第45話 呼ばれる者
「……だいぶ、顔色よくなったじゃない」
木の根の隙間から、ひょいと影が差し込む。
淡金色の長い髪、革の胸当て、戦う者の装い。
エリュナと同じ尖った耳。
「あ、お母さん」
「え?」
森の戦士で、世界樹の護衛。
そのラグナが顔を覗き込む。
「ほら、エリュナに似て可愛いでしょ」
「自分で言うか」
少し離れてリュシュアがぼそり。
「兄さんに似るよりマシ」
「え、え?」
「兄弟なの」
エリュナがくすっと笑う。
「で、あんたが二年もここをベッドにしてた人間の子ね」
「……アレンです。お世話になってます」
「うん、その素直さ嫌いじゃない。身体は?」
「重いですけど……動かそうとすれば」
「するだけで合格。軟弱なのは嫌いだよ」
足先をつつかれ、びくっとして我慢した。
「おっと。無理させたら兄さんに睨まれるか」
「怒るのはお前だろ」
「半分はね」
「この里、半分多くないですか」
「便利だから」
エリュナが笑ってうなずく。
◇
「——その緩みが問題なのだ」
冷たい声。
深緑のローブをまとった老エルフ。
長老だ。
「目を覚ましたか、人間の子よ」
「……はい」
「二年、この聖域に寝かせていた」
「もともと人間は、立入禁止の里だ」
視線が一瞬、リュシュアへ。
「世界樹は、おまえを『切れ』とは言わなかった」
「だから、ここに置いてた」
「——だが」
「おまえが目を覚ましてから、世界樹の揺れが変わった」
頭上で、ざわりと葉が鳴る。
「前は怒りと痛み。
今は、迷い、戸惑い……おまえに寄っている」
「その前例のなさを、容易く受け入れられぬ」
ラグナが言い返そうとして、
リュシュアの小さな首振りで黙る。
◇
「俺が……原因ですか」
「そう見える」
「おまえが来てから、森のマナは乱れた。
境界の魔物も落ち着かぬ」
「森の奥で、何かが狂っている」
「だからって、この子を——腫れ物扱いするな」
ラグナが噛みつく。
「世界樹が認めたから置いたんでしょ」
「だが、それは『守れ』ではない」
「『様子を見よ』だ」
「俺を、どうするんですか」
「森を守りたいだけだ。
余計な火種は外へ出したい」
「この里に人間がいること自体が掟破り」
「……だから、外に出す」
胸の奥が、じくりと痛む。
「この里は、おまえの居場所ではない」
◇
「……分かりました」
驚くほど冷静な声が出た。
「ちゃんと歩けるようになったら、出ます」
「勝手にまとめるな」
リュシュアが遮る。
「決めるのは、俺たちだけじゃない。
世界樹はそう判断していない」
「責任は取ると言ったな」
「今もそうだ。
だから今、放り出すわけにはいかん」
長老が顎にある長いひげをさすり、目を細めた。
「情が混じっている」
「それの何が悪いのよ」
ラグナが割り込む。
「世界樹だって迷って、寄り添って、離れられなくなってる」
「森の外縁、ずっと見てきた。
魔物も空気も、おかしい。
それを、全部この子のせいにするのは安易すぎる」
一息置いて、
「でも、この子を、里のど真ん中にずっと置いておくのは、
さすがに無理って話なら、分かるよ」
エリュナが、不安そうに母親を見る。
「だから—— 外へ出す準備をする。
少しでも危険があれば、出ていってもらう」
葉が、かすかに揺れた。
◇
「……よかろう」
「ただし、これは救済ではない」
「人間の子よ。これ以上踏み入るな。
守れぬなら、即刻外へ出てもらう」
「……はい」
「エリュナはそばに置け」
「揺れを知らせる役だ」
「……はい」
「リュシュア、ラグナ。外の見張りを怠るな」
長老たちは去り、静けさが戻る。
「なんか……すみません」
「そうやってさ。
自分が全部悪いですって顔されると殴りにくいの」
「いや、殴らなくていいです」
少しだけ、笑った。
ラグナが俺の胸を指す。
「出ていくにしても残るにしても……
寝たきりじゃ話にならない」
「はい」
「だからまずは」
ラグナが、にやり。
「半分だけ、起き上がる練習から」
「また半分ですか」
「この里、そういう里だから」
エリュナが、いたずらっぽく笑った。
そのときだった。
胸の奥が、
ぎゅっと、強く締めつけられた。
「……っ」
息が詰まる。
でも、不思議と、昨日までの痛みとは違う。
苦しいのに、どこか、引っ張られる感じが混じっている。
視界が、ゆっくりとひらけた。
根の天井の隙間、その向こう。
さらに高い場所で——
巨大な幹の影が、かすかに見えた。
空気が変わる。
葉の擦れる音が、遠くで重なり合い、
森全体が、深く息を吸い込んだみたいに静まった。
その向こうから——
また、あの、
ざわざわする気配が、静かに降りてくる。
ただ、こちらを見ているように、
そこにあった。
「……やっぱり、近いな」
思わず、口をついて言葉が出る。
「世界樹」
エリュナが首をかしげる。
胸の奥にはっきり意識を向ける。
(こっち)
空気ごと、引き寄せられている。
森の流れが、世界樹のほうへ傾いていて、
その流れに、自分の胸も一緒に乗せられている感じ。
「嫌な感じ?」
エリュナが、少しだけ不安そうにのぞき込む。
少し考えてから、
「なんか……むずむず?」
エリュナが、くすっと笑う。
「うん、分かる。
『なんでこんなことになってるの』って怒ってたのが、
今は『どうしようかな』って困ってる感じ」
「不機嫌じゃないのか、それ」
軽く突っ込んだ、その瞬間——
胸の奥が、もう一度、強く引かれた。
今度は、はっきりと。
——来て。
音でも言葉でもないのに、
意味だけが、まっすぐ胸に流れ込んでくる。
エリュナが、息を呑んだ。
「……アレン。今の……」
「ああ——」
ゆっくりと、息を吐く。
「たぶん、呼ばれてる」
胸の奥が、まだ、世界樹のほうを向いたままだった。




