第6話 《ウオーター》習得
《ライト》と《ウオーム》に慣れてきたころ。
ついに、その日が来た。
「では今日は、新しい魔法を一つ。
水属性初級魔法、《ウオーター》です」
オットーが、いつもの講義口調で宣言する。
◇
「《ウオーター》は、清浄な水を少量だけ生み出す魔法です」
黒板の前で、さらさらとチョークが走る。
カップの絵。
その上に、ちょろちょろと水が落ちている落書き。
「量は、魔力量と練度によりますが……
最初は、手を洗える程度を目標にしましょう」
蛇口の手洗いモード、そんな感じだ。
「イメージは、透明な水。
井戸水でも、川の水でも構いません。
ただし、汚れのないものを」
オットーが、俺の前に空の木桶を置いた。
「さあ、アレン坊ちゃま。
掌を、こう……」
手のひらを下向きにして、桶の上へ。
胸のあたりの魔力核に意識を向ける。
水。
前の世界の水。
蛇口から出ていた水。
自販機のペットボトル。
コンビニの氷入りカップ。
シャワー。
とりあえず、蛇口だ。
銀色の蛇口。
レバーをひねる。
透明な水が、ちょろちょろと流れ出す。
魔力核で集めた魔力を、さらさらとした感覚に変える。
それを、掌へ向かう細い線に流す。
じんわり。
じんわり。
◇
ぽた。
ぽたぽた。
最初に落ちてきたのは、ほんの数滴。
続いて、
ちょろ。
ちょろちょろ。
細い糸みたいな水が、掌の下から桶へ落ちていく。
「……出た」
思わず、声が漏れた。
「おお。
ちゃんと、水になっていますね」
オットーが桶を覗き込む。
透明で、濁りのない水。
見るからに冷たそうだ。
前は蛇口から出てきていたものが、
今は自分の手から出ている。
それだけで、妙に感動してしまう。
「最初にしては十分です。
あとは、量と安定ですね」
オットーが満足げにうなずいた。
◇
《ウオーター》を何度か繰り返し練習したあと。
俺は、ずっと考えていた実験に手を出すことにした。
まずは、普通にやってみる。
桶の水を手ですくう。
冷たい。
「ひゃっ」
声が裏返る。
その状態から、《ウオーム》。
掌の中の水を、あたためるイメージ。
じんわり。
じんわり。
……熱い。
「っつ」
思わず手を引っ込めた。
外側だけが一気に熱くなって、内側はまだ冷たい。
そんな感覚だった。
タオルで手を拭きながら、苦笑する。
給湯器って、本当にすごかったんだな。
あれは最初から、温度のそろったお湯を出してくれていた。
水と熱を、きれいに混ぜて。
今の俺のやり方は、冷たい水に後から熱を足しているだけだ。
これじゃムラも出る。
◇
やり方を変えてみる。
まずは、《ウオーター》と《ウオーム》を同時に。
魔力核のあたりで、水と熱、両方のイメージを立ち上げる。
細い線を二本用意する感じ。
片方は、さらさらした感覚。
もう片方は、あたたかさ。
それを同時に、掌の下へ流す。
ちょろちょろ。
じゅうっ。
「わ」
水は出る。
けれど、半分くらいは出た瞬間に湯気になった。
桶に落ちるころには、水の量がかなり減っている。
「蒸発……?」
オットーが、興味深そうに眉を上げる。
「面白い現象ではありますが……
実用性は、いささか疑問ですね」
その通りだ。
次は、別パターン。
先に空気をあたためてから、《ウオーター》。
掌の周りの空気を《ウオーム》でほんのり温めて、
そこに水を出す。
最初の一滴二滴は、たしかに少しぬるい。
でも、すぐに冷めてしまう。
どれも一瞬だけ。
一部だけ。
俺が欲しいのは、最初から最後まで、ちょうどいいお湯だ。
水と熱を、別々に考えているからややこしいのかもしれない。
最初から、ちょうどいいお湯という状態を、
一つの完成形として狙ったほうが、
むしろ簡単なんじゃないか。
そう思い始めた瞬間、
さっきまでのやり方が、急に遠回りに見えてきた。
◇
胸のあたりの魔力核に、もう一度意識を集中させる。
今度は、水と熱を同時に立ち上げる。
さらさらした感覚と、
あたたかさの感覚。
でも、それを別々の魔法としてではなく、
最初から「ぬるま湯」としてイメージする。
手を洗うときの、あのちょうどいい感じ。
前の世界の洗面所を思い出す。
冬場、少しだけお湯寄りにひねった蛇口。
冷たくもなく、熱くもない。
いつまでも触っていられる温度。
その状態を、一つの塊として想像する。
魔力核から、細い線を二本引く。
一本は水っぽさ。
もう一本は温かさ。
胸の中では少し離したまま、
掌の手前で合わさるように流す。
二本の線を、掌の前で一本にまとめる。
お湯専用の線を作る感覚。
吸って。
溜めて。
同時に、流す。
◇
最初は失敗だった。
「……あちっ」
出てきたのは、ほぼ熱湯。
慌てて手を引っ込める。
次は、その反動で、ぬるすぎる水。
「つめたい……」
オットーが苦笑いする。
「なかなか、難しいところを狙いますね」
でも、不思議と確信があった。
これは、感覚さえつかめばいける。
魔力核からの出力を、ほんの少しだけ抑える。
水の流量は、あまり変えない。
今度は、桶ではなく、
自分のもう片方の手のひらに向けて出す。
吸って。
溜めて。
流す。
ちょろ。
細い水の筋が、掌に落ちてくる。
触れた瞬間――
「……お」
思わず声が漏れた。
冷たくない。
熱くもない。
手を洗うのに、ちょうど気持ちいい温度。
ほんの数秒で止まってしまったけれど、
その間だけは、安定したぬるま湯だった。
水を出してから温めたというより、
最初からお湯が出てきた感覚。
別々だった感覚が、
掌の前で一つにまとまった。
給湯器のまねごとを、
手のひらサイズでやっているみたいだ。
にやけそうになるのを、なんとか抑える。
◇
「坊ちゃま、いまのは……?」
オットーが、じっと手元を見つめている。
「《ウオーター》を出してから、あとで《ウオーム》を……
というわけでは、なさそうですね」
「……みずと、あったかい、いっしょ」
自分でも、うまく説明できない。
それでも、オットーは目を細めて考え込んでいた。
「水を形にする前から、
熱のほうも同時に動かしている……?」
「う、ん」
「ふむ……少なくとも、普通のやり方ではありませんな」
オットーは黒板に向き直り、
魔力線の図を描き直しながら、何かをつぶやいている。
名前なんて、正直どうでもいい。
自分の中では、
これは統合だ。
《ウオーター》と《ウオーム》。
二つの初級魔法を、状態として一つにまとめる。
二本の細い線を、
一本の「お湯用の線」に組み直す感覚。
たぶん、これが俺の道になる。
掌に残る、わずかなぬくもりを感じながら。
俺は、胸のあたりの魔力核に、そっと意識を沈めた。




