第33話 スタンピード
朝から、森が鳴いていた。
風の音じゃない。
枝が折れる。幹がきしむ。
地面の下から、じわじわと揺れが伝わってくる。
「……多いな」
砦の上から見下ろした兄さんが、ぽつりと言った。
森の縁から、黒い点がにじむように出てくる。
最初は点。次は粒。
そのうち、数えるのを諦めるレベルの面になった。
全部、オークだ。
「一、二、三……もういいや」
思わず数えるのをやめる。
こんなの、数として意識したくない。
「まだ、先頭だ」
バルドさんが腕を組んでいた。
砦の上。
彼の背中の向こうに、砦前の平地が広がっている。
真ん中に、俺が設計した《どろんこレーン》が一本。
左右にも、少し細いレーンが一本ずつ。
その手前に、《光り石》で引いた光の線。
「何度も言ったが、もう一度言う。
ここより先に、絶対に出るな。」
バルドさんの声が、砦前に並ぶ兵士と冒険者たちに届く。
「前に出過ぎたら、泥んこと魔物にまとめて飲まれるぞ!」
「聞こえてんのかお前ら! 光の先に靴底出てんぞバカ!」
下のほうで、ギルド職員が怒鳴っているのも聞こえた。
「アレンくんも、絶対ね」
リナが、ぐいっと俺の袖をつまむ。
「分かってますって」
口ではそう言う。
胸の奥は、ちょっとだけ、ざわざわしていた。
◇
オークの先頭が、平地に降りてきた。
Cランク。
この世界の基準では「中堅」くらいの魔物。
どちらかで言えば雑魚側なんていうが、
実物は——でかい。
突っ込んでくるたびに、地面が揺れる。
筋肉のかたまりが、棍棒を振り回してる。
あれに正面からぶつかられたら、人間とか一瞬だよな。
骨とか内臓とか、ぐちゃぐちゃになりそうだ。
「ビビるな!」
バルドさんの声が、一段と大きくなった。
「敵はオークが主体だ! Cランク、Dランククラスがほとんど!」
「一匹ずつなら、どうとでもなる相手だ!」
「問題は、固まり方だけだ!」
その「固まり方」を変えるために、
どろんこレーンを用意した。
頼むから、ちゃんと働いてくれ。
◇
最初の波が、足を踏み入れた。
どろんこレーン中央。
《重ね掛け泥石》と《重ね掛け水石》をこれでもかと仕込んだ、地獄帯。
一歩目。
ずぶっ。
二歩目。
ぐしゃっ。
三歩目で、今度は後ろからのオークに突っ込まれる。
「おお……」
砦の上からでも分かる。
足元が、完全に持っていかれている。
後ろのやつは止まれない。
押す。押される。滑る。転ぶ。
その上に、さらに後続が乗ってくる。
どろんこレーンの真ん中に、
泥と水と肉と牙の山が、あっという間に積み上がっていく。
「いいぞ!」
バルドさんが叫ぶ。
「中央は止まってる! 奴らの足はここで止まる!」
「魔法隊、準備!」
砦の上、別の塔から号令が飛んだ。
「中級魔法だ! 範囲は中央どろんこ帯、泥は崩すな、敵だけ削れ!」
「三、二、一——撃て!」
《フレイムランス》――空を裂く紅蓮の槍。
《エアブレード》――唸りを上げる真空の刃。
《ロックバレット》――砕けながら襲う岩弾の雨。
泥に足を取られて動けない肉の塊に、
そのすべてが降り注ぐ。
「ブオオォオーーー!」
オークたちがのたうち回り、
聞いたことのないような悲鳴が上がった。
「弓隊、続け!」
砦の上の弓兵たちが、間髪入れず矢を放つ。
泥山の上に載ってしまったオークたちの頭や喉に、
矢が次々と突き刺さる。
「こりゃ……」
隣でバルドが、つぶやく。
「えげつねえな」
俺もそう思う。
でも、そういう場所として作ったんだ。
「どろんこレーン中央、地獄レーン。
いい仕事してるじゃない」
リナが、ほっとしたように笑った。
左右レーンにも、黒い波が流れ込んできた。
ここは中央ほどの地獄ではないが、
足元はしっかりとぬかるんでいる。
普通の土より、
二段か三段、踏み込みが重くなるよう調整してある。
「右! 押す準備!」
右レーン側で、盾を構えた兵士たちが前に出る。
オークたちがぬかるみに足を取られて減速し、
勢いが削がれたところで、盾に正面からぶつかる。
「止まった!」
「今だ、頭を狙え!」
上から、矢と魔法が降る。
左レーンでは、
《風切りの牙》が前列を支えていた。
ガイルが踏み出し、
泥で体勢を崩したオークの棍棒を剣で受け流す。
その脇をフィオナがすり抜け、喉を切り、
直後、後ろからディランの槍が追い打ちをかける。
「よし、左右も押し返せてる!」
どこかから、そんな声が聞こえた。
◇
少し遅れて――
「アレンくん、あれ!」
リナが指さす。
左右レーンの奥。
昨日、《時間差眠り石》を埋めたゾーンだ。
そこでも、中央と同じことが起きている。
今いるオークたちの動きが、
明らかにおかしい。
一歩ごとに、ふらつく。
転ぶ。
起き上がろうとして、また膝から崩れ落ちる。
その上に、後続がのしかかる。
「……効いてる」
胸の奥が、じん、と熱くなった。
石の中でぐるぐる巻いた細い導線が、
ちょうど今、“本体”にたどり着いたのだ。
眠りの線が石の中心でふっと広がり、
地面へとにじみ出す。
オークたちの足元から、
足腰と頭を、じわじわと鈍らせていく。
「足が完全にもつれてる。狙い通りだよ、アレンくん」
これで人で止めてきた負担が減る。
悪くない。
中央レーンと同じ防衛ラインが整った。
そこからは、一方的だ。
眠りゾーンで転んだオークたちの頭上に、
魔法と矢がたたき込まれていく。
「魔法隊、いいぞ! そのまま中央帯を薄くしていけ!」
「弓隊、左右の寝ぼけたやつを優先だ!」
バルドの声が、戦場を叩く。
「ベテラン組は、固まる前に叩け!」
「初級組は前に出るな! 光のラインを守れ!」
「お前らは、漏れたやつを狩れ!」
「一匹に三人ついていい! 確実にやれ!」
その号令に合わせるかのように、
冒険者たちの動きが一段と良くなる。
戦場全体に、はっきりと余裕が生まれた。
◇
そんな中――
中央どろんこ帯にも、ついに均衡の崩れる瞬間が訪れた。
「抜けたぞ!」
誰かが叫ぶ。
足をもたつかせながら、
ふらふらと向かう先は、砦の正面だ。
「一体だ! 落ち着け!」
すかさず、熟練の冒険者が前に出た。
盾を構え、
半歩だけ踏み込む。
次の瞬間、
オークの棍棒が振り下ろされる。
衝撃で足がずるっと滑る。
それでも、踏みとどまる。
その隙に――
槍が突き出された。
喉。
胸。
腹。
三連続の突きが、深々と突き刺さる。
「ふっ……!」
オークが、どさりと崩れ落ちた。
「ほら見ろ!」
槍の柄を地面に打ちつけ、
その冒険者が声を張り上げる。
「敵は弱え!」
「一体ずつなら、どうとでもなる!」
「ビビるなよ!
それとも家で母ちゃんにヨシヨシしてもらうか?」
周囲の兵士や冒険者から、どっと笑い声が上がった。
「その通りだ!」
バルドさんが、受けるように叫ぶ。
「相手は低ランク中心だ!」
「どろんこで足を止めて、眠りで頭を鈍らせてある!」
「一匹を確実に叩け!」
その声に重なるように、
別の場所で本気の怒鳴り声が飛んだ。
「だから前に出すぎだ、そこのやつ!
死にたいのかお前は!」
光り石のラインぎりぎりで、
数人の冒険者が、少し押し戻されているのが見えた。
「……みんな、すごいですね」
隣で、兄さんが小さく笑う。
「アレンの罠があるからだ。
どこで止めて、どこで叩くか、
みんな、はっきり分かってるんだ」
兄さんは、真剣な表情で戦場を見つめた。
「ここが単なる平地だったら、
今ごろ、どこが前線かも分からない押し合いになってる」
「それだけで、どれだけ楽か」
「……そう、なんですかね」
兄さんが、俺の頭をぐしゃっとなでる。
「そうなんだよ!
だから胸張って、ちゃんと見てろ」
そのとき、森のほうで、
何かが、ほんの一瞬、音を立てた。
安堵感と誇らしさに、
少し酔っていたのかもしれない。
だから、気づけなかった。
森のほうから、
一度だけ、かすかに響いた異音。
低く、腹の底を震わせるような――
咆哮に。
◇
中央の泥の山は、
少しずつ、でも確実に小さくなってきていた。
上からの魔法と矢と石弾で、
オークたちが削られている。
その分、後ろから新しいオークがどんどん押し寄せて、
また山になる。
でも、その山の質が変わってきている。
最初は、攻めてくる塊だったのが、
今は、そこで止まるゴミ山になりつつある。
左右のレーンも、
泥で減速→盾で止める→数人で刺す、の繰り返しで、
じわじわと押し返し基調だ。
まだ序盤だ。
まだ、森の奥からの黒い波は途切れない。
でも——
「……いけるかもな」
思わず、口の中でつぶやいた。
「どろんこで弱らせて、
眠りで混乱させて、
上から削って、
中央で刈り取る」
それが、ちゃんと機能している。
俺が、紙の上と頭の中でこね回した“作戦”が、
今、目の前で現実になっている。
「アレンくん」
リナが、にこっと笑った。
「これ、いけるんじゃない?」
「……そうですね」
今は、そう思える。
砦の中からは、
不安そうな顔で戦場を見ている人たちもいる。
でも、その表情も、
さっきより少しだけ柔らかくなっている気がした。
「アレン」
父さんの声がした。
振り向くと、
石壁の影に立って、戦場を見ている。
「はい」
「お前の罠は、よく働いている」
短い言葉。
それだけで、
胸が少しだけ熱くなる。
「このまま、光の内側で、最後まで見届けろ」
「……はい」
今は、それでいい。
今は、まだ——




