第58話 呪い
王城から戻った翌日。
石畳の冷たさも人の匂いも
どこか他人のものみたいだ。
「……父さんに、手紙出しとくか」
ふと、小さくつぶやく。
スタンピードの後。
エルフの里でのこと。
王都にいること
父はまだ知らない。
俺の魔法が、もうほとんど撃てないことも。
◇
昼前の《つばめ亭》は、静かだった。
マルタがカウンターの中で野菜を刻んでいる。
ベルンは樽を拭いていた。
「マルタさん」
「なに」
包丁は止まらない。
「ハルトシュタイン領に、手紙を出したいんです。
どこから送ればいいか……」
「ギルド」
即答だった。
「冒険者ギルド行きなさい。
辺境行きの荷馬車に手紙詰めてくれるから」
ベルンがおずおずと口を挟む。
「ええと、……道は分かるかい?
この通りをまっすぐ行って、大きい広場があってな。
左手の大きな建物だ。
剣と盾の看板が出てるから、すぐ分かるよ」
「ありがとうございます」
頭を下げると、マルタがふっと鼻で笑った。
「子供のお使いじゃないんだ。一人で行けるわ」
言葉には棘がある。
◇
王都のギルドは、大きかった。
石造りの建物に足を踏み入れると、
ざわめきと鉄と酒の匂い。
板張りの床に壁一面の依頼板。
長いカウンターには列をなしていた。
砦の小さな支部とは、別世界だ。
列に並び、順番を待つ。
「次の方、どうぞー」
眼鏡の受付嬢が顔を上げた。
「ええと……」
少し喉が渇く。
「ハルトシュタイン領に手紙を出したくて。
ここから、送ってもらえるって」
「はい、手紙ですね。お名前を――」
「アレン・ハルトシュタインです」
近くの椅子で待っていた冒険者が、ちらりとこちらを見る。
受付は、手元の紙を確かめてから、小さく息を呑んだ。
「少々お待ちください」
奥の職員とひそひそやり取り。
視線がちらちらと飛んでくる。
戻ってきた受付は、仕事の顔に戻っていた。
「アレンさん。
手紙の前に、お渡しするものがあります」
小さな袋が一つ、カウンターに置かれる。
「スタンピード関連の分配金です。
こちらで二年間、お預かりしていました」
「……王城でも、報奨金を」
思わず口にする。
受付がこくりと頷いた。
「そちらは王国からのもの。
こちらはギルド側からの上乗せです。
ボス魔獣への決定打の件で、お名前が記録に残っていましたので」
淡々とした説明。
「中身はここで――」
「だ、大丈夫です」
「では、こちらに受領のサインを」
◇
背中のほうで、笑い声がした。
「へぇ。あれがそうか」
二つ隣のカウンター。
皮鎧の若い冒険者が、仲間と話している。
「スタンピードの英雄様だってよ」
「あんなガキがボス落としたか、ってよ」
「盛りすぎだろ」
乾いた笑いが、天井から落ちてくる。
「お静かにお願いします」
受付の声は事務的で感情もないように聞こえた。
少し離れた椅子で、
白髭の男が、片肘をついてこちらを見ていた。
年配の冒険者。
筋肉の落ちきっていない腕。
静かな目。
「おい、そのくらいにしておけ」
空気が、少しだけ固まる。
さっき笑っていた連中が、肩をすくめる。
「す、すみませんよ、グランツさん」
「ちょっとした冗談でさ」
白髭の男――グランツは視線を外した。
「手紙のほうですが……」
受付が、何事もなかったかのように
紙とペンを差し出す。
「こちらでお書きください。今日の夕方の便で出せます」
「ありがとうございます」
カウンター脇の小さな机に座り、ペンを取る。
書いては消し、書いては消し。
結局、簡単な文になった。
『生きています。心配をかけてすみません』
それだけは、はっきり書いた。
封をして、受付に渡す。
「確かにお預かりしました。
数日かかりますが、ちゃんと届きます」
頭を下げる。
振り返ると、さっきの初老の男――グランツが、
ちょうど立ち上がるところだった。
すれ違うとき、 グランツが、ふいに俺の手元を見た。
「……ずいぶん持ってるな」
低い声が、落ちてきた。
「え?」
「金の話だ」
グランツは、あごで袋を指す。
王城のものと、ギルドのもの。
「持ってるだけじゃ、腹は膨れねえ。
どう使うか、間違えんなよ、小僧」
返す言葉に迷う。
「えっと、その……」
グランツは、あっさりと言った。
「そのうち、嫌でも考えさせられる。
そういうもんだ」
それだけ告げて、ギルドの外へ出ていった。
◇
夕方の《つばめ亭》。
常連らしい男がカウンターに肘をついていて、
マルタが腕組みをして立っていた。
「だからよ、マルタ。
本当に平気なのかって、聞いてんだ」
「なにがよ」
「森の呪いの子だろ、あの坊主。
エルフに連れてかれて戻ってきたって噂の」
「……」
マルタの目が細くなる。
「客が、隣の宿に何人か移っただろ。
呪いの宿だって話になってるぞ。」
そこまで聞いて、ちょうど扉を開けてしまった。
きぃ、と音ともに
全員の視線が、こちらへ。
「戻りました」
言いながら、自分の声が少し上ずっているのが分かった。
常連の男が、気まずそうに頭をかく。
「お、おう。噂の本人が帰ってきちまったな」
ベルンが、慌ててカウンターから出てくる。
「お、おかえり、アレン……くん」
『さま』じゃなくなった。
マルタは、少しの間こちらを見ていたが、
ため息をひとつ吐いて、近づいてきた。
「いいタイミングね」
声は、冷たい。
「……ねえ。
ひとつ、確認しとくわ」
真正面から目を合わせられる。
「森の呪いとか、世界樹の怒りとか。
そういうの、あんたの後ろからつれてきてない?」
「……そんなもの、連れてきてません」
即答した。
マルタは、鼻で笑う。
「じゃあ、なんでよ」
「……え?」
「なんで、《つばめ亭》は呪いの宿だ、なんて言われてんのよ」
言葉が、刺さる。
「英雄様が泊まってくれて、
話のタネくらいにはなるかと思ったのにさ」
マルタは、肩をすくめた。
「ふた開けたら、呪いの子が泊まってるから近寄るなよ。
バカバカしいでしょ」
「そんな噂、信じなくて――」
言いかけたところで、遮られる。
「信じたくないわよ、そんなもん。
でもね、客は信じる側なの」
マルタは、きっぱりと言った。
「うちは、小さい宿。
今日二人減って、明日三人減ったら、それで終わり」
「英雄様でも呪いの子でも、
うちを潰さないでくれるなら、どっちでもいいの」
カウンターの隅から、
子どもが顔を出していた。
「お母ちゃん……
うちって、呪われてるの……?」
「……黙ってなさい」
マルタは、子どものほうを見なかった。
見かねたように、ベルンが前に出る。
「お、おい、マルタ。
もう少し、言い方ってもんが――」
「事実でしょ」
主人は口をつぐむ。
マルタは、俺に向き直った。
「ここにあんたが居続けるなら、ね」
「アレンくん」
今度は、ベルンが言った。
「悪い。ほんとに、悪いと思ってる。
お前さんが、悪い子ではないって知っている」
「でも、俺は女房と子供を
食わしていかなきゃならない責任があるんだ」
「だから……」
言葉を探しながら、苦しそうに続ける。
「他を、当たってくれないか」
頭の中に浮かんだ言葉は、いくつかあった。
そんな噂は間違いだ、とか。
俺は呪われていない、とか。
泊まり賃ならもっと払う、とか。
それを言ったところで――
この小さな宿の不安が消えるわけじゃない。
「……分かりました」
結局、口から出たのは、それだけだった。
荷物は、袋一つ。
部屋に戻り、それを肩にかける。
「これまで、お世話になりました」
小さくそう言って、扉を開ける。
後ろは振り返らない。
ひやりとした夕方の風。
一人分の足音が響く。
頬から濡れたしずくが落ち、
石畳に消えていった。




