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初級魔法しか取り柄がない!!  作者: なるっち
3章 王編 ― 英雄の形
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第55話 安宿の英雄

空は、ちゃんと青かった。


その青を、真っ二つに切り裂くみたいに、

城壁がそびえている。


見上げても、てっぺんはすぐには見えない。

森の巨木より高い、白い石の塊。


中央には、分厚い門。

翼を広げた獣に王冠と剣の紋章が見えた。


「行け。アレン・ハルトシュタイン」


最後に戦士長は、力強く、そして静かにそう告げた。

ここから先は、俺一人だ。


リュシュアも、エリュナも、ラグナもいない。

世界樹の枝も、もう見えない。


エルフたちは、ボスの遺体を載せた車とともに、

すでに門の横手にある、別の入口へと動き出していた。


俺は一礼して、それを見送った。


 




俺は、正面の列に並んぶ。


荷車を押す商人たち。

包帯だらけの兵士。

荷物を抱えたまま泣いている子ども。


少しずつ、列が進む。

焼き固めた石が、靴底の下で冷たく感じてきた、そのときだ。


「そこの子ども、止まれ」


門の上から、鋭い声が落ちてきた。


びくりと、肩が跳ねる。


「名前と出身を言え」


槍を持った兵士が、こちらを見下ろしている。


「……アレン・ハルトシュタインです。

 ハルトシュタイン領です」


空気が、わずかに揺れた。


ひそひそと、周囲に走る声。


兵士は短く仲間と言葉を交わし、

やがて言った。


「確認を取る。ついてこい」


門の内側は、別の街だった。

人混みに溢れている。

石畳も綺麗に整っていた。


「お前のことは、もう上に話が通ってる。

 王城から呼び出しが来るまで、街で待機だ」


「……はい」


「勝手に騒ぎ起こすなよ」


兵士の後ろをしばらく歩く。


「ここだ」


指さした先の木の看板を見る。


《つばめ亭》


二階建ての、小さな宿だった。

壁の漆喰はところどころ剥がれているが、

窓にはちゃんと布がかかっている。


兵士が、遠慮のない拳で扉を叩いた。


「宿の者はいるか!」


「はいっ、今ぁ!」


どたばたと足音がして、扉が開く。


出てきたのは、小太りで神経質そうな中年男だった。


「いらっしゃい……って、兵士さま?」


「王城からの預かりだ

 この子どもをしばらく泊めておけ」


そう言って、一枚の紙と金袋を乱雑に押し付けた。


男は慌てて受け取る。


「お、王家の印……

 まさか、このお方は……」


顔色が変わった。


「スタンピード関連の客だ。

 後は任せた」


兵士はそれだけ言うと、くるりと背を向ける。

足音が遠ざかっていった。


取り残されたのは、俺と、中年男だけだ。


「ええと、そ、その……」


男があたふたと口を開く。


「よ、ようこそ……《つばめ亭》へ。

 わ、わたくし、この宿を預かっておりますベルンと申します。

 本日は……その……」


妙に背筋を伸ばして、頭を下げた。


「アレンです。お世話になります」


「アレンさま……でいいんですよね?」


「いや、アレンで――」


「お父さーん、なに騒いでんのよ」


奥から、女の声が飛んだ。


 




厨房のほうから、痩せた女が現れる。


腰に手を当てて、こちらをじろりと一瞥。


「客? こんな時間に?」


「お、おい、マルタ。お城からだ、お城!」


ベルンが、紙を差し出す。


マルタと呼ばれた女は、

それをひったくるように取る。


王家の印を見たところで、


「……へえ」


口元が、にやりと動いた。


「な!? すごいだろ!」


ベルンが小声で盛り上がる。


その横から、小さな頭が一つ。

五歳くらいの男の子が顔を出した。


「お客さん?」


マルタは、子どもの手で制して、

俺に向き直った。


「……スタンピードの英雄様で?」


「いや、その……」


言葉に詰まる。


「エルフと一緒に来たって話、朝から噂になってたわよ。

 門番のとこで足止め食ってた商人が、酒場でしゃべってたもの」


マルタが、値踏みするかのようにジロジロ見る。


「ま、お城の紙持ってるなら、うちでは上客だね」


ぱん、と手を叩く。


「ベルン、一番いい部屋!」


「えっ」


「空いてるでしょ、角のとこ。

 ほら、お城の印付きなんだから」


「い、いや、その、あそこはほら、窓の立て付けが――」


「あとで直すの。あんたが」


ばっさり。


「今夜は、肉つけるわよ。塩もちゃんと振ってね。

 あ、子どもたちの分は少しだけ減らして」


「えええ」


「なによ、文句ある?」


「な、ない……」


完全にマルタに頭が上がらないらしい。


 




「英雄様って、ほんとにいたんだ……」


男の子が、興奮気味に呟いた。


「ねえねえ、スタンピードって、どんくらいでっかかった?」


「こら、そんな聞き方しないの」


マルタが、さっと子どもの頭を押さえる。


「高貴なお方なのよ。

 『あのう、でございますか』とか、そういう言い方しなさい」


「あのう、でごじゃりますか?」


「どこの言葉よ、それ」


笑っていいのかわからない。


俺は、どこか居心地の悪さを覚えながらも、頭を下げた。


「……よろしくお願いします」


「はいはい。じゃ、アレンさま」


マルタは、『さま』に力を入れてみせる。


「お荷物は? ……それだけ、ですか?」


肩の小さな袋を見て、片眉を上げた。


「はい。大したものは」


「ふうん。じゃ、部屋片付けますから。

 ベルン〜!ほら、茶でも出して」


「お、おう!」


主人は慌てて動き出し、

子どもは、俺の周りを一周してから、

面白がって厨房に走っていった。


 




角部屋は、小さいけれど、ちゃんと陽が入った。


窓ガラスは少しひびが入っていたが、

マルタが「どうせ割れないから大丈夫」と一言で片付ける。


ベッドに小さな机。

水差しと、洗面用のボウル。


「気に入らなくても、文句は受け付けませんからね。

 うちの、いちばんいい部屋なんですから」


マルタが、先に釘を刺す。


「……ありがとうございます」


ベルンはというと、

後ろでおろおろしながら、何度も頭を下げていた。


夕方。


一階に降りると、

テーブルの一つに、皿が並べられていた。


パンと、野菜スープ。

そして、小さめだけれど、ちゃんと焼いた肉が一枚。


「さ、お座りください、英雄さま」


マルタが手で示す。


「今夜だけ特別です」


「お、おい、マルタ……」


「なに? 嘘は言ってないでしょ」


マルタは肩をすくめる。


「うちだって余裕ないんだから。

 出せるときに出して、あとは普通。そういうもんよ」


「……それで、十分です」


俺は苦笑いをして、席についた。


一口、肉をかじる。


硬い。

けど、ちゃんと塩気があって、煙の香りがする。


「おいしいです」


そう言うと、マルタは「ふん」と鼻を鳴らし、厨房に引っ込んだ。


ベルンは、安心したように笑う。


「そ、そりゃよかった……です」


カウンターの向こうで、少年がひょこっと顔を出す。


「ほんとに、スタンピードの英雄なの、ですか?」


少しだけ、考えてから。


「そう言ってる人がいるだけだよ」


と答える。


「ふうん」


マルタが厨房の奥から、声だけ飛ばしてくる。


「いいのよ、英雄様で。

 『スタンピードの英雄が泊まった宿』って言えたら、

 ちょっとは客も増えるんだから」


「おいおい」


「本音よ」


軽い笑い声。

安宿の油とスープの匂い。

外から聞こえる、馬車の車輪の音。


その真ん中で、

「英雄様」と呼ばれる自分だけが、

少しだけ浮いているような気がした。

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