第42話 約束 【兄ルーク視点】閑話
スタンピードの夜から、
どれくらい日が経っただろう。
朝が来れば砦と街を回り、
日が暮れれば、父の隣で報告と数字を見て、
また次の日の段取りを考える。
次期領主見習いとして、
やることはいくらでもあった。
それでも、頭のどこかで、
ずっと同じ問いがぐるぐる回っている。
――あいつは、どこまで行ったんだ。
◇
その日、ギルド長のバルドが、正式な報告のために屋敷に来た。
執務室には、父とセバス。
「ルークも聞いておけ」
父に同席を許された。
バルドは、いつもの無精ひげに、いつもより少しだけまともな上着を着ていた。
「では、改めて。
ハルトシュタイン領ギルド長、バルド・グレインです」
形式的な挨拶のあと、
戦況と被害の報告が続く。
スタンピードの規模。
オークの数。
どろんこレーンと眠り瓶が、いかに効果を発揮したか。
父は、一言一句を逃すまいとするように、
真剣な顔で耳を傾けていた。
俺は……
どこか上の空で、それを聞いていた。
分かっている。
アレンが考えた泥石や眠り石が、
どれだけ役に立ったかぐらい。
ギルドからも、兵からも、散々聞かされた。
「アレン坊ちゃまの石がなかったら、生きてませんでした」
そう言って頭を下げられたこともある。
誇らしいはずなのに、
胸の奥が、妙に冷えている。
◇
報告が一段落したところで、
父が口を開いた。
「被害については、概ね理解した。
……あとは、我が子のことだ」
バルドが、わずかに姿勢を正す。
「長男ルーク様については、
本人からの報告と、おおむね一致しております」
俺の戦いぶりと負傷の有無が、
簡潔に述べられる。
自分の名前が出ているのに、
頭の中は、別の名前でいっぱいだった。
「……アレンについて、だが」
父の声色が、わずかに変わった。
沈黙が、執務室に落ちる。
バルドは、ほんの一瞬だけ目を閉じてから、
こちらを――いや、父を見た。
「アレン坊ちゃんは、砦前面のどろんこレーンが固まりきったあと、
右端レーンの抜けを潰すために、側面から回り込んでいたようです」
「ようです?」
父の問いに、バルドは素直に頷く。
「はい。直接見た者はいませんが、
ルーク様の証言、眠り石や気絶弾の魔力痕、
それから足跡の大きさからして、 他に該当者はいないと判断しました」
砦の上で、あいつを止められなかった場面が、嫌でもよみがえる。
「必ず生きて帰ってこい」とその肩に触れて言った感触が、
まだ掌に残っている。
バルドが、ちらりとこちらを見た。
「……止められませんでした」
それしか言いようがなかった。
ギルド長は、軽く息を吐く。
「右端レーンに向かう側道には、
《眠り石》を投げ込んだ痕跡が、まとまって残っていました」
「そのおかげで、一度は波の勢いが大きく削れています」
「しかし、その先――」
言葉を切り、少しだけ目を細めた。
「森側の、さらに奥で。
サイクロプスと思しき大型魔物と、
交戦した形跡がありました」
「交戦……?」
父の声が低くなる。
「はい。
その周辺で見つかった魔力痕は、
どれもアレン坊ちゃん特有のものでした。
石弾、眠り石、光る石……」
喉が、きゅっと狭くなった。
――あいつ、やっぱり全部持って行ったんだな。
バルドは、静かに首を振る。
「ですが――
その場に、アレン坊ちゃん本人はいませんでした」
父の手が、机の上でぴくりと動いた。
「……どういうことだ」
「森の縁近くに、子どものものと思われる足跡と、
かなりの量の血痕が残っていました」
セバスが、小さく息を呑む。
「しかし、遺体はありません。
身につけていたはずの荷物も、見つかっておりません」
「血痕の量から見て、
致命傷を負って倒れた可能性が高い。
そのうえで――何者かに運ばれたと考えています」
「運ばれた……?」
父の顔から、色がすうっと引いていく。
「……運ばれた、とは。
魔物か?」
「魔物の可能性も、森の何かの可能性も、あります」
ギルド長は、はっきりと言った。
「結論を申し上げます」
「アレン・ハルトシュタイン坊ちゃんは、
スタンピード混乱の中で行方不明。
生死不明、となります」
行方不明。
急に、この部屋の空気を重くした。
「……生きている可能性は?」
父の問いは、静かだった。
「ゼロだとは申しません」
バルドは、少しだけ間を置いてから答える。
「ですが、あの出血と森の状況を考えれば……
高いとは、とても言えません」
高くない。
つまり、ほとんどない。
言葉を選びながらも、
はっきりそう告げているのだと分かった。
「遺体がない以上、
公的な記録上は、行方不明として扱われます」
「戦死として名簿に刻むかどうかは、領主様のご判断に」
父は、しばらく目を閉じていた。
やがて、その長い沈黙を破ったのは、
意外にもセバスだった。
「……坊ちゃまは」
年老いた執事が、かすれた声で言う。
「最後に、何をなさっていたのですか」
バルドは、わずかに口元をゆがめた。
「眠り石を最後まで投げ込んで、
右端の抜けを潰して」
「森の奥から出てきた化け物に、
ありったけの石をぶつけていたようです」
「罠と泥と小石で、
好き放題いじり回してましたよ」
「……アレンらしい」
自分でも驚くほど、
落ち着いた声が出た。
三人の視線が、こちらを向く。
「小さいころから、ずっとそうでした」
口が勝手に、言葉を紡いでいく。
「自分が前に立つんじゃなくて。
誰かが楽になるように、道とか、寝床とか、
そんな回りくどいところばっかりしてました」
「光る石を作って、使用人の足元を照らして。
ぬるま湯ひねり出して、ミーナに喜ばれて。
泥を固めてソリを作って、これで荷物持ちが楽になるよって」
風呂場で湯気だらけになって、
「兄ちゃんも入る?」と笑っていた顔。
土間で《ストーン》を出して、
母様に耳を引っ張られていたときの情けない声。
「戦場に出ても、多分、やってることは変わってなかったんでしょうね」
笑うつもりはなかったのに、
どこか笑っているような声になった。
父は、目を開く。
「……よくやったと言うべきか。叱るべきか。
父としては、なんとも言い難いところだな」
バルドが、肩をすくめる。
「俺の仕事は、アレン坊ちゃんのやったことを、
ちゃんと街と領地に残るようにすることだけですよ」
父は、ゆっくりと頷いた。
「行方不明、か」
ぽつりと、繰り返す。
「ならば、公の記録ではそうしておこう」
「ただし、この家の者としては――」
そこで言葉を止め、
もう一度、俺とセバスを見た。
「アレンは、スタンピードにおいて、
領地と街と多くの命を救った」
「それは、はっきりと刻んでおく。
生きて戻ろうが戻るまいが、それは変わらん」
誰も、否定はしなかった。
できるはずもない。
◇
その夜、部屋の天井を見ながら、
昼間の言葉を何度も反芻した。
行方不明。
生存の可能性は、高くない。
遺体はない。
「……らしいな」
小さく呟く。
思い出すのは、くだらない光景ばかりだ。
夜更かししている俺のところに、
こっそりぬるま湯を持ってきて、
「兄ちゃん、これ飲んだらもう寝て」
と、えらそうに言ってきたこととか。
魔力体操でふらふらになって、
ミーナに抱えられていたくせに、
「これは修行です」とかぬかしていたこととか。
「……おかしなやつだったな、本当に」
笑いながら、目の奥が熱くなる。
泣くつもりはなかった。
けれど、一度こぼれた涙は、簡単には止まらなかった。
扉の外で、そっと気配が動く。
きっとセバスだろう。
あるいは、ミーナかもしれない。
誰も入ってこない。
その気遣いが、ありがたくて、つらかった。
「勝手にどっかで生きてる気がするんだよな、お前」
枕に顔を押し付けて、
涙まじりに呟く。
森の奥でも。
どこか知らない街でもいい。
どこかでまた、
誰かの面倒くさい穴を埋めている気がしてならない。
「戻ってきたら、ちゃんと叱ってやる」
声に出して言う。
「それから……よく戻ってきたって、いっぱい褒めてやる」
約束を、
誰にも聞かせず、自分の中だけで結んだ。
◇
数日後。
ギルドから一通の書状が届き、
父はそれを読んで、
静かに火にくべた。
「森のエルフからでございます」
あとで、セバスがそう教えてくれる。
「アレン様は、生きておられるようです」
「ただし――
今はとても、人の世界に戻せる状態ではないのだとか」
父は、その内容を、
家族には詳しく話さなかった。
「今は、知らないほうがいいこともある」
そう言って、目を伏せた。
俺は、それで十分だと思った。
だったら――
「約束は、取っておいてやるよ」
窓の外の森を見ながら、
小さく呟く。
俺は俺の仕事を、
ちゃんとやっておくことにする。




