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初級魔法しか取り柄がない!!  作者: なるっち
1章 ハルトシュタイン辺境領編 ― 初級魔法の少年
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第5話 たらいと薪と冷たい水

言葉は、だいぶ出るようになってきた。


全部はっきり、というわけではないが、

「おかあさま」「おとうさま」「ミーナ」くらいなら、ちゃんと言える。


それでも、背は低い。

目線も、まだ床に近い。


だからこそ、見えてくるものがある。



朝。


廊下の向こうから、

バシャバシャという水音が聞こえてきた。


「よいしょ、っと……

 あ、アレン坊ちゃま、おはようございます〜」


大きなたらいを両手で抱えたミーナが、

少し息を切らしながら笑う。


「ミーナ。おはよ」


舌が少しもつれたが、ちゃんと伝わった。


「今日はお洗濯が多くて。

 水魔法使いのおじさんも、今日は街に行っちゃってて……」


ミーナは、じゃぽん、とたらいを揺らした。

中には、井戸から汲んできたばかりの水。


屋敷付きの水魔法使いが一人いる、とセバスから聞いたことがある。

だが、飲み水と最低限の生活分が限界らしい。

洗濯や風呂まで回す余裕はない。


俺は、窓の外を見る。


中庭の向こうに、小さな屋根付きの井戸。

使用人たちが交代でロープを引き、

ぎっこんばったん、水を汲み上げている。


一回で、せいぜい十リットルほど。

それを、洗濯、炊事、掃除に振り分ける。


前の世界では、蛇口をひねればお湯が出た。

そのありがたさを、意識したことはなかった。



昼前。

裏庭のほうへ回る。


「アレン、あまり近づきすぎるな」


後ろから、お父さんの声。


「はーい」


発音はまだ怪しいが、

お父さんはそれで満足そうにうなずいた。


庭の隅では、若い使用人たちが薪を割っている。

斧を振り上げ、振り下ろす。

乾いた音が、一定のリズムで響く。


割られた薪は積まれ、

それを別の者が運んでいく。


行き先は、暖炉、かまど、大きな湯沸かし釜。


「お湯、まだですかー!」


厨房から声が飛ぶ。


「今、薪足してるところだ!」


「朝の水魔法分なんて、とっくになくなりましたよー!」


文句を言いながらも、誰も手を止めない。

鍋の中で、水がぐらぐらと音を立てている。


スイッチ一つで湯が出る世界。

あれは、奇跡に近い文明だった。



厨房の隅。


メイドたちが、たらいの前に並んでいる。


冷たい水に手を入れ、

皿を洗い、すすぎ、拭く。


冬が近いせいか、水はかなり冷たい。

手は赤くなっている。


「ミーナ、て。まっか」


思わず言葉が出た。


「あら、見てました?」


ミーナが、少し照れたように笑う。


「さっきまで、ちょっと《ウオーム》使えるお姉さんが、

 お湯を足してくれてたんですけどね。

 すぐ疲れちゃって」


そう言って、また水に手を入れる。

指先が、わずかに震えている。


この量を相手にするには、

少し使える程度の魔法では、焼け石に水だ。



夕方。


暖炉の前で、お母さんが本を読んでいる。

俺は、その足元で丸くなっていた。


火の熱が、じんわり伝わる。


「アレン、眠い?」


「ねむく、ない」


言いながら、目は半分閉じている。


お母さんが笑って、頭をなでた。


「昨日のお風呂、少しぬるくなかった?」


「ぬるい……?」


「水魔法のおじさん、昨日は畑も手伝っててね。

 お風呂に回せる分が少なかったの」


「すみません奥様……

 薪も残り少なくて、火を弱めちゃって……」


ミーナが、しゅんと肩を落とす。


「いいのよ。風邪もひかなかったし。

 でも、たまにはたっぷりのお湯に入りたいわね」


「たっぷり、おゆ」


口に出すと、少し楽しくなる。


この世界には、給湯器も蛇口もない。

でも、《ライト》と《ウオーム》はある。


水さえあれば、

最初から少しだけ温かい水くらいなら、

なんとかできないだろうか。


まだ《ウオーター》は習っていない。

だが、いずれ必ず覚える。


それまでに、考えることはできる。



その夜。


ベッドの中で、いつもの魔力体操。


呼吸を整え、

体の中心から、手足へと意識を伸ばす。


今日は、少しだけイメージを変える。


冷たい水。

赤くなったミーナの手。

その上に、《ウオーム》で温もりを重ねる。


冷たい。

温かい。


意識の向きを、少しだけ変える。


冷たい水に、最初から温もりが混じっていたら。


たらい一杯は無理でも、

手を洗う一杯だけなら。


それだけで、どれだけ楽になるだろう。


大きな改革はいらない。

少しだけ、楽になる。

少しだけ、笑顔が増える。


初級魔法だけでも、できることはある。


たらいと薪の世界。

そこに、ほんの少しだけ、給湯器っぽさを持ち込めないか。


そんなことを考えながら、

俺は眠りに落ちるまで、

冷たい水と温かい手洗いのイメージを、

何度も頭の中で繰り返していた。

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