第63話 責任の線引き
朝。
子どもの家の広間に、
パンを裂く音と、子どもたちの声が満ちていた。
「パンちっちゃくなってない?」
「昨日より、スープ薄い〜」
「文句言うなら、自分で稼いできなさい」
ミレーネが、いつもの調子で切り返す。
テオはというと、ちぎったパンをやたら慎重にスープに浸していた。
「こぼすなよ、テオ」
「うん。床に落としたら怒られる」
「最初から分かってるなら、落とさないようにしなさい」
軽口と、かすかな笑い。
それでも、椀の中身はやっぱり薄い。
肉片は、小指の先ほどのものが一つ、二つ。
生きるためには、たぶん十分。
でも、「楽しみ」と呼ぶには、まだすごく遠い。
◇
朝食が終わると同時に、扉がノックされた。
こんこん、と二度。
この時間に? と、みんなの視線がそちらに向く。
「はーい」
ミレーネが、ぞんざいな声で返事をして扉を開けた。
「ギルドの者です」
簡素な徽章をつけた、若い職員風の男が立っていた。
「アレン・ハルトシュタイン殿、いらっしゃいますか」
広間が、わずかにざわつく。
テオが、「お兄ちゃんだ」と小声で囁いた。
「……います」
俺は立ち上がり、前に出る。
「俺が、アレンです」
「確認いたしました」
男は、胸元から封筒を取り出した。
「ハルトシュタイン領よりの書状と、ギルド経由の送金です。
身元確認のサインを、こちらに」
板と紙が差し出される。
アレン・ハルトシュタインと書き込む。
書いた瞬間、その名前が、どこか自分から遠いものに思えた。
「確認しました。では、こちらが書状と、送金の控えです」
封筒を受け取る。
厚みはないのに、ずしりと重い。
「それと——」
職員が、もうひとつ小さな袋を取り出す。
「スタンピード鎮圧特別報奨の追加分です。
ボス素材の精算が終わり、エルフ側が権利を放棄した分が、あなたに」
「追加……」
王城で渡された布袋の手触りが、脳裏によみがえる。
「中身の確認を——」
「いえ、ここでは大丈夫です」
この場で金貨を数える気にはなれなかった。
「かしこまりました。それでは」
職員は一礼し、足早に去っていく。
扉が閉まる音が、不自然なくらいはっきり聞こえた。
◇
「……領からの手紙?」
ミレーネが、興味ありげに封筒を見やる。
「はい。父から、だと思います」
「なら、さっさと読みなさい。
掃除の前に、泣くか笑うかはっきりしときな」
そう言って、子どもたちに号令をかける。
「はい、今日の担当決めるよ。
水汲み二人、洗い物三人、下の子の面倒二人……テオは床掃き」
「えー」
「えーじゃない。昨日サボってたでしょ」
「サボってないもん。ちょっと転んだだけだもん」
「はいはい。アレンは、そこの机使っていいから」
「ありがとうございます」
がたつく机に封筒を置く。
丁寧に封を切ると、薄い紙が二つ折りで入っていた。
見覚えのある、少し乱暴な字。
ガルド・ハルトシュタイン。
父の手だ。
深呼吸をひとつしてから、文面を追う。
アレンへ
「生きていると聞いて、これほどほっとしたことはない。
二年前、砦からの報告にお前の名があったとき、
誇らしさと共に、何かが崩れる音を聞いた気がした」
「その後、お前の行方は分からず、
私はずっと「生死不明」の三文字を見つめ続けていた。
エルフの使節と今回のギルドから、王都にお前がいると知らされた。
まずは、それだけで十分だ。
よく、生きていてくれた」
行を追うごとに、視界がにじむ。
「魔法が難しくなっていることも、聞いた。
太い魔力線が焼け落ちたと聞けば、
あの一撃がどれほど無茶だったかも、想像がつく」
「そのことで、自分を責めな。
砦が残ったのは事実であり、
多くの命が救われたのも事実だ。
代償を背負っているのは、お前だけではない。
あの夜、そこにいた全員が、それぞれの形で背負っている」
紙越しの声が、やけに近く感じた。
「領地の復興は、家と領主の責任だ。
これは、私の仕事であり、お前の仕事ではない。
ハルトシュタイン家の名にかけて、
砦と村と畑を、必ず立て直す」
「だから、お前の金は、お前自身の未来のために使いなさい。
報奨金も、ギルドからの分配も、
家に送らねば、とは考えなくていい。
それは、お前の手の中にあるべきものだ」
インクが少し濃い。
ペン先に力がこもった跡。
「魔法が難しくなっても、生き方はいくらでもある。
王都には、学ぶ場と、人と、情報が集まっている。
お前が選べる道は、辺境より多い」
「王都で学びなさい。
そして、その先を自分で選びなさい」
「お前がどの道を選んだとしても、
それが「誰かのため」に繋がると信じられる道なら、
私はそれを誇りに思う」
ガルド・ハルトシュタイン
最後の行まで読み終えたときには、紙が少し波打っていた。
涙が、落ちていた。
「……っ」
慌てて袖で拭う。
そのとき。
「ふうん」
すぐ横から声がした。
顔を上げると、ミレーネが腕を組んでこちらを見下ろしていた。
「お父様、ちゃんとしてるじゃない」
「読んでたんですか」
「ちらっとね」
悪びれもせずに言う。
「領地の復興は家の責任。
お前の金はお前が使え、か」
「……はい」
視線を、隣の布袋に落とす。
王城の報奨金と、今の追加分。
二つ合わせると、子どもの家には不釣り合いな重みだ。
「それで?」
ミレーネが、顎で袋を指す。
「その金、どうするつもりだったわけ」
「……最初は、領地に送るつもりでした」
砦の石壁。
焼けた畑。
崩れた家。
そこに立つ人たちの姿が、頭に浮かんでいた。
「でも、父は『それは自分の責任だ』って。
お前の金は自分の未来のために使えって」
「ふうん」
「だったら、俺は——」
言いながら、口が少し重くなる。
「スタンピードの続きのほうを、なんとかしたいです」
「続き?」
「はい」
言葉を探しながら続ける。
「砦でボスを倒して、スタンピードを止めて。
そこで全部終わった、ってことになってますけど……」
路地で見た、人の群れが脳裏をよぎる。
「王都に来てから、その続きを見ました。
戻れない人たち。
仕事を失った人たち。
ここみたいな所に押し込まれた子どもたち」
自分の関わった戦いの「後片付け」が、
別の場所で静かに積み上がっている。
「だから、その……」
一度、息を飲み込む。
「ここを、なんとかできないかって」
ミレーネは、しばらく黙っていた。
やがて、片眉を上げる。
「それって、あんたの責任?」
「え」
「スタンピードの続き、全部あんたの責任?」
刺すような口調だった。
「むしろ逆でしょ」
机を、指でとん、と叩く。
「スタンピードのボス倒して、砦守って。
あんたがいなかったら、
今ここで飢えてる人たちは、そもそも生きてなかったかもしれない」
「……」
「酒場であんたバカにしてた連中もさ。
あんたがいなかったら、とっくに魔物の腹ン中だったかもよ」
軽く笑う。
「つまり、あんたはもっと不幸になる未来を、ひとつ止めたわけ」
その言い方は、妙にしっくりきた。
「その不幸を止めただけじゃ、不満?」
「……不満、というか」
言葉を探す。
「止めた先で、こうして困ってる人たちがいて。
それを見て何もしないでいると、落ち着かないんです」
「ふうん」
「それに——」
少しだけ、喉が詰まる。
「スタンピードが起きたのは、
もしかしたら、俺がいたからかもしれないって、言われてて」
「呪いの子ね」
あっさりと言われる。
胸の奥が、ちくりとした。
「森に誰かがなんか落としたのをごっちゃにしてるだけよ」
ミレーネは肩をすくめる。
「酒場の噂よ、そんなの」
「でも、完全に違うって言い切れない気もして」
「ほら出た」
呆れたように笑う。
「どこまで英雄気取りなんだか」
「……」
「自分がいたからスタンピードが起きたかもしれない?
自分がいなかったらもっと人が死んでたかもしれない?
それ、両方考えて、両方自分の責任にしたいわけ?」
図星を刺されたようで、言葉が詰まった。
「自分の腹も満たせないのにさ」
さらりと言われる。
「英雄バカもここまでくると──
逆におもしろいわね」
「いいじゃない」
口元だけで笑った。
「責任とりたいんでしょ。
やってみなさいよ」
指先で、布袋をつつく。
「国も宰相も大人もすっ飛ばして。
王都の片隅で、あんたなりの責任のとり方ってやつ」
「……止めないんですか」
「止める理由、どこにあるのよ」
あっけなく返ってくる。
「どうせ、あんたの報奨金がなくても、
この子たちは今日も明日も生きるし、
そのうち誰かが倒れるかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「英雄様の余計な正義が一つ増えたところで——」
肩をすくめる。
「少なくとも、私は退屈しない」
そう言って、にやりと笑った。
「ただしね、英雄様。
スタンピードの続きをって大きいこと言う前に」
指を一本立てる。
「まずは、ここの窓拭きから」
広間の窓は、煤や手形で白く曇っていた。
「ここにいる二十何人のガキの顔も見えないで、
王都の路地で続きがどうこうって語られてもね」
くすっと笑う。
「まずはこの部屋の中をちゃんと見て、
床掃いて、窓拭いて。
腹満たす段取りを、考えるとこからよ」
「……はい」
妙に納得してしまった。
大きなことを言っているつもりで、
いちばん近くの埃すら見えていなかった気がする。
◇
「テオー!」
別の子どもの叫び声が上がる。
「掃き終わってないじゃん、そのへん!」
「もう少し待って!」
視線を向けると、テオがほうきを片手に、妙なポーズを取っていた。
片膝を曲げ、腰をひねり、空中に向かってぴょんと跳ねる。
「ひゅん、どさっ!」
自分で効果音までつけている。
「……なにやってんの、あんた」
ミレーネが、こめかみを押さえた。
「昨日のお兄ちゃんの真似!」
テオが、得意げに尻尾を振る。
「こうやってさ、空飛んで——」
もう一回、ほうきを杖みたいに構えて、跳ぶ。
足元がずるりと滑って、見事にこけた。
「どさーっ!」
「床掃きなさい」
「えー」
「えーじゃない!」
ミレーネの一喝に、テオは「はーい」と渋々ほうきを持ち直す。
そのやりとりを見ているだけで、
胸の奥が、少しだけむず痒くなった。
「ほらね」
ミレーネが、窓のほうを顎でしゃくる。
「英雄様の結果ってのは、ああやってガキの遊びになってくの」
「……そう、ですね」
「だから、あんたがどこで線引こうと、
勝手に広がるとこは広がるし、
忘れられるとこは忘れられる」
肩をすくめる。
「その中でここを選ぶってんなら——」
俺のほうを見た。
「窓拭きくらい、さっさとやりなさい」
笑いながら言う。
「ミレーネ、バケツどこー!」
テオの声が飛ぶ。
「自分で探しなさい!」
叫び返してから、ミレーネはため息をひとつ。
「はー……さっさって。夕飯の仕込みもしなきゃ」
後ろで髪をくくり直しながら、ぶつぶつ言う。
「この人数分、煮て焼いて切って……
もうちょっと簡単に、いっぱい食べさせられる方法があったらねえ」
ぼやきながら、台所のほうへ消えていく。
自分の腹も満たせないくせに、
スタンピードの続きに口を出そうとしている、英雄バカ、か。
その背中を黙って見送っていた。




