄になりたい」
小さな獣人の頭の中には、
以前と違う未来が見えていた。
「そのために、もっと練習しないとな。
もちろん、ひゅんをな」
「だね!」
尻尾をぶんぶん振る。
英雄焼き肉の追い込み担当。
小さな足音は、確かに混ざり始めていた。




