第41話 現場検証 【ギルド長バルド視点】閑話②
砦の外が、ようやく「片付け」の空気になる。
オークの波を押し返してから、どれくらい経ったか。
日はもう傾きかけている。
勝利の余韻は徐々に小さくなる。
残っているのは、
死体を運ぶ足音。
後始末の怒鳴り声。
バルドは、一人砦を出た。
「護衛を……」
付き従おうとした若い兵を、手で追い払う。
「いらん。お前らは自分の仕事しろ」
今、見ておきたいのは、
生き残りでも、取りこぼしでもない。
――線だ。
◇
どろんこレーンだった一帯は、
まだ一面ぐちゃぐちゃの泥だった。
押し固められて波板みたいになった場所。
抉れて小さな池みたいになった窪み。
そこで折れた槍や、転がったままの盾。
「すげえ、惨状だな」
思わず、口から出た。
ここで、何度も波が崩れ止まった。
足を取られ、眠り、弓と魔法と槍の的になった。
水と泥だけ。単純発想だ。
そこで波の形を変える。
けれど、まさかこの規模でやろうと考える頭はない。
「どこまでも、穴埋めが好きなガキだな」
苦笑して、泥の中に埋もれた石をつま先で蹴る。
さっきまで魔力を噛んでいた《泥石》。
《水石》や《眠り石》も、散らばっている。
ただ、今は汚れた石ころだ。
大方の石は魔力は抜けている。
役目は終えていた。
バルドはレーンを抜け、
森の縁のほうへと足を向ける。
――本命は、この先だ。
◇
森と罠帯の境目あたり。
倒れた木を押し潰すようにして、
ひときわ大きな影が横たわっていた。
戦線の向こうからでも、ずっと
こいつの存在感だけは、肌で感じていた。
単眼。
「……サイクロラプトン、なのか」
誰にともなく、呟く。
記録に残っている“森奥の厄介者”と、形は似ている。
だが、この規模で表に出てくるのは、本来ありえねぇ。
「もっとも、紙の上じゃ、種不明の大型でおしまいだがな」
鼻で笑いながら、正面に回り込んだ。
膝下あたり――
そこに、ぽっかりと穴が開いている。
周囲の肉ごと、
内側からえぐり取られたみたいに抉れていた。
爆ぜた痕じゃない。
斬り飛ばした痕でもない。
「……貫通か」
バルドはしゃがみ込み、傷口の縁に手をかざした。
目を閉じて、指先に意識を集中させる。
うっすらと、まだ残っている魔力のざらつきが、
皮膚を撫でていく。
火じゃねぇ。
雷でもねぇ。
光で焼いた感じでも、
闇で腐らせた感じでもない。
もっと乾いた感触。
石の、ずしりとした重さ。
それを押し出す、まっすぐな風。
そのまわりを、うすい闇の膜が包んでいる。
「……ストーン。エアーパレット。ダーク、か」
自然と、術式の名前が口をついた。
どれも初級。
そこらの魔法使いでも、訓練すりゃ撃てるレベルだ。
だが、普通混ざらねえ。
「こいつは……細ぇほうで、いじってやがる」
バルドは、更に指先をなぞる。
太い魔力線でいきなり石と風と闇を混ぜりゃ、
もっとガタガタに暴れた痕になるはずだ。
これは、一度どこかで意味を混ぜてから、
その一本を、太線に通している。
初級のくせに、妙に滑らかで、筋の通った手触りだった。
「やっぱり、お前かよ」
短く笑いが漏れる。
《石弾》を使えるようになって、ご機嫌だった坊主。
こそこそ《気絶弾》を作って見せびらかしていた坊主。
そんな線の、でかくて分厚い版だ。
「五本? いや、十本分、か」
呆れ半分、感心半分で吐き捨てる。
◇
巨体のまわりを、ぐるりと一周する。
倒れた木。
抉れた溝。
石の割れた破片。
それから――
地面の一角に、不自然な黒ずみが目に入った。
焼け焦げ、とも違う。
表面だけじゃなく、土の中まで、じわりと煤が染み込んだような痕。
バルドはそこに膝をつき、
指先で土をつまんだ。
ぴり、と、指先が痺れる。
「ああ……やっぱりやりやがったな」
太い線を、許容量以上に流したときに出る、逆流の痕だ。
本来なら、術者の胸の中だけで完結するはずの暴れが、
少しだけ外に漏れた。
細い線でどれだけ統合しても、
最後に流す太線が細けりゃ、こうなる。
「生きてりゃ儲けもんってレベルだぞ、こりゃ」
土を指から落としながら、ぼやく。
細線は、ほぼ焼けてるだろう。
太い線も、ところどころ切れてるだろう。
前みたいに、
初級を何本も同時に流して遊ぶことは、まずできねぇ。
それでも、その一発で、
こいつの足と心臓を止めた。
「割に合わねぇ仕事だな」
舌打ちしながらも、声に棘はない。
ただ、疲れた大人の諦めと、
どうしようもない甘さがにじんでいるだけだ。
◇
森側へ、さらに数歩進む。
木の根元が抉れた跡。
地面に走る、細い滑り痕。
子どものものらしい、小さな足跡。
「……ここか」
バルドはしゃがみ込み、
靴跡の縁を指でなぞった。
大人の半分にも満たない足。
泥のえぐれ方で、一度強く吹き飛ばされて、
転がったのが分かる。
そのあたりの土を掘ると、
まだ乾ききらない赤黒い塊が、爪の間に入った。
魔力を、ごくわずかに流す。
泥石。
水石。
悪臭石。
眠り石。
ここ数日、ギルドのカウンターの前で、
嫌というほど嗅がされてきた、線の匂いが、そこにあった。
「アレン・ハルトシュタイン」
名を口にすると、
土のざわつきが、かすかに輪郭を持つ。
ここで倒れた。
それは間違いない。
だが――
そこから先に、足跡は続いていなかった。
血のしみも、土の乱れも、唐突に途切れている。
「運ばれたか。……魔物か、人か、森か」
バルドは鼻を鳴らした。
そういえば、リュシュアの姿もみてねえ。
勝手に手を出した可能性だってある。
けれど、それを確かめようもない。
「どのみち、もう俺の手の届く話じゃねぇな」
立ち上がりながら、そう言う。
ここにあるのは、
ここまでの痕跡だけだ。
遺体がねぇ以上、
紙の上に書ける言葉は、一つしかない。
行方不明。
生きているとも、
死んだとも、断定はしない。
「……ちょうどいい」
バルドは、砦のほうへと踵を返した。
あの化け物を討伐として報告すりゃ、
必ず調査が入る。
討ち方も、使われた線も、掘り返される。
そうなりゃ――
あの坊主の存在が、真っ先に浮かび上がる。
今のあいつは、
そんな場所に引きずり出される状態じゃねぇ。
まして、あんな代物が
森にいたと知れ渡れば、
余計な火種を呼ぶだけだ。
だったら――
「最初から、いなかったことにする」
ぽつりとそう言って、歩き出す。
現場の線は、もう読んだ。
真実は、胸の奥に沈める。
あとは、ギルド長の仕事だ。
紙には、適当に書けばいい。
それが、この世界で生き残る大人のやり方だ。
その巨体は、ほどなく森の中へ消えることになる。
誰が運び出したのか――
バルドの胸には、ぼんやりとした予感だけが残っていた。




