第43話 森の狩人と世界樹のざわめき 【リュシュア視点】閑話
エルフの里。
その場所は人間界には知られていない。
周りを覆う結界は、森のマナの流れが収束して、
いったん静まる場所に張られている。
大きな川の、淀みのようなところだ。
そこに、余計な石を投げ込めば、
波紋は広がり、やがて外へと押し流される。
だからこそ、外からの異物は、
許可なしに一切、通れない。
門の前で、二人のエルフが槍を交差させた。
「止まれ。リュシュア。
そこまでだ」
「人間は里に入れない」
予想どおりの言葉だ。
それが今は、やけに煩わしく聞こえた。
腕の中の荷物が、
ぐったりと重い。
小さいくせに、やたらと重かった。
「これは客じゃない」
リュシュアは、静かに言った。
「境界で拾った、瘴気を呼ぶかもしれないものだ」
門番が目を細める。
「……どういう意味だ」
「スタンピードの奔流と、ボスの線がぶつかった地点にいた。
そのうえ、この人間の魔力線は、ほとんど焼け落ちている」
「このまま境界近くで死なせれば、
死体から漏れるマナの濁りや瘴気に——」
言葉を切り、森の奥を一度だけ振り返る。
そこには、サイクロプスらしき残骸と、
まだ消えきらない歪んだ線の名残がある。
「——あのボス崩れのような
森の中に残っている濁りが、引き寄せられるかもしれん」
スタンピードの群れも、
サイクロプスのような歪みも。
なにかに惹かれるように、線を辿って集まってきていた。
森の線を追う中で、
何度もそういう感触を覚えた。
リュシュアは、門番をまっすぐ見た。
「人間の来訪者として入れるわけではない。
惹き寄せの核になりうる危険物として、
一時的に結界の内側で押さえ込む」
門番はしばらく黙っていた。
「長老会に判断を仰ぐのか」
「そうだ。それまでは、俺の責任だ」
やがて、交差させていた槍を少しだけ開いた。
「なら、通れ。
だが、一時保管だ。
客として扱うことは許されんぞ、森の狩人」
「わかっている」
リュシュアは、軽く頷いて門をくぐった。
エルフの掟が重たいことは知っている。
ただ、この子を助けると誓った。
戦士としての誇りとして。
弟子だと言った相手として。
◇
里の奥。
世界樹の根が浅く地表に出ている、
静かな隔離区画。
本来、病んだ木や、危ない魔物の一時保管に使われる場所だ。
そこに、人の子を一人、寝かせる。
「本当に、人間をここまで連れてくるとはね」
柔らかい声がした。
世界樹に仕える巫女の一人、
マナの流れに敏い一族の娘だ。
「掟破りなのは分かってる」
リュシュアは、素直に認めた。
「長老たちは?」
「『境界近くで瘴気を呼ばれるのはもっと厄介だ』って顔で、
一時保管だけは認めたわ」
巫女は、少し肩をすくめる。
「回復の見込みがないようなら、
外か、別の場所に移せって」
「それでいい」
リュシュアは、眠る顔を見下ろす。
まだあどけない。
それでも、これで無茶をしたと思うと、
急に憎たらしく思えてきた。
「世界樹は、なんと言っている」
「ざわついてる」
巫女は、世界樹の幹を一度見上げてから、
人の子へ視線を戻した。
「ここ最近ずっと不機嫌だったけど——
この子が来てから、揺れ方が少し変わった」
「悪くなったのか?」
「まだ分からない。
でも、ただマナが濁ってるだけのときとは違う」
巫女は、少年の手に指を乗せた。
自分のマナを、ごくわずかに流してみる。
「……ひどい有り様ね」
思わず、苦笑が漏れた。
「太い線は、かなり焼け落ちてる。
細い線なんて、あちこち千切れて、隙間だらけ」
「それでも――
核の強さみたいなものは感じるわ」
世界樹の根から上がってきたマナが、
巫女の体を通って、この子の胸の奥へと、
するりと入っていこうとする。
「ねえ、リュシュア。
この子、森の外で何をしてたの?」
「穴を掘って、泥を流して、石を投げて」
リュシュアは、簡潔に言った。
「それだけで、スタンピードの流れを大きく変えた。
前には出ない戦闘を教えたつもりが——
気づいたら、一番危ないところまで出てたがな」
自嘲気味な言葉に、巫女は目を細める。
「弟子、なんだ」
「ああ」
リュシュアは、短くそれだけ答えた。
巫女は、それ以上何も言わず、
世界樹を見上げる。
ざわ、ざわ、と。
風もないのに、葉が微かに揺れていた。
さっきまでの、不機嫌なざわつきとは少し違う。
「世界樹の揺れと、この子の中の揺れが、
少しだけ、似てきた気がするの」
「よくない意味か?」
「まだ分からない」
巫女は、少年の胸にそっと手を当てた。
「でも、この子を境界の外に捨てたら——
あとで世界樹に、だいぶ文句を言われそう」
「それは御免だな」
リュシュアは、肩をすくめる。
「長老には、観察結果としてそう伝えておけ」
「『外に出すと、世界樹の機嫌がさらに悪くなる恐れがある』ってな」
巫女が、くすりと笑った。
「うまい言い方」
「お前が言ったんだ」
軽い応酬を交わしながらも、
二人とも視線は、眠る小さな弟子から離れない。
◇
その人間の子供が目を覚ますのは、
もう少し先のこと。
そのあいだにも、
世界樹のざわめきは、ゆっくりと形を変えていく。
森の外から来た、小さな子と。
森の中心に根を張る、大きな樹と。
二つの揺れが、ゆっくりと噛み合っていく——
それはまだ誰も、知らない未来だった。




