第59話 夢を売る少年たち
俺は、宛てのないまま歩き続けた。
王都のきらびやかな通りを外れ、
石畳はところどころ土に変わり、
灯りの数も少なくなる。
——その夜、
人けの少ない路地の隅で、
俺は、壁にもたれて眠った。
背中の痛みで目を覚ます——
空は白み始めていた。
「……おはようございます、王都」
誰にともなく呟き、背伸びをする。
◇
「さて。どうするかな」
人がいそうなほうへ、自然と足が向いていた。
建物の壁はくすみ、窓は小さく、
洗濯物が細い路地の上に張られている。
「……下町、かな」
数人が立ち止まって何かを見ている。
その輪の中心には、木箱に布をかけただけの即席の台。
その上に、小さな瓶がいくつか並んでいた。
痩せた体つきに、ボサボサの髪。
瓶の前に、十歳そこそこの少年が立っている。
流暢な言葉。
目つきは妙に落ち着いている。
「さあさあ、お立ち会い!
通りすがりでかまわねえ、耳だけ貸してってくれ」
「今、王都のお偉いさん方のあいだで
流行ってる奇跡の水——
知ってるか?」
野次馬どもがわらわらと集まる。
「奇跡だぁ?」
「なんだよその、胡散くせえ名前はよ」
少年は肩をすくめ、声を落とす。
「一滴で、元気が出る。
二滴で、身体の不調がすうっと楽になる。
三滴で、しわも腰の痛みも、ちょいと昔に戻る。
そういう代物だ」
「……やべえにもほどがあるな」
「そうだよ。だから王族さまから貴族のお偉いさんまで、
みーんな夢中」
「俺らの口に入るのは噂だけってわけか」
少年がにやりとする。
「——普通なら、な」
「本物を運ぶ仕事してた兄ちゃんがいてさ。
瓶の底に残ったほんの少し——
垂れた一滴、こびりついた一滴。
それを捨てるのはもったいねえって、
何度も何度も、俺が頭下げて交渉して—— 」
自分の胸を、親指でぐい、と指す。
「『お前の口の堅さなら、まあいいか』ってことでよ。
ようやく、ちょっとだけ分けてもらえたんだ」
「運び屋と話つけたってことか?」
「信じるかどうかは、あんたらの勝手だ」
少年は、あっさりと言い切る。
「俺は、もらった本物を、水で少しだけ薄めた。
——それが、これだ」
彼は、台の上の小瓶を一つつまみ上げる。
「グレン兄ちゃん!」
少年の横から、小さな影が顔を出した。
ボロいマント。
ぴょこんと立った獣耳。揺れる尻尾。
「テオ、出番だ」
少年——グレンは口元だけで笑い、小瓶を掲げる。
ちび獣人——テオはこくんと頷くと、わざと肩を落としてだらんと立った。
「なんか、だるい〜……お腹、すいた〜」
声もわざと掠れさせる。
「テオは、いつも走り回ってる元気な子だ。
今の季節は、どうにも調子を崩しやすくてな」
「雨、多かったからねえ」
「うちのガキも、ぐずぐずしてるわ」
どこにでもある話に、周囲が頷く。
グレンは、小瓶の栓を抜く。
甘い匂いが、ふわりと広がる。
「テオ、一滴だけだ」
瓶が傾き、テオがぺろりと舌を出す。
「……あまい」
次の瞬間、耳がぴん、と立った。
「……あれ? なんか、走りたいーっ!」
叫ぶと同時に、駆け出した。
狭い路地を縫うように走り、
木箱に飛び乗り、洗濯物の下をすり抜ける。
「おお……」
「さっきまでヨタヨタしてたろ」
「やべぇ、効いてるぞ」
感嘆の声が上がる中、
「すごーい!
もうちょっと走れそうーっ!」
一回転して、ぴたりとグレンの横に戻る。
「見たろ? これが、本物のかけらの力だ」
「病気が治るだとか、死者が蘇るだとか——
そんなおとぎ話、俺は言わない」
わざと、一度否定して続ける。
「けどな。
朝一杯のぬるい水よりは、よっぽど効く」
「元気の出ない日に、一滴。
仕事前に、一滴。
もう少しだけ頑張りたいって日に、一滴。
俺たちには、それだけで十分だろう?」
周りの顔が、少しずつ真剣になる。
息子の咳。
妻の腰痛。
自分の疲れ。
それぞれの「もう少しだけ」が、脳裏に浮かんでいるのだろう。
「——で、おいくらよ」
誰かが、期待半分、警戒半分の声で聞いた。
グレンは、そこで一拍置き、にやりと笑った。
「本物一瓶、金貨何十枚。
庶民じゃ、一生稼げるかどうかも怪しい額だ。
それを薄めた、ほぼ本物一本が——」
指で、瓶の首をつまむ。
「銅貨三枚」
「「高っ」」
そこだけ、きれいにハモった。
「おい坊主、銅貨三枚あったら、パン何日分だと思ってんだ」
「そうだそうだ、腹の足しにもならねえだろ」
「そうだろうとも」
グレンは、あっさり頷く。
わざと視線を落とし、瓶を見つめる。
「これは、夢への値段だ」
周囲が、少し静かになる。
並べられた瓶を、指先で一つずつ示していく。
「ここに並んでる分だけでおしまい。
酒か、賭け事か。
それとも一度くらい、王城の真似事か。
決めるのは、あんたらだ」
沈黙。
テオ、そしてグレンへ集まった視線が
一気に瓶に注がれる。
「……くそ。一本くれ」
誰かが、ぼそりと呟いた。
「おう、俺もだ」
瓶に群がる男どもがそこにはいた。
◇
「——それ、奇跡の水ってほどじゃないですよね」
数人の視線が、俺へ向く。
グレンの目が、一瞬だけ、鋭く細まった。
「何か気に入らねえところでも?」
「本物を薄めたって言ってましたけど」
俺は、手近の瓶を指さした。
「そこから、魔力の気配は、ほとんどありません」
近くの男が、眉をひそめる。
「お前、魔法使いか?」
「……今は、ほとんど使えませんけど」
それでも、感じることくらいはできる。
走り回っているテオを見る。
「……元から元気な子、ですよね」
テオが、ピタリと動きを止め、こちらを見た。
耳が、ぴくりと揺れる。
「お、おい。どういうこった。
ほぼ本物ってのは、嘘か?」
さっき瓶を買った男が、眉を吊り上げる。
「嘘ついてるつもりはねえよ」
グレンは、即座に返す。
今度の声は、さっきより少しだけ低い。
「本物を運んでた奴が言ってたんだ。
『底に残ったやつは、しばらくは効く』ってな」
「ほんとに運んでた奴か?」
「さあな。
俺は信じた。あんたも信じた。
この坊やだけが、信じてない。
——それだけの話さ」
彼は、肩をすくめる。
「でも、奇跡をほぼ本物って言って、
銅貨三枚取ってるのは——」
グレンが、俺の言葉を遮った。
「夢を信じる奴から夢代を取って、腹を膨らませる。
それが商売だ」
「——詐欺だと思います」
はっきりと言った。
周りの空気が、ぴり、と張る。
「おい、てめぇ」
瓶を持った男が、顔を赤くした。
「それ、ただの甘い水だってのか」
「甘い水としては、ちゃんと甘いです」
「そういう話じゃねえ!」
怒鳴り声が、路地に響いた。
「銅貨三枚だぞ!?
子どもと嫁の飯、何日分だと思って——」
「はいはい、そこまで」
グレンが、ぱん、と手を叩いた。
目だけが、急速に冷えていく。
「悪かったな、お客さん。
今日はここまでだ。店じまい」
「ふざけんな!」
「ほら、テオ」
グレンは、横目でちび獣人を見やる。
「合図、したろ」
テオの耳が、ぴんと立った。
「……!」
尻尾をひるがえし、全力で逃げ出す。
「待てコラぁぁ!」
怒鳴り声とともに、男が追う。
グレンは、一瞬だけ俺を見た。
その目は、怒りでも憎しみでもなく、
値踏みするような冷静さを帯びていた。
「テオ、右の路地へ!」
と叫び、逆方向に走り出した。
◇
奇跡を信じたがる大人たち。
夢を売って、その日を生き延びる少年たち。
世の中たぶん、こんなもんだ。
でも——
胸の奥が、引っかかる。
「よし」
小さく呟いて、地面を蹴る。
「……鬼ごっこは、慣れてる」
路地の先に、つぶやきが吸い込まれていった。




